8月2012

胡瓜の挿し芽

生活

 今年は、「食」に触発されたこともあって、自宅のバルコニーで季節の花々にくわえ、「バケツ稲作」、「ミニトマト」、「葉大根」、「アスパラガス」そして「胡瓜」を育てている。育ててみて一番に驚いたのは、3月に植えた向日葵が早々と目覚め、6月には自分の背丈をゆうに越えて大輪の花をつけたことと、胡瓜の

蔓の伸びの早さだった。秀逸な句の話ではないが、蔓の伸び方をみていると「この先、どうしようか」と本当に思案げに見えるから不思議である。蔓の丸まった先端が、実に擬人的でもあり、考え込んでいるように見えるのだ。

さて、「感嘆しながら見ているだけではいけない。」黄色い花をつけ放題にさせると、よい実が期待できなくなるので適当に間引きが必要であるし、蔓もすき放題に伸ばさせると収集が取れなくなる。躾が、大いに必要である。

胡瓜は、「胡」の字がついている。これは、「胡椒」や「胡弓」、「胡麻」などと同じく中国人にとって「外来」の「瓜」であるという意味になる。しかし、

中国国内で胡瓜の文字を見たことが無い、一般的には「黄瓜」である。緑色を

している瓜なのに黄色い瓜とは、つける花が黄色く愛らしいからであろうか。

胡瓜のことで、中国からの農業研修生のことを思い出した。

 

日本国内の大規模農業作物の産地では、キャベツやレタスなどの一般的な消費作物まで含めて、海外からの研修生に頼らなければなりたたない。研修生制度は、本来、わが国から途上国への技能技術移転を前提に発案された。当時の外務省、法務省および入国管理局、通商済産業省、法務省、建設省の共同主管の特殊法人を窓口に制度を発展させた。しかしながら、大方の国民が気づいているとおり、技能・技術移転とは名ばかりの単純労働や搾取労働の温床になった。研修生送り出し機関、日本の受け入れ機関ともに研修生に対するモラルの面で、その姿勢が問われた。しかし、問い糺すだけでは解決しなかった。

胡瓜は、新鮮なサラダや酢の物の他、漬物類についても消費者から人気が高いのだが、作物つくりの過程で胡瓜の芽を南瓜に挿す仕事がある。これは、根気があり、手先が器用な上に目がよくないと勤まらないという作業である。早い話、年寄りたちには負えない仕事である。少子高齢化の澱をよそには、決して回せない。この先、おいしい胡瓜を手に入れるのも大変そうな話である。

医師や看護師、介護師の世界でも人手が足りないが、国公立の施設が医師数や看護基準を満たせずにいる。他方、海外からの人材の受け入れには、職業人団体や当局の反発がある。豪州やフィリッピンの看護師、介護師のレベルは相当に高いことは国際的にも知られている。わが国に足らないのは、本当に人手だけの問題だけなのだろうか。雇用問題ではなく社会を支えるヒューマン・ウエア(人的資質)等の信用創造が、できなくなり始めているのではなかろうか。

(鹿)

日本は途上国なのか。OECD加盟国最低の人口比率医師数

生活

 社会保障問題に政局が大いに揺れた夏もやがて逝き、この秋から冬は、医師・看護師不足の悲惨な実態で寒気に襲われそうだ。妊婦が、産気づいてから受け入れ先がなく、たらい回しされ死産したという話は極端な話ではない。たとえば、過去に問題のあった奈良県は、無医村地域でもなければ後発の開拓地でもない。全国的規模で慢性的な医師不足や看護師不足から、今後もこのような悲惨な事態が起きる可能性はある。少子高齢化が叫ばれ、内閣に少子化対策の大臣がいてもこの有様。行政の無作為なのだろうか。

事は、さほど簡単なことではなさそうである。

まず、国立病院や国立大学付属病院が看護基準を充たせないような状況がある。

つまり、もともと厚生労働省や文部科学省のお膝元で、医学看護学教育養成機関が、医師や看護師を医療サービスに必要な員数を容易に確保できないでいる。

何かの間違いではと、思われるかもしれないが、中央官庁の直接の指導を受ける機関が、悲しいくらい情けない状況にある。

先進国と中進国によって構成されているOECD加盟30カ国中、人口比でみる医師数は最下位である。厚生行政は、なにをしていたのだろうか。これまでも年金の間違いだらけの支給計算や使い込み損失補填、カラ出張による裏金作り、厚生施設への不毛な投資、不祥事のもみ消しに忙しかったのだろうか。

ODA(政府開発援助)の予算を目の上のこぶのように、ヒステリックに削減を迫る市民や国会議員も多かったが、すでに最盛期に比してほぼ半減。特筆すべき国際貢献国家でもなくなった。それどころか、医療支援をするために国費留学生を受け入れていた国々に対して、日本の医師免許を取得させてしばらくお礼奉公してはもらえないかと相談すべきかもしれない。

他方、歯科医師の開業医院数は、すでにコンビニエンスストアを凌ぎ、ワーキングプアを生み出している。医師、歯科医師、看護師、歯科衛生士の養成に関しては、医療行政失策どころか無策状態ではなかったのではなかろうか。

 

地方分権が叫ばれて久しい。中央の役人は、机上で統計資料相手の行政プランを練るだけなのだろうか。一時期、医師数が飽和状態に迫るようなことが唱えられたことがあった。実態は、都市部に医師や開業医院が集中するだけのことであって、慢性的な医師不足の悩みから一度も解放されないできた自治体も

多い。実態に目を向けず、医療の質のために人材配置を見直す看護医療サービスの基準を変えれば、弱いところにしわ寄せは来るに違いない。研修医にその研修先を自由に選ばせるとすれば、便利で快適な研修期間が望めるところに集中するのは当然だろう。憲法は、最低限の健康的で文化的な生活を保障している。医療行政が、こんなお粗末では与野党のどちらでも国民の生命を護れまい。

