8月2012

遺徳ということ。陰徳ということ。

生活

 ポーランドという国は、旧共産主義体制においても親日国家と知られていた。

それは、バルト三国のひとつリトアニア同様である。リトアニアの場合、杉原千畝という外交官の国益と自らの職責との狭間にあっても、人道主義に寸分のぶれのない男の英断が多くのユダヤ人を救い、今日の日本人に大きな遺徳をもたらしている。杉原氏の名誉回復は、2000年に行われた。なぜ、もっと早くとも言われたが、彼の存在をあらためて多くの日本人に知らせ、また彼の取った行動の意味を深く考えさせる契機となった。彼を知らぬ多くの日本人がいる現実の他方、欧州の人々の心中には人道主義に溢れる日本人の姿がある。これは先人の陰徳でもある。

さて、ポーランド。なぜに親日的なのかは、第一次世界大戦後の日本政府の取った人道的な行動によるところが大きい。

 

第一次世界大戦のさなか、多くの政治犯や迫害を受けた人々が、シベリア送りをされ、強制労働と苛酷な環境下、尊い命を落とした悲しい史実がある。その犠牲になった彼らには、また多くの忘れ形見として孤児が現世に残された。時の欧州委員会は、罪なき孤児たちを引き取り、立派に育てようなどと呼びかけたが、一向に笛吹けど踊らずであった。

それを知った日本国政府は、是非もなく直ちに手を上げ、意思表明の2週間後には、孤児たちの迎えに向かっていた。欧州会議の参加国が手をあげない中、極東の国の取った行動は、国益に叶うとは到底思われない。しかし、心身ともに傷ついた孤児たちに、心安らぐ日々と滋養と愛情に充ちた食事や医療を施し、どれだけ孤児たちの健やかな未来を支えたか伺いしれない。その後、孤児たちは心身の健康を取り戻し、帰国を果たし、さらに養子縁組や自らの意思により移住をしていった。

後の世界大戦や地域紛争や大国の侵攻など、20世紀は戦争の世紀そのままに過ぎていった。世界中に、ちりじりばらばらになった孤児たちは、困難に直面した時、日本で過ごした温かく安らぐ日々を思い出し、日本の童謡を機会あるごとに口ずさんだという。孤児たちの第二の祖国となった日本の遺徳は計り知れない。これまでポーランドより招聘をいただき、日本の文化芸術のご紹介をする機会を3回頂戴した。先人の遺徳、陰徳があればこそと大切に受けとめさせていただいている。このところ、朝鮮半島との外交摩擦や竹島問題は、陰鬱な空気となって列島に届く。平和の構築は優れた指導者の資質にも頼るが、なにより大切なものは、日本人のひとりひとりの良心に住まう他者への思いやりや優しさと。今日より、はるかに一日を生きる事が困難な時代、先人の取った徳の溢れる行動に立ち返って、風雪に耐える真理に学びたいものである。

「リトルボーイのピンバッヂ。」No More! HIROSHIMA! 再考

生活

  残暑は酷だが、秋冷の候を挨拶に使ってもよい時節にさしかかりつつある。

この夏、先の大戦を振り返り、今も腹の底から臓物が煮えたぎる思いの事柄がある。それは、「原爆無知大国アメリカ」である。

本年、原子爆弾の投下命令を下した大統領の孫が原爆忌に来日した。

だが、多くのアメリカ人は、原爆投下を自国の論理で肯定する声が圧倒的である。そのアメリカ人の意識を記事にしたものが、08年の「AERA」にある。

 

前略。~ラスベガスの大通り。そこから車でわずか5分のところに「核実験博物館(ATOMIC TESTING MUSIUM)」はある。~中略~入場券売り場は、ネバダ核実験場にあった警備員ブースの再現。キノコ雲をデザインした水着姿の「ミス原子爆弾」等の等身大パネルが両手を広げて待っている。入場料は、10ドル。パンフレットには館長の挨拶がある。「博物館の見学は特別な体験を保証します。探検して楽しんで!」~中略~最大の目玉は、「グランドゼロシアター」。暗くなるとカウントダウンが始まる。「スリー、ツー、ワン、ゼロ」フラッシュのような閃光。スクリーンではオレンジ色に染まった

