8月2012

ビールの神様S先生のベトナム暮らし

生活

 私が、JICA(国際協力機構)専門家として派遣された時にパートナーとなられたS先生は、国内外でビールの神様と尊敬を集めていた。見識・技術も一流だったが、なによりも物事に真剣に取り組む姿勢や謙虚に学ぶ姿勢が、人を魅了したのだと思う。その先生が、人生で乾坤一擲の戦いを挑んだことがあった。

S先生は、T帝国大学を恩賜の銀時計組で卒業して、研修の後、工場に配属された。S先生は、ミュンヘンに留学させてもらえるほどの学識や語学力を併せ持っていた。が、工場に配属されてからは、先輩や職長に怒鳴られ鍛えられて仕事を覚えた。よくQCサークルのことが、製造業の現場で話題になる。七つ道具と評し、グラフを用いた原因究明ツールの使い方も昨今指導するが、本質は人。3S運動、5S運動などと称し、躾(しつけ)、整理、整頓、清掃、始末を徹底的に指導することがある。有名大学卒業者には、この躾や整理整頓を馬鹿にする人間が多いと聞く。S先生によれば、正常に頭が働けば、自分の職場を日々観察する力がついて、導線や損失や利益の工場に直結する発見や発明をすることが出来るとのこと。また、日々の雑巾がけから機械の故障や効率の良いレアィアウトを思いつくようになるとも聞いた。エンジニアのS先生は、現場に生きた人である。

Aビールは、その昔からの名門企業であり、解体される前は、Sビールと合同していた。その昔、Kビールとシェアを争い拮抗していた。ところが、S先生

が代表取締役専務に就任して、技術畑の最高責任者となったころ、会社の調子もおかしくなった。売上が、大幅に下がり、財政が苦しくなると営業の士気が下がった。これが悪循環となり、研究開発費の大幅削減につながった。新製品をぶつけてもライバル企業とは、品質やイメージ面ではなされているという危機感もあった。しかし、一向に業績は改善しない。今にも沈みそうな会社だとして、メデイアからも夕陽ビールなどとも叩かれていた。なかなか勝てないライバルに、なんとか一矢報いたい。その思いだけで困難に立ち向かった。聴けば、あのSDビール。ビール酵母の兄弟が400くらいいると聞いた。おなじ、親兄弟をもつビール酵母であっても、生き物である以上、個性がある。400の子供たちの適正を見極め育て、SDビールは生まれ出でた。S先生は、Kビールなしに自己のキャリアもSDビールの登場もありえなかったと語っている。

その後、Kビールのリタイアした技術者と一緒に仕事がしたいと自らも楽しみのための仕事として、ベトナムの“333“(バーバーバー)ビールの生産管理や品質管理の指導に当たることとした。ビールの中では、雑菌が発生することが困難。水に当たる心配もないので、亜熱帯などで食中毒が心配な時、ビールはお勧め。また、ビール粕は、調味料、飼料、薬にも使えて捨てるところがない。333が、美味しいのは、S先生の熱い思いが詰まっているからか。