9月2012

越僑。逞しき人生の勝利者

生活

 先ごろ、ポーランドやドイツで垣間見たチャイニーズレストランで頑張るベトナム人の話を書いた。現在、海外で頑張るベトナム人は、殆どがボートピープルとして海を渡った人々と聞く。かつて、ベトナム人を数多く受け入れたオーストラリア。もてあまし気味の国土の開発と好ましい社会構成のためにベトナム人達に大きな期待をした。ベトナム人たちは、殆どが勤勉で努力家であることを否定しないが、寝食を忘れて頑張りすぎたり、自分達の文化(ベトナムの風俗習慣)を貫いたりで、移民の国の先人達に大きな反発もかわれてしまった。例えば、飲食店を持たずに屋台で頑張りとおし、財をなした人の中には数字に暗く、税法や各種法律に疎い人も多い。他方、このような人々をアンフェアだと厳しく糾弾する過激な白人系移民の先輩達も多い。

 

サイゴン陥落から三十数年経った。

そのときから、南側(南ベトナム)政府に特に関係の深い人々は、大いに未来を悲観し、一縷の望みをまとい、ボートピープルとなって沖の荒波に身をゆだねた。1200年も前の遣唐使ならありそうな話だが、20世紀に粗末な装備の船にすし詰めで乗り込み新天地を探すなどという航海は、清教徒の希望溢れる航海と違い冒険というほか無い。いつでも、命を落としそうな局面に襲われ続けるのだ。覚悟の航海とも言える。最近、日本にボートピープルとして渡り、日本国籍を取得した男性が、ベトナムで日本酒作りに挑み事業を採算に載せ、ベトナム女性と結婚し、子供も設け幸せそうにしている新聞記事を読んだことがある。南側の政府高官だった父を持つ彼は、父の下命でボートピープルとなり渡航した。兄とは、リスク分散を考え、別れて乗船。彼は、乗船時15歳の少年だったが、苦難の果てに3年後日本に上陸する。が、兄は海の藻屑と消えた。15歳の少年は、仕事と学業を両立させながら29歳で大学を卒業。やがて、ドイモイ政策による経済解放に沸騰するベトナムを訪れる。日本国籍を取得した彼には、なつかしい土地も投資対象として冷徹に品定めすべき物件になっていた。やがて、日本のカウンターパートに見出され、在ベトナム日本酒製造現地会社社長としての活躍の場を得たという。彼の思いの深さは、いかばかりか。積極的に海外からの資本を受け入れ合弁合作しているのは、地理的には南に位置している事案でも、本来、北側の出身者たちばかりである。南側出身の人々が、能力主義で重用されることは、まず無い。南側からの出身者で重用されるのは、ボートに身をゆだね冒険の果てに成功した「越僑」と呼ばれる強者のことである。ベトナムの経済的な基盤作りに貢献した外国資本は、徐々に役割を変えてゆく。最も有用な投資家こそは、人生を拓くのに命がけも厭わなかった元ボートピープルの筋金入り運命の勝利者、「越僑」たちかもしれない。