9月2012

桃李もの言わざれども、下自ずから蹊(みち)を成す

生活

 この出辞は、史記にある一節である。皮肉なことであるが、此処から命名された成蹊学園は、首相も輩出するにも至っている。さて、話は戻り、この一節。本来の意味は、「有徳」のもとには、その崇高な人格を慕って、多くの人材が集まってくるというものである。

比喩として日本人は、桃や李(すもも)の花が美しいので、多くの人がそこを訪れ、それゆえ自然に道が出来るのだと解釈してきた。中国の人々は、花ではなくて、桃や李の実が美味しいから人々が集まるのだとした。結果、その樹木の下に蹊(こみち)が出来るのだと解釈してきた。いずれにしても、もの言わざれども自然に蹊ができるというところが素晴らしいのだろう。

 

年が明けて最初に咲くのは、梅の花である。そのあとに桃が続き、李、杏、桜と季節を彩ってゆく。日本人と中国人の桃李に対するイメージが花と実ほどに違う。中国人が、梅を国花にしたのは、「匂い」が良いからか。いや、歳の最初に咲くからか。あるいは、実が美味しく食べられるからだろうか(中国人は梅干のように酢っぱい保存食は作らない。干して砂糖漬けのような甘い茶菓子風につくる)。欧米人も桜のチェリーや李のプラムと聞いて薄紅や白い花を思い浮かべる人はいないようである。美味しい果実を思い浮かべるようである。日本人が本来持つ美意識とは、花のある心象風景のようなものではなかろうか。

 

梅のことにふれて、中国在留日本人孤児の話を思い出した。

その昔、東京地裁におこされた孤児たちの訴訟のことだ。帰国が遅くなったことに対する賠償訴訟で、国に賠償責任がないという判決だった。これに対し、成蹊出身の首相は、孤児の方々も日本語が不自由であり、政府として、高齢の方も多いので支援策を検討したいとのことだった。首相のコメントを聞いて腹が立った。

中国東北地方に入植した日本人は、長野県人が多かったが、殆どが農家の次男坊など耕作する土地をもたない人ばかりだった。移民というより、口減らしであり、棄民である。一方、満州国創立を果たした関東軍や官僚も中国東北地方に進出した。が、ロシアの一方的な宣戦布告による侵攻の中、事故を除き、全員無事に日本に帰国している。官は、無事。民だけから、残留婦人と残留孤児が生まれた。婦人方は、多少の意思をもって中国に渡ったかも知れない。では、残留孤児は、勝手に残留し、孤児になったのだろうか?戦後生まれの宰相の歴史認識が不十分なのか。あるいは、思いがおよばないのだか、徳が無いのか。おなじ李の箴言でも、「李下に冠をたださず」(疑わしきはしない、避ける)に倣わず品のないことばかりが、やたらと眼に入るご時世が残念でならない。