キノコ雲が立ち上がる。~中略~「クール!(かっこいい)」後ろに座っていた小学生くらいの白人の男の子がつぶやいた。

いかがだろうか?アメリカは敵情関係になく、日米同盟は世界最強とも言われる友人関係であろうに、この有り様はいかがしたことだろうか?もちろん、この博物館で、広島と長崎に投下された原子爆弾が奪った人の命の数など展示されていない。入場者には「原子爆弾のお陰でアメリカは戦争に勝てた」という感想が導き出されるような仕組みである。原子爆弾の啓蒙のためにネバダ州の実験施設から、わざわざカジノやエンターメントショーを楽しみに訪れる観光客を狙って引越ししてきて大盛況である。

 

広島から英国に渡った女性が、「HIROSHIMAから来た。というと No More! HIROSHIMA! の語感や響きが、町全体が無くなったような風に受け止めれていて、原爆が投下された事実だけが知られていた。(悲惨な状況は当然伝わっていない)」とそのショックを伝えた。本年は、原爆投下されて67年でああった。広島から「No More! HIROSHIMA!」の思いが伝わるのは、このままでは100年たってもあるまい。このもどかしく、慙愧にたえない思いこそ無間地獄だろう。前出の博物館で一番売れるお土産は「リトルボーイのピンバッヂ」である。いかにもかわいらしいデザインと名前だが、広島・長崎に投下された原子爆弾そのものの名前である。未だ伝わらない思いをいかにせん、また後世に。

 

ヤマメとサクラマス

生活

  今年も北国のサケやマスの遡上は、命をつなぐ戦いとして、くりひろげられることだろう。ご承知のようにサケやマスは、生まれ故郷に長い回遊の果てに帰って来る。大きく育つまでの艱難辛苦は、相当なものがあると容易に察することが出来る。だが、それより思いを果たす寸前に、立ちはだかる自然や肉食獣の猛威に、敗れてしまう大方の命を不憫におもう。考え方によっては、多くの動植物を養い、新しい命を生み出すに違いないのだが。

ところで、「ヤマメ」という魚をご存知だろうか?「ヤマメ」は、「山女」。山深く清い源流に棲む。「サクラマス」をご存知だろうか。「サクラマス」は、元「ヤマメ」の魚である。適切な説明が出来ずに苦しむが、どのように説明したらお分かりいただけることだろうか?「ヤマメ」は、縄張り意識が強く、好戦的な魚である。当然、限られた生息域に残れるのは、比較的大きく体力のある雄ばかりになる。実は、「ヤマメ」(山女)は、雄ばかりで、雌がいない。だから、ヤマメというより「ヤモメ」(寡)というところだろうか。

 

縄張り競争に敗れ、傷ついた雄や体力が無く弱い雌は、清流をくだり中流へ。さらに下流へと安住の棲家をもとめて下る。ここでも例外なく、自然や肉食獣との苛烈な戦いが繰り広げられる。やがて、戦いに明け暮れた彼らは海へ出る。そして長い回遊の旅に向う。海洋に漂い、塩水にもまれ、さらに厳しく幾星霜を過す。その後も生存競争を経て、後半生の勝利者になる。本能に従い彼らは、帰って来るとはいえ、厳しい戦いに耐えて生き残ってくる。それは、営みというより偉業というのが相応しいに違いない。



彼らは、その昔、海洋にむかった河口の沖合に集結する。故郷を追われた日の記憶を確かめてなのか、満を持して遡上する。自然や食肉獣の猛威に屈することなく、ただただ故郷の水の匂いを求めて遡上する。彼らの表情は、故郷に棲む「ヤマメ」のように穏やかなものではない。口は、鉤型の嘴になり、海に棲む鬼のような形相である。故郷にたどり着くまでに、大方の仲間が命のやり取りの戦いに敗れ去ってゆく。運良く生き長らえても、既に鱗ははがれ落ち、肉もそがれ、生存競争の勝利との引き換えに満身創痍。相も変わらず士気は高いが、腹の据わった落ち武者然としている。

故郷にたどりついた時、此処で会うが百年目。自分を追いやった「ヤマメ」を、忌まわしい記憶を脳裏に蘇らせながら、真正面に見ることだろう。満身創痍のサクラマスの雄は、「ヤマメ」との最期の戦いに打ち勝てばこそ、サクラマスの雌と子孫を遺すことができる。本来、優性遺伝の習いなら「ヤマメ」。心情として勝たせたいのは、「サクラマス」。どんなに生きても尊い一期の命。

