8月2012

「お茶づくり名人Nさんの誇らしくも愚直な生き方」

生活

 鹿児島県の霧島市牧園町に住むNさんは、お茶作り名人と呼ばれるに相応しい。Nさんは、農林大臣賞と天皇杯を賜ったことがある。多分、このような方はなかなか輩出されない。例えば、お茶の品評会となると全国の産地では、農協や研究機関が摘みとりから製茶する過程を事細かにしっかりと指導する。そうやって産地を勝ち抜いたお茶が決勝に。審判を受ける段階にとなると20件くらいの出品数にまでなっている。出品されたお茶は、番号で呼ばれるので、最後の勝負がつくまで誰のお茶かもわからない。が、このNさんのお茶は、毎年、最後の決戦まで残っている。このような人は、関係者もNさんしか知らないという。その愛すべきNさんの誇らしくも愚直な生き方をすこし紹介したい。

 

平成の時代に入って、Nさんは天皇杯を賜った。お茶作り人生の集大成と言える。天皇杯を賜ったとき、緊張で賜った言葉を忘却。食事に何を戴いたかも分からぬまま、帰路を急ぎ羽田から鹿児島に向うことになった。そこで事件がおきた。セキュリテイ-チェックで、天皇杯を入れた木箱を抱えたNさんにX線チェックを通せと職員がいうのだ。Nさんは、表彰状を示し、「紛れも無く

この中にあるのは天皇杯である。」「陛下に賜ったものに、なぜX線を照射するのか。」と吼えた。散々のやり取りのなか、「空港長を呼べ。もし中身が天皇杯であることがはっきりしたら、皇居に向い詫びてもらう。」ということで話がついた。さて、X線の結果、中身が「陛下に賜った」それであることが明らかになった。Nさんは、空港職員を前に半狂乱になり、皇居に向って、ピータイルに頭をこすりつけ、時に頭を叩きつけ涙乍らに陛下に詫びた。我慢がならなかったのだろう。Nさんは、呆然とする空港職員を叱りつけ、或いは殴り、皇居に向かい詫びるように強要した。搭乗後も大変だった。職員の無礼を悔やみ、気持ちが一歩も引き下がれなくなったNさんは、天皇杯を抱えたまま離陸を迎えようとした。キャビンアテンダントが、「お客様、手荷物は棚の上・」「お預かりします・・」いくら説得しても耳を貸さなかった。が、隣のお客さまに移動していただき、「天皇杯」さまのお席を作り、シートベルトをさせていただき

離陸となった。Nさんは、返還までの一年間、天皇杯にもしものことがあってはならぬと、お茶畑と自宅の往復以外に出かけることも無かった。

Nさんのお茶畑は、なだらかできれいな丘陵にあり、東南向きの理想の場所にある。土作りのために惜しまず、積み上げた水はけの良い有機物の層が6メートルに達していた。霜とりのためにまわすファンの向きや天候にも気を配り、お茶畑がむしろ自分の家という感じだった。人々は、Nさんの人柄を愛し、遠くから足をはこんでも彼の製茶したものを買いもとめる。可笑しみさえあるNさんの言動だが、愚直さが名人の評判を作るのだろう。まさに誇らしい人生。