(鹿)

「グローバル化は、人々の祈りに応えたか」

生活

 旧暦の七月七日のことである(2012年は、8月24日)。

中国では、旧暦の七月七日に牽牛と織姫を引き合わせることができるのは、夥しい数のカササギという鳥が年に一度、宙に橋を架けるからという故事による。

1980年代半ば以降の中国首脳部主導で改革開放路線の推進がなされ、その後の経済発展は目覚しく、沿海部の都市群は、内陸や西部からの出稼ぎ労働者の人口を呑み込んできた。その数は、年に千万の単位となっている。経済的な理由から強いられる出稼ぎは、婚姻関係や恋人同士にある男女を引き離し、年に一度は引き合わせるという故事から「七夕婚」(カササギ婚)なる言葉を生んだ。中国全土で、例外なき一人っ子政策が強いられている以上、七夕婚が引き起こすさまざまな家庭的な不幸は容易に想像できよう。

本来、社会や経済は、人を幸せにするためにある。

我々の推し進める国連支援活動も、活動を通して世界の人々を幸せにしたいという切なる願いや祈りからの自然な発露である。食料や医療支援などのように緊急性のあるものは別にして、本来の支援は自立を助けるためにある。したがって経済支援は、貧困がもたらす不幸から人々を解放する目的がある。教育支援は、人々の持つ潜在能力を開花させて未来を切り開くためにある。

 

中国の経済発展は目覚しいものがあるが、負の財産も多く背負う様子が見て取れる。当初、中国は世界の工場を標榜し、外資誘致を積極的に打ち出し、優遇税制や廉価な労働力で経済のエンジンをフル稼働させてきた。結果、外貨準備高は日本をはるかに凌ぎ世界一となった。もはや、途上国とはいい難い。

晴れがましい栄冠の一方で、急速な経済発展は深刻な環境破壊を生み出す。

その被害は、毎年GDP(国内総生産)の10%に達するという統計発表もあるほどである。全国の河川の70%は汚染され、農民のうち3億人は清浄な飲料水が無く、都市住民のうち4億人は、かなり汚染された空気を吸って暮らしており、国土の3分の1は、慢性的な酸性雨の被害下にあるという。統計によると、沿海部の25%の水質は、中程度ないし重度の汚染。近海部では55%の水質が標準に達していないという。

中国が、世界を相手に経済戦争に打ち勝った製品が、洪水のように流れてゆく。中国自体は、確かに経済発展で潤った。だが、都市住民は物価上昇圧力と厳しい生活環境にさらされて不安の中にいる。他方、農民は経済発展の中、蔑視され、出稼ぎ圧力にさらされている。そして、多くの労働者が劣悪な労働環境を強いられ不幸だという。民衆の為政者を見る目が厳しくなるさなか、グローバル化、中国語では全球化と書くが、人の幸せのために果たしてどんな意味があるのだろうか。あらためて問うてみたい。

(鹿)

「サダコの歌を知っていますか」

生活

 白龍をはじめとするモンゴル人。いまや身近なモンゴル人だが、原爆忌になるとモンゴルの人々を強く思い出される。そのことについて、触れてみたい。



その昔、モンゴルで食料増産支援と鉱工業調査分野の国際協力業務を遂行していたことがある。あるとき、ドライバーに少し長めの昼休みをやろうとして、「休んでいい」といったところ、後に先輩にしかられたことがあった。ドライバー氏は、休むには休んだが、「食事をしていいといわれなかったので、長時間労働の激務に関わらず昼食を摂らなかった」のだという。命令に忠実というか、馬鹿正直というか、あきれた。それから、モンゴル人のメンタリテイーに関心が高まった。



「サダコの歌」のことは、ご存知だろうか。内容は、辛く悲しい。

被爆し、快癒を願って、鶴を折り続け12歳でなくなった「被爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんのことを歌ったものだ。彼女は、爆心地から1.7キロはなれた自宅で被爆し、黒い雨を浴びた。後に被爆による白血病を発症し、亡くなった。実兄の雅弘氏によると、彼女は家計の苦しいことを察していて、本当に苦しくて、苦しくて我慢ができないときにだけ、注射をねだったのだという。

「根をつめて、折ってはいけない」という親御さんの注意にもあまり耳を貸さず、アメの包装紙を2センチ角に切り、針を使って丁寧に折り目をつけて鶴を折ったのだという。

現存し、手元に残る折鶴は5つ。

雅弘氏は、9.11の被災地の人々にそのひとつを寄贈した。

さらに、五大陸の人々に託していきたいという。事務総長バンギムン氏も「禎子さんの命は、自身が折った何千羽という折鶴の中に行き続けています。」と就任後、原爆忌に寄せている。

さて、世界史や日本史とくに近代史を十分に教えないカリキュラムのせいではなかろうが、広島長崎の原爆忌を知らない、終戦記念日やアメリカと戦争をしたことさえ知らない高校生が多い。なんとも憂鬱な気分になる。

ところで、「サダコの歌」。佐々木禎子さんの心情を察し鶴を折る様子を歌った曲。広島の高校生のどれほどが、歌えるだろうか。モンゴルでは、遊牧民を含めてほとんどの人々が歌える(ただしモンゴル語訳曲)。原爆も、被爆者の無念や祈りも受けとめて歌う。モンゴル人は、大陸的で日本人の細やかな心情がわからぬようだと誤解も過去多かった。彼らの名誉のために否定しておかねばならない。彼らは、サダコの歌を彼女の心中を察し、泣きながら歌う。

(鹿)