少子高齢化の憂鬱

生活


現政権は、税と社会福祉の一体改革を訴えてきた。「一刻の猶予もならない」というが、客観的なOECD(経済協力開発機構)の報告にもとづいて検証したい。要は、日本の少子高齢化を憂う気分が強くなってきたが、OECDに加盟する先進国+新興国中進国の30カ国でも少子高齢化傾向が強くなり、各国政府担当者の頭を悩ませているとされている。少なくとも、暮らしの豊かさを誇る国々には総じて少子化が押し寄せている。

さて、人口爆発が起きているのは、アジアアフリカの途上国ばかりである。穀物の生産は、頭打ちになっている。全般的に世界で必要とされる食料は不足し、安全安心な水が十分確保できない。きれいな飲料水は、世界中で15%の人たちしか飲むことが出来ないのが実情。今日の食事を心配せねばならない人々には、潜在能力を開発する機会は無い。いわゆる読み書き算盤を習う機会さえ閉ざされている。安全な社会生活を保障する住まいの問題や治安の問題など、はるか遠くの世界の話である。偏見で書くつもりはないが、それらの国々

では、親孝行をしてもらいたくて多くの子供をもうける者たちが多い。そのことは、児童労働や人身売買の温床となっている。しかし、社会を構成する者たちが、そのような親のエゴに立って考えるため、なかなか人権保護の面で改善が見られずにいる。

さて、世界の人口バランスは、いよいよ壊れつつある。

国連人口基金(UNFPA)の「世界の人口の日」記念発表によると、世界の人口の半分は25歳以下で占められており、人類史上、若者の人口は最大になったということ
である。現在、約65億人が地球の上で暮らしており、半分といえば、32億5千以上ということになる。ひとつの問題は、15歳から24歳のうちの約5億人が一日2ドル以下の生活を強いられ、一日約6千人の人がエイズウイルス(HIV)に感染しているということである。アナン事務総長の談話は、「世界の若者は荒涼とした景色に直面させられている」ということである。

日本は、老齢人口(65歳以上)の比率が世界で最も高くなった。

他方、少子化による若年人口の比率も世界で一番低くなった。普通に考えて

この国に未来はない。財政のつけまわしを為政者は、未来世代に押し付けてきた。扶養されることをもっとも期待している世代は、未来の世代に膨大な保障費をおしつけて平気なこともあるまい。国内でも地方によっては、驚くべき超少子高齢化社会が襲ってきている。国家財政の逼迫は、あらゆることに波及し、

農村地帯の崩壊や商店街の壊滅にもつながっている。日本国内における格差について、いよいよOECDが日本の貧困層の人口比率はアメリカに次いで世界第2位と警鐘を乱打するように鳴らしている。もう一度、武家社会が崩壊し、近代日本の黎明を迎えた明治に立ち返って考えなおさねばなるまい

ビールの神様S先生のベトナム暮らし

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 私が、JICA(国際協力機構)専門家として派遣された時にパートナーとなられたS先生は、国内外でビールの神様と尊敬を集めていた。見識・技術も一流だったが、なによりも物事に真剣に取り組む姿勢や謙虚に学ぶ姿勢が、人を魅了したのだと思う。その先生が、人生で乾坤一擲の戦いを挑んだことがあった。

S先生は、T帝国大学を恩賜の銀時計組で卒業して、研修の後、工場に配属された。S先生は、ミュンヘンに留学させてもらえるほどの学識や語学力を併せ持っていた。が、工場に配属されてからは、先輩や職長に怒鳴られ鍛えられて仕事を覚えた。よくQCサークルのことが、製造業の現場で話題になる。七つ道具と評し、グラフを用いた原因究明ツールの使い方も昨今指導するが、本質は人。3S運動、5S運動などと称し、躾(しつけ)、整理、整頓、清掃、始末を徹底的に指導することがある。有名大学卒業者には、この躾や整理整頓を馬鹿にする人間が多いと聞く。S先生によれば、正常に頭が働けば、自分の職場を日々観察する力がついて、導線や損失や利益の工場に直結する発見や発明をすることが出来るとのこと。また、日々の雑巾がけから機械の故障や効率の良いレアィアウトを思いつくようになるとも聞いた。エンジニアのS先生は、現場に生きた人である。

