9月2012

逆日本史を是非、正課授業に取り入れてもらいたい。

生活

今の若い世代は、近代史をよく知らないといわれる。大きな理由は、ふたつ

だろう。ひとつは、先の大戦に至るまでの歴史に関して、アジアを中心とする諸国から認識問題を問われたこと。それによって歴史的事実が削除されて、有ったことが無かったような誤解を生むような体裁に成ったこと。例えば、帳簿に記載された勘定を相殺するときに帳簿の記載内容まで消しこみ、取引相手とのこれまでの関係が不明になったようなものである。これで、良いはずがない。歴史的な事実とその良し悪しの判断は、国家の良識が問われているのだろうから、歴史教育は、国家的な規模で真剣に取り組むべきだろう。

 

ふたつめの理由だが、これはカリキュラムの問題である。世界史も日本史も

古代から始まる。学校行事や受験スケジュールに翻弄されて、最終授業までに近代史の大事なところに辿りつけないでいるのだ。極端な例では、高校生が日本とアメリカが戦争をしたことを知らなかったり、終戦記念日を日本が先の大戦で降伏した日と認識していなかったりしている。いよいよ「終戦記念日も敗戦記念日と」語らねばならないのだろうか?



近代史では、日本と諸外国とのかかわりが、それ以前と比べ相当にましているために「国際化」や「平和」を学ぶためにも重要な学習の機会である。教育的なスケジュールが硬直化していて崩せないと当局が言われるのであれば、「逆日本史」や「逆世界史」なる教科書や科目を開発し、必須化を検討したらどうだろうか?20世紀は、戦争の世紀といわれた。日清戦争規模の戦争に置き換えて、実に70回程度のいざこざがあった計算になる。平和構築のプロセスは、

戦争がおきた原因より学ぶ必要がある。国際連盟や国際連合の生まれた背景や

安全保障の仕組みが機能しなかった反省など大いに学ぶ機会を提供したいものである。

 

未来を生きることは出来ない。過去も生きることは出来ない。可能なことは、

過去を直視し、今、可能な行動選択を最もふさわしくおこない、明るい未来を志向し、今を生きることだけである。良い結果を選択できないが、良い行動は選択可能である。未来につながる平和教育の手段方法として、是非、「逆日本史」を議論していただきたいと願う。

若い世代への近代史の教育は、責任ある大人達の大切な贈り物であることを分別くさい世代も自覚すべきだろう。家庭で歴史教育を始めようというシニア世代が、出てきてくれると世の中もっと元気になる。憂鬱な空気も晴れる。