9月2012

「三で割ったり、四で割ったり。あまりを分けたり。」暦の話

生活

 暦の話をしたい。これから先、瑞穂の国に豊穣な恵みがもたらされる。稲作と暦、自然への畏敬の念が神事にも結びついたと察する。ところで贈ったり、贈られたりの「中元」。「御中元」よりもサマーギフトといったほうが、華やいだ言葉に感じられる。「中元」があるのだから、「上元」(1月15日)「下元」(10月15日)も実はある。「中元」は、盂蘭盆会の最中にある。つまり、「上元」で新しい年を迎えられた喜びを分かち合う。「中元」は、半年間無事に過せたという確認し感謝をささげる行事である。「下元」は、一年の実りと無事を確認し合い、過ぎ行く年に感謝する行事である。「中元」は、盂蘭盆会に関係するだけに命と仏事に関わるのだが、一年を三つに割って生まれたものである。贈り物の習慣として、いつ定着したかは不明だが、贈るとしたら無事を知らせるにふさわしいものだったに違いない。

 

話は変わる。日本の一年は、四季に分れている。大陸から渡ってきた陰陽五行説は、五つの要素を季節や方位に当てている。

「冬」は、「水」「黒」「北」で本来あらわす。「春」は、「木」「青(碧)」「東」。「夏」は、「火」「朱(赤)」「南」。さらに「秋」は、「金」「白(金)」「西」となる。そうなると、どうしても「土」(黄・中央)があまる。

そこで、余りを「土用」という形で、それぞれの季節に割り振る。平賀源内の宣伝もあって、「夏の土用の丑、うなぎ」は定着しているが、「冬」「春」「秋」にもちゃんとある。「土用」が怖いのは、「暦」には「地軸がずれやすく、建設や基礎工事に向かない。」と書いてあることだ。迷信といえるかも知れないが、

「神戸大震災」は、「冬の土用の初日」に来た。古来、統計的に作った暦だけに

侮るわけには行かない。「一年を四で割って、余りを分ける」こちらは、神事に関係が深い。(陰陽五行説には、東西南北に加え、真中という方角の概念がある。)

一般的に、日本が「西洋化」されたのは「太陽暦」の導入に始まる。

日曜日を、皆で休息をとる日に定めたときも、大方の日本人は、農業に従事し、

休む事など出来なかった。農閑期は、閑ではなく、一年の疲れを仕事のように真剣に癒すか、或いは鋤きこみによる土作りなどに追われたことだろう。商人や職人は、盆と正月しか休めなかったから、親元を離れた幼い働き手の小遣いをもらう楽しみや盆・正月への思いは、なかなか伺い知ることも出来ない。

遡ること60年、終戦直後、国土も人心も荒廃していたことだろう。それでも、山紫水明の敷島を支えていた多くの勤勉な民がいたからこそ、汗をいとわず努力する民があったればこその今日現在。理不尽にも斃れた多くの国内外方々に、心からのお悔やみを。そして、この国の先人に合掌。

(鹿)