Aビールは、その昔からの名門企業であり、解体される前は、Sビールと合同していた。その昔、Kビールとシェアを争い拮抗していた。ところが、S先生

が代表取締役専務に就任して、技術畑の最高責任者となったころ、会社の調子もおかしくなった。売上が、大幅に下がり、財政が苦しくなると営業の士気が下がった。これが悪循環となり、研究開発費の大幅削減につながった。新製品をぶつけてもライバル企業とは、品質やイメージ面ではなされているという危機感もあった。しかし、一向に業績は改善しない。今にも沈みそうな会社だとして、メデイアからも夕陽ビールなどとも叩かれていた。なかなか勝てないライバルに、なんとか一矢報いたい。その思いだけで困難に立ち向かった。聴けば、あのSDビール。ビール酵母の兄弟が400くらいいると聞いた。おなじ、親兄弟をもつビール酵母であっても、生き物である以上、個性がある。400の子供たちの適正を見極め育て、SDビールは生まれ出でた。S先生は、Kビールなしに自己のキャリアもSDビールの登場もありえなかったと語っている。

その後、Kビールのリタイアした技術者と一緒に仕事がしたいと自らも楽しみのための仕事として、ベトナムの“333“(バーバーバー)ビールの生産管理や品質管理の指導に当たることとした。ビールの中では、雑菌が発生することが困難。水に当たる心配もないので、亜熱帯などで食中毒が心配な時、ビールはお勧め。また、ビール粕は、調味料、飼料、薬にも使えて捨てるところがない。333が、美味しいのは、S先生の熱い思いが詰まっているからか。

ビールの神様S先生から学んだこと

生活

S先生との出会いは、1996年の9月だった。当時、中国へのODA(政府開発援助)の中国国有企業の近代化プロジェクト(民営化)に専門家としてともに派遣されたのだった。中学校のとき、将来の夢を書き綴ったノートに、真っ先に五丈原に行って諸葛亮孔明の足跡を尋ねたいと記したが、その五丈原のある市に派遣された。足掛け2年の担当期間に、孔明の墓や蜀の古戦道や太公望の廟、周王朝の史跡、劉邦や張良の廟も尋ねられた。思いの深い仕事だった。

S先生は、T帝国大学の卒業でドイツ留学経験があり、英語にも堪能だったが、中国語は苦手の様子だった。しかし、真剣でいれば語学の壁など簡単に越えられると仰せだった。あるとき、需要の問題から送電が、ストップされ工場が停電となったことがあった。工場幹部は、休めると喜んだが、S先生がそれを阻んだ、「電力が無くても仕事は出来る」と。中国人が「充填機が動かないとビールを出荷できない」と反論した。S先生は、電力仕掛けの機械を使わず、手仕事で瓶にビールの充填をはじめた。1本、2本、3本、10本、20本、50本と

泡が少しは出るが、落ち着いた頃合を見計らい眺めると、100本並べても定量の線で皆揃った。感嘆の声が工場に響いた。が、S先生「日本人なら簡単に出来ることだ」と。S先生の言われることは、極端な事ではなかった。戦後会社に入社したころは、帝国大学出の学士であろうと、恩賜の金時計を持とうと皆、雑巾がけから仕事を始めたとのこと。現場の親爺や先輩にこき使われながら、工具の使い方から溶接に至るまで何でも現場仕事をやれるようになるとのこと。それが、日本の強みであると。さて、強烈なデモンストレーションの後、中国でもS先生はビールの神様と言われるようになって。

そのビールの神様を、焼酎の国鹿児島にお招きした事があった。高名な先生に父が会いたいと懇願したのと、本当にそんな先生と一緒に小倅が、仕事をさせてもらえるのかという疑問が解消しなかったようである。当然である。

