9月2012

天府の国

生活

 その土地は、天府の国といわれる。年が明けると間もなく、地上見渡す限りを菜の花が埋め尽くす。その黄色い大地は、四方八方に数百キロも伸びる。

この土地は、地味豊かで数が知れないほどの農産品をもたらして来た。

うがった言い方をすれば、岩山に囲まれた大きな盆地と考えたらよいだろう。ただ、一番外側にチョモランマ(エベレスト)という形容しがたい垂直に延びた壁のような頂きがあるのだが。日本に梅雨という独特の雨季をもたらすのは、夏に向かっての季節風が、チョモランマに吹きぶつかる。そして、湿った空気と雨雲を日本に送り出すからに違いない。したがって、瑞穂の国を生んだのは、かの国の天に向かって聳える頂やかの国の気候のお陰に違いない。

 

古くは、三国志の「蜀」の地。劉備玄徳や諸葛亮孔明、関羽、趙飛などの活躍に、古典の好きな人々は心驚かせたことだろう。この四川の地の人々に関する私の印象は、大柄な体躯の人があまりいないというものだ。温暖で、地味裕かで、農地や自然と生きる小柄な明るい人々が多く暮らす土地という印象が強い。私は、国際協力の公務で四川省の第二の都市綿陽市で、足掛け2年指導をしていたことがある。判官ひいきのような「蜀」の民の気分で暮らしていた。

 

少年の日、横山光輝の漫画で三国志を読み、後に、吉川英治の演義を読んだ。

いつの日か、五丈原や孔明の墓、武候祠(四川の省都成都市にある玄徳と孔明を祠る廟)に参りたいと願った。後に国際協力の仕事を望み叶ったとき、最初の仕事が、五丈原のある陝西省宝鶏市。続いて、孔明の墓のある漢中市で仕事をさせてもらった。そして、四川省の成都や綿陽市へ。不思議な縁である。

四川省には、5つの世界歴史遺産がある。仕事をしているうちに全て、ご当地に伺い拝見した。みな驚くべき景観ばかりだが、心底驚いたのは「都江堰」である。この水利施設は、2300年も前に当時の秦王に命じられた「李冰」が作った産業遺跡である。上海まで、この地から直線で1500キロ。上海から長江を遡ること3000キロ上流の支流、「岷江」という川に鎮座している。支流となめてはいけない、「都江堰」の取水口によっては毎秒700トンもの水を配分している。水利は、とかく揉め事の原因。命の源、人や食料の通り道。多目的な巨大な2300年前の産業遺産が、現在まで使われ続け存在していることが驚異である。遺跡近くにかかる夫婦橋という吊橋など懐かしい風景が、メデイアから悲報とともに伝えられてくる。その昔、橋の袂で毎日、石礫を投げていた。3000キロも上流とはいえ、支流とはいえ、長江の向こう岸まで届かせたかったのだ。頑張ったが、一度もとどかなかった。懐かしい思い出。

四川は、震災復興を果たしたと聞くが、雲南のことが気になる。