8月2012

蒲の鉾

生活

  この夏は、予想を裏切る暑さになったが、バルコニーで育てたグラジオラスは、思いのほかよく育ち、淑女がフレアスカートを装うように淡い花をいくつもつけた。グラジオラスの花鉢は、大きめにしてゆったりと植えていたが、有機肥料の効能のせいなのかよく草も生えた。人の勝手な都合で雑草と呼ばれる植物である。差し障りない限りはそのままにしておいた。

グラジオラスの鉢の中から、旧(盂蘭)盆の前後から急に長く伸びる植物があった。穂らしいものを先につけて一気に伸びるが麦の仲間でもなさそうだった。そうこうしているうちに立派な蒲になった。蒲の先は、色づいた鉾のようにも見える。長く細い竹の先に魚のすり身をつけて、焼きあがった竹輪のようにも見える。昔、「竹輪」は「蒲鉾」と呼ばれていたらしい。理由は、先のとおり、竹輪を焼いた姿の見た目が、蒲の鉾のようだからだ。

それでは、今の蒲鉾はなんと呼ばれていたかというと、すり身を台につけて

蒸したり、焼き色をつけたりしたので「台蒲鉾」と呼ばれたらしい。本来、本家家元の蒲鉾は、なんと呼ばれたかというと竹にすり身をつけて焼いたので「竹輪蒲鉾」と呼ばれた。時代とともに呼ばれ方が変わり、「台蒲鉾」は「蒲鉾」に、そして「竹輪蒲鉾」は「竹輪」に。「竹輪」は、本家家元なのに、上の名前だけで呼び捨てにされ、「台蒲鉾」の後塵に甘んじているといえば大げさだろうか。



有為天変といえば大げさかもしれないが、ものの由来には、れっきとした理がある。そうであるのなら、それをはっきりさせておいたほうがよい。また、

「漢字の書き取り能力」については、以前から心配されているとおりであるが、学生ばかりか大人まで、携帯メールで漢字変換を行ってばかりいては、そのように陥っても仕方あるまい。漢字で表記したとき、ものの由来が明確に現れるものは、多少書き取りが難しかろうと、国語委員もそのまま受け入れてほしいとおもう。漢字の本家中国では、日本字以上に略字が進み、原型が想像できないものが多くある。また、反日感情も横において日式漢字の輸入もしている。漢字の良さは、象形表意文字であるところである。この点、ヨーロッパ語族系の文字表記は、その点、ひとつの音や文字ではなんの意味を成さないことがほとんどである。

たとえば、語源がわからなければ、「カマボコ」と「カマトト」の違いもわかるまい。「カマ」は、ボコの前につけた場合と、トトの前につけた場合ではどのように違うかがわかりにくいではないか。ところで、かようなことにほとんどの人は無頓着でいる。口角泡を飛ばして議論を挑むような国語委員は、いまだに存在するのだろうか。近年のベストセラーの中に「国家とは国語なり」の文字を見つけた。品性、品格は、服のように気軽にまとったりできないものだ。

(鹿)