9月2012

商いと始末。三井高利の教え

生活

 ここのところ、「モラル」と言う言葉が、巷間を激しく飛び交っている。

世界的な証券会社の野村證券が、もっとも卑しく下劣な評価をいただいた

のは、もっとも初歩的で最低限のモラルを保てていなかったことによる。

かような世相を背景に、猫も杓子も「モラル、モラル」と口角に泡を飛ば

している。日本で商道徳らしき規範を作った者といえば、三井高利を思

浮かぶ。

 

さて、高利は、越後屋と合併し、三越として店を盛んにしたが、言わずとしれた三井財閥の祖である。永きにわたり、受け継がれた商いの心の礎石とも言うべきものは、いかがなものだったのだろうか?思いを馳せたい。

高利は、伊勢商人である。伊勢丹、松屋、松阪屋、の大百貨店とともに、お伊勢参りの全国からの参拝客に、藍染めなどの木綿丹を勧めていた呉服商

である。なにせお客は全国から参る。それも一生一度のお伊勢参りと力が入っている、土産の選定も、選別をくれた人を思い、親兄弟を思い、気をもんでいる者たちに違いない。だからこそ、正直を旨とし、礼儀を重んじ、親切

であれと日々説いた。さて、営業のことを「商い」といった。飽きないようにせよというので「あきない」、「商い」になったとも聞くが、正直確信がもてない。充て文字で、日本の読みが付けあれているが、本来、中国の字源に従えば、商は、女性自身を表すので、資本のCAPITALと同様、殖える

ことや生み出すことを意味するのではないか?あるいは、岡に立つという字の組み合わせと考えれば、人の往来のあるところに成り立つものと読めなくもない。ところで、帳簿方のことである。これは「始末」と言った。英語では、ピリオドだから、日英ともに同意語だと考えてよい。

 

高利は、「始末」の大切さを日常習慣から教えた。例えば「雑巾がけ」。始末は、清掃につながるのだ、硬く搾った雑巾で、朝早くから板間の雑巾がけをさせたり、店の隅々まで清掃を奨励した。丁稚奉公は、清掃の躾を文字通り美しく身につけさせた。徹底して「始末大切」を教え込んだのだ。これは、3S、5S運動にもつながる。つまり、整理、整頓、清掃、清潔、躾などにつながる。よく大卒の新人が、馬鹿馬鹿しいという5S運動である。ここで、馬鹿馬鹿しく思う奴が大馬鹿者である。なぜなら、資源小国技術大国の日本が生き残れたのは、TQC~トータル・クオリテイ-・コントロールに尽きる。これは、全的な5S運動に他ならなず、三井高利以来の精神文化だと考えている。それは、今も現場で、導線や適正在庫、材料供給、生産管理などにつながる。技術革新と価格競争こそは、世界に冠たる雑巾がけの心である。