父が、曽祖父の代から贔屓にしている割烹旅館に一席もうけ、乾杯の段になった。父「女将、Aビール!」女将「先生、うちはKビールですよ。ご子息がM商事に入られた時に、そうしてくれとおっしゃったじゃないですか」父「なんとかせんか、女将!わしに恥をかかすのか」と、その時、S先生が、上げた拳をどうしたものかと思案げの父の足元に膝まづいた。そして、「先生、お願いですから、Kビールを戴かせてください。」続けて「一時期、A社はシェアが落ちて、つぶれるんじゃないかと夕陽ビールとまで言われました。」「研究費も無くなり、待遇が厳しくなった中、なにくそKビールには負けないと頑張って来ました。」「SDビールは、そんな思いが凝縮した魂の塊なのです。」「今日、私があるのは、Kビールさんがあったからこそです。」と。女将が番頭を呼んだ、「酒屋を呼んで、全部Kビールを返却しなさい。うちは、Aビール党になった」と。

どうなるの?国連安保理改革。何をもめてるの?国連安保理拡大。

生活

本年は、国連設立67年である。と同時に、わが日本国は敗戦67年で、周辺国の大半は対日本戦勝67年である。北朝鮮を巡る「6カ国協議」行方や「国連改革」の目玉とでもいうべき安全保障理事会の改革案をめぐって、長きにわたって各国は、自らの利益恩恵の主張ばかりで改革の実は挙がっていない。

気がかりの第一は、お隣韓国との摩擦。韓流ブームや日韓交流行事など消し飛ばして、9月開催の国連安全保障理事会を前に、韓国の非常任国を賛成しないとか。もともと、日本は、「常任理事会を拡大し、これに入りたがっている。」韓国は、「準・常任理事国を新設し、実質の改革先延ばし案を支持している。」

 

「国連」は、当初51カ国で1945年にスタートした。昨年末は、それが

193の国や地域にまで増大してきている(最新加盟は、南スーダン)。国連は、ヤルタ体制を踏襲し、「大国主導の平和維持を行ってきた。」しかし、47カ国を代表する欧州の常任理事国が「3」カ国であるのに対して、53カ国もあるアフリカの加盟国が「0」。

56カ国のアジア・太平洋の代表が「1」というのは、いかにも代表性を欠いているように見える。パン・ギムナン事務総長は「安全保障理事会が、本来の責任を全うする機能を持ち、その決定が世界で尊重されるべきである。」と方針を示している。

紛争のたびに「国連憲章違反」問題になるが、実情にあった国連安保理の改革がなければ、今後も同様の偽違反が起こることを憂慮せざるを得ない。事務総長の指示のもと、過去「常任理事国拡大案」(G4)と「準常任理事国新設案」(UFC案)がまとめられた(AU 案という調整案もある)。常任理事国入りを目指す、日本のほかドイツ、ブラジル、インドが支持してきたA案は、15年前に改革案が示されたときの常任理事国5増、非常任理事国4増案を提示した(ラザリ国連総会議長)踏襲案。常任理事国6増、非常任理事国3増とするA案は、基本的に増枠「9」とするものだった。日本は、「なぜ?常任理事国入りを目指すのか?」「安全保障理事会決議の度に、19.5%の負担金を何も発言できずに行うのはおかしいからなのか?」周辺国の理解や信頼を得ないうちに、あるいは「政冷経熱」といわれる中国との関係を改善せぬうちに「それは目指すべきなのか?」。十分思案せねばなるまい。改革案が承認されるには、加盟国の3分の2以上の賛成で決議案が採択され、常任理事国5カ国全ての決議批准が必要である。険しいハードルである。前回も今回と同じく、日本は「韓国」、ドイツも「イタリア」から不支持だった。安全保障理事会改革より周辺国との関係改善が優先だろうが、いかがだろう?。

「ドイツの懐の深さを思う」

生活

 昨年の夏、ドイツの首都ベルリンに降り立った。日独友好150周年の記念行事として、水墨画のデモンストレーションや講習会のためである。ベルリン行きの便は、このときは、直行便がなくヘルシンキからトランジットした。ほかの経由地より3時間程度のボーナスを貰ったような気分で市街地に臨んだ。 チェック・インまで時間がある。荷物をホテルに預けて世界有数の規模という動物園に向かった。なるほど、最新の動物園ではないが、展示の仕方に工夫がある。居住空間が充実している感じを受けた。それぞれの畜舎で飼育係の餌づくりの様子がよくわかるTVの調理番組風の見せ方があったり、幼児達が餌作りや動物の世話に参加しやすいように工夫がされている。全体として、市民が心から動物園を愉しんでいる様子が感じられた。事実、平日に関わらず、大人だけで開門前から並んでいる集団がいくつもあった。



