8月2012

P.Fドラッガ-博士の教え

生活

  映画「もしドラ」の主役を務めたAKBの前田敦子が卒業する。映画のネタ となったドラッガー博士の教えに印象的なものがある。

それは、今から25年ほど前に出版された博士の著書にあったものである。その教えは、「利潤は、事業の妥当性を検証するひとつの基準を提供するだけのものである。」というものであった。「利潤」が無ければ、事業は意味を無さない。「勝組」「負組」という、凡そ品の無い言い方が、大手新聞紙上にまで定着しつつある。こんな時代に博士の投げかけには、立ち止まってしばし考えるだけの意味がある。「利潤は、大切だが、全てを満たす万能なものではない」

 

「企業は、紛れも無く利潤追求を行う経済組織である。」利益を上げ、多くの利害関係者に対する社会的給付機能を担っている。言い方や利益・所得の処分の方法は違えども、給与、報酬、賞与、配当、税金などを支払う。それらの支払いは多くの人々を潤す。稼ぐ事は、実に資本主義社会の美徳である。

しかし、資本主義の総本山米国をして、深く考え込ませた時期があった。

1980年代、ジャパン・アズ・ナンバー1.と日本がわが世の春と謳歌していた時、 米国は、自信を失い、財政危機を見据え、小さな政府を国をあげて取り組まざるを得ないところまで追い詰められた。結果、危機意識が生まれ、NGO/NPO団体が多く生まれ、失業率が史上最悪となる頃、相互扶助の精神とともに非営利団体の雇用吸収力は向上し、それら団体組織の雇用Hが6%程度となり、現在では12%以上に達している模様である。



活況を呈する株式市場にあって、バブルの到来を願うような記事も専門雑誌でも見かける。自ら稼いでも、銀行に預けてあるだけなら、単に通帳に羅列した数字でしかない。いくら株式の含み益を誇ってみても、換金化し、具体的に支出し、何かに交換してみなければ、実体経済に接することは出来ない。少子高齢化は、加速度に突き進んできている。子どもは、国の未来である。児童福祉は、未来との対話そのものである。その未来が危うい。

この国の豊かさとは、なにだろうか?子どもの健やかな成長の危うい国に

なんの豊かさがあるのだろうか?子どもたちが、歓声をあげて走り回ることの無い町や村に誇れるものがあるのだろうか?経済は、経世済民である。身近には家計である。どこまでも、人の暮らしとともにある。産油国とて、自然災害により原油産出や精製力が低下し、金融派生商品の暴走によるあおりを受ける。国際石油資本も自ら生み出した金融商品によって、予想を越える危険域まで追い詰められたこともある。原子力に頼らない!には、何よりも覚悟が必要だ。原発停止を叫ぶ前に、なぜか覚悟を表明する声を聞かない。

(鹿)