9月2012

国際教育は、まず世界地図から

生活

 日本地理学会の「世界認識調査」の報告を読んで驚いたことがある。

大学生、高校生の40%超が地図で「イラクの位置」を示せなかったとのこと。信じられないがアメリカの位置でさえ、大学生の3%、高校生の7%が分からなかったとのこと。さらに北朝鮮についても大学生の10%高校生の24%がおぼつかなかったと嘆きのトーン。

 

日本は、果たして国際化についてどのような認識を持ってきたのであろうか?経済活動だけに関心が強いばかりで、交流する国々の文化や歴史に純粋な関心を寄せる精神的な余裕など、持ち合わせていなかったのだろうか?「国際人」と言えば、「英語が話せる上品な人」を連想し、外国と言えば「欧米」一辺倒で「海外旅行」といえば、「ハワイやヨーロッパ」にばかりを思い焦がれていなかっただろうか?「いびつな恋愛感情がもたらす身勝手な行動」のような気恥ずかしいことをしていなかっただろうか?良識ある大人は、赤面と身体の硬直に襲われそうである。

 

対策として家庭で世界地図を掲げることを勧めている。「トイレも良いロケーション」だと推奨してもいる。

時に面倒で、気も重たく感じるのだが、ことあるごとに、国や地域の話をするのであれば、「位置図」を示しながら話をすすめたいものである。また、国や地域の背景にある文化や歴史と向かい会う時には、「目線」のあり方も問いながら話を進めたい。

 

戦後67年は、敗戦67年であり、ほとんどの世界の国々が、対日勝利67年である。「終戦記念日」には、「盛大な対日勝利慶賀」に再び厳しく歴史認識を問われた。立場を変えれば、そして誠意ある対話によっては、歴史認識に違いのあることや温度差のあることは、相互に理解できることかも知れない。また、違いを超えて共通認識ももてるや知れない。しかし、誠意ある対話を行うべき相手の国や地域の位置さえも知らない多くの若者のいる国に、「国際」を語る資格があるのだろうか?と落雪の袋小路に踏み込み、行く手に惑うが如くの心境になりそうである。

 

「日本の若者にも誇りを取り戻すが為にも国際理解教育」という「高い目線」

を示していくべきだろう。家庭や職場に掲げる地図の位置もよくよく考えてみたい。国連加盟の国や地域の数は、昨年末に193(南スーダンを含む国と地域)となった。

 

(鹿)