在ベルリン日本大使館の文化学術担当の書記官と話をする機会があった。

伺えば、ベルリンの壁崩壊以降、今日も旧東ベルリン市街地には、開発手つかずの目立つ空き地が存在しているとのこと。ドイツ統一にこの国の市民は、多大な負担をおこなった。西ドイツは、当時欧州ナンバー1の経済大国であったが、東ドイツとの統一により負の巨大な財産を抱え、欧州ナンバー9の地位まで滑り落ちた。東ドイツは、東側世界ではソビエトに継ぐ大国の地位にあったが、破綻した計画経済の病巣の摘出手術にかなりの負担が生じたことは確かである。そのベルリンに国際的に名を馳せる博物館美術館がある。さほど大きくない都市に、文化的遺産が誇らしく点在している。東アジア美術館を訪ねた。日本芸術祭・国際墨書画展を想定した下見を兼ねてのものだった。常設コレクションに圧倒された、北斎や光琳の作品に顔をつけて舐められるような距離で堪能できた。平安時代以降の屏風や掛け軸などもコレクションされている。時代背景や作家や流派を体系的に理解できるように展示されている。常設展示ギャラリーには、茶室が作られている。手抜きなど一切無くつくられていて、衝立や茶掛、茶釜の位置なども見やすく展示され、空間美や作品の魅力があますことなく表現されているように思えた。日本の博物館美術館といえども国立級の施設で無い限り対抗できないように思えた。来年は、通説で言われる源氏物語誕生千年余である。博物館美術館は、絵巻物で宮中の様子を欧州人に親しみやすく伝えたいとしている。近年、日本の高等学校では、世界史・日本史や地理の履修時間不足が問題にされ、受験に役立たない知識は必要のないという空気にやるせない思いをした。受験云々という小賢しい議論より、人生を豊かにすることや、国や人間を理解することに努力を厭わない気風がほしい。苦難も多いドイツで、深く文化に対する思いにふれた。

「ツィゴイネルワイゼン」

生活

 宙に浮かぶ雲は、薄くたなびき流れてゆくようになった。仰ぎ見る限り、夏の装いは見られなくなった。灯火親しむ頃などというが、晩秋にこそ相応しいもの云いだと思う。空気が乾いて伝わりが良くなるからなのか?弦楽器の奏でる大きな容量の音が聞きたくなる。「ツィゴイネルワイゼン」、この悲嘆や絶望を思わせるような音で語る世界は、よほどの体験や見聞きの蓄積がなければ作れない曲。そんな風に学生時代から、勝手に想像していた。ただ、機会あるごとに圧倒されそうになる旋律にふれ、毛穴もひらくほどに感じ聞き入った。

「ツィゴイネルワイゼン」は、ドイツ語。日本人に馴染む別の言い方では、「ジプシー」「流浪の民」ただし、この言葉は国際的に差別用語として使用を慎まれている。それでは、このネーションのことを他になんと呼べばよいのだろうか?

欧州で差別用語として撤廃宣言を行うとき、彼らの代表として映画俳優のユリ・ブリンナー氏が出席したという。映画「王様とわたし」他、圧倒的な存在感でご記憶の方も多いことだろう。世界一美しい剃髪とまでも言われたが、あの神々しい光り方は、修飾語がなかなか見つからない。

「20世紀」を賢人は、たびたび「戦争の世紀」と総括した。本来、ステートとステートの国家間紛争のようなものが無くなり、ステート対ネーション(民族集団)、ネーション対ネーションの争いが増える。そして、 国際社会は「人道支援競争の時代」を迎えると期待を込めた。国際協力の専門家は、講演でも好んでそれをテーマにした。しかい、あろうことか、9.11以後、確実にテロリズムの横暴は、ルール無き戦いの幕開けを迎えたように思えた。“ツイゴイネルワイゼン”不幸な境遇にある彼らは、定住の地をもたず、永くその日暮らしから抜け出ていない。戸籍や住民票もなく、広く欧州を漂っている感じである。義務教育を受けられないから文字も読めず、踊りや音楽による大道芸人的な稼ぎしか出来ない。蓄えも無く、周辺の人間達となかなか同化できないので、誤解や迫害を受けやすく、安住の地などどこにも無い。その数は、800万人とも3000万人とも言われるが、戸籍も文字にした資料無く推測だけである。中央アジアから広く極東アジアに向けて遊牧の民がいるが、彼らは生業の手法に移動があるだけで、遊牧民とて、義務教育のために子どもを教育機関の宿舎に預けたりできる。アフガン戦争の時に、ウズベキスタンの留学生から聞いた話が耳から離れない。「100年前の地図を見てください。アジアと欧州は、今と随分違います。オスマントルコと英国が戦って中央・中東アジアが出来たのです」と。未解決もあるが、100年前とほぼ変わらぬ日本。いつも中心に日本をおいて世界地図を見る意識では、「不寛容や無理解」を埋めることが難しい。もう一度、時間をかけて、国際理解のために古びた世界史の教科書を読んでみたい。

「すき焼き スキヤキ 鋤焼き」

生活

実家では、盆や正月には、親類縁者が集まり「すき焼き」を大人数で行うのがお決まり

だった。さて、坂本九さんの「上を向いて歩こう」は、中村八大、永六輔氏による六八九の最高傑作であることに、異論を挟む余地はあるまい。メロデイーラインや歌詞(訳詩も含めて)のすばらしさに加え、坂本九さんの邦楽的な歌い方(坂本氏のご母堂は邦楽家が魅惑的なのか、内外を問わずにカバー曲が多く世に出た。邦楽史上初のビルボード誌制覇は、「スキヤキ」”SUKIYAKI”と名づけて送り出したことが大きかったと思える。

MUSICアワーのRADIOから~WOW  WoW とうなるように寂を詠えば、全米全英の

リスナーも何を訴えようとしているのだろうと関心を示したに違いない。時は、日本経済の未曾有の成長期で、Fujiyama Mt. ,Geisha Girl, Sushi, Sukiyakiの文化もBig Waveのように押し寄せていったことであろう。いずれにせよ耳と口に日本の最高のご馳走である。

「スキヤキ」は、すきやき「鋤焼き」である。

本来、一年の収穫を終えた農家は、農閑期を使い、栄養を吸い上げて体力を消耗した土地を、牛馬の力などを借りて深く鋤きこみ、分解の進んだ有機物を手当てしたり、地中の有機物の分解が進むように手助けをしていた。湯治などは、その後のことである。

さて、その鋤込んだ「鋤」をきれいにあらい、その上で焼いて食べたのが「鋤焼き」である。なあんで、ご馳走を食べるのに、そんな農具の上で食べる必要があったのか?それを疑問に想う方は、たくさん召し上がる権利のおありの方かも知れない。

広辞苑の新村出博士の説によれば、もともと日本では、牛や馬、豚を食べる習慣が無かったので、牛肉を食べる時は、家の中で調理するのを遠慮して、野外で農耕に使う鋤の上で焼いたので「鋤焼き」となったという説である。東京の云々では、「牛なべ」である。

「すきやき」と関西風の名前が統一的に使われてはいるが、「蒲焼」同様に関西と関東では、

なにかと、「割り下」や「砂糖」の用い方など作法がうるさい。



実家では、ご馳走とは、「寿司」「うなぎ」「すき焼き」に集約されていた。

一族が集まり「すき焼き」になると、爺がうるさく差配した。英国では、主がローストビーフを分け与えるのだと師範学校あがりの爺が、その立場を譲ることは無かった。

考え方によっては、自然や地域社会に感謝の誠を捧げるのであれば、当主自身から箸をとり、天からの授かりものを分け与えようとするのは、正しい行いと思えなくもない。

本来の有機農業から大きく遠ざかり、図らずも高級ブランド的なものに育ってしまった。「安全」「安心」は、しっかりと原価計算要素に織り込まれてゆく。有機材は、自然循環がもたらすもので、捨ておく物などない宝の山である。Mottinaiが、マータイ女史のおかげで国際語になりはしたが、マータイ女史のように幾世代もの人を束ね、社会的弱者と自然相手に格闘している人もいる。喜びと生きる糧をさしあげる「もったいない」でなければ、気恥ずかしい思いがする。農村を流れるる清い川の土手あたりで、鋤をきれいに洗って、「すき焼き」をしてみたい。

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