10月2012

あえて考えなければならないこと

生活

 中国の成長発展が調整局面や後退局面にあると多くのメデイアが伝えている。秋葉原の免税店や銀座の高級店などでは、到底、平均的な日本人には想像も及ばないような中国人観光客の購買力が発揮されてたが、訪日自粛によって、中国人観光客に購買行動を期待する一方のあり方をいま一度、考え直す時宜を得ていよう。

これまでのところ、築地でマグロを最高値落とすのは、たいてい香港のすし王と呼ばれる日本滞在経験のある青年実業家である。マグロは、有限資源の管理意識を各国が共有できれば、海洋汚染も起こさず、安定して確保できる資源に育つ可能性もあるだろう。セリの見学マナー違反がひどいと締め出しも起きたが、日本経由で消費されるマグロは、いずれにしてもチャイナマネーに煽られ、日本人には高値の花になった。マグロは、食文化輸出の仇花なのか。

中国が豊かになって、水産資源だけでなく食料需要が大きく変わってきた。

たとえば、食肉。日本では、一般的に牛が高級であって、続いて豚、鶏と続く。

中国では、伝統的に日本とは逆である。家鴨や高級な鶏が最高級とされ、続いて豚、もっとも大衆的な食肉が牛であった。あったとするのは、価値観が変わりつつあるためである。

たとえば、農産品の商標問題。日中間では、周知の如く新たな摩擦のタネ。

「コシヒカリ」「ササニシキ」「松阪牛」「青森林檎」など高級な食材が、中国で商標登録されてきた。日本側は、知的財産を犯されまいと係争反証の手続きに追われている。それだけ、中国の伝統的な食が、日本や欧米の影響を受けて変わりつつあるということである。肉牛の穀物肥育が盛んになれば、途上国の貧しい人々の穀物が奪われ、牛の口に入り、やがて精肉となって人の口に入る。乳牛とて、草を食み排出する二酸化炭素で、地球環境を悪化させ途上国に多大な被害をもたらす。

尾篭な話で恐縮だが、鶏は口から入れたえさのうち、栄養分を9割がた吸収することがでずに排泄してしまう。それだけにおいも強いし、鶏糞肥料は使い方に工夫が要る。牛の場合、肉1キログラムの生産のために糞尿が50キログラムになるという。乳牛の場合は、1リットルの牛乳を生産するのに、3リットルの糞尿が排泄されるという。この処理は大変である。

牛の糞尿が、発酵されずに地下に流れると地中深く浸透し、粘土質の層で横に広がり、水質汚染大きくして、やがて川や湖、そして海洋の汚染につながってゆく。現実問題として、土壌汚染や水質汚染が起きている畜産・穀倉地帯は存在している。他方、これら始末に困るものも資源に活用できれば、安定したメタンガス源や堆肥や液体肥料になる可能性もある。生かせば資源の宝庫である。食材ばかりでなく、循環型環境保全システムの発想も輸出すべきである。

生態系への配慮と地域活性化

生活

 ようやく秋冷を楽しめるようになってきた。本年をこれまでを振り返れば、多くの人の大きな関心の中に、地球環境と異常気象問題が挙げられることだろう。思うに、これらのテーマは、今や地球に住まうすべての人々の関心事に違いない。もはや「百年に一度の異常気象」という表現や「観測史上初の」という形容詞も陳腐化しつつあり、「異常であることが常態化しつつある」に違いない。

コウノトリの保護で有名になった兵庫県豊岡市で、「コウノトリが育つ米作りで地域が経済的に潤う」という調査報告が、昨年発刊された。

その報告書の要旨は、「地方自治体が生物多様性に配慮した施策を打ち出すことで、地域経済の活性化や住民の生活向上が実現できる」とする報告書である。

発表したのは、国連環境計画(UNEP)などが主導する「生態系と生物多様性の経済学(TEEB)」のプロジェクトチームである。

ご承知の通り、豊岡市の試みはコウノトリが野生復帰できる生息環境を整える必要がある。そのために餌場となる水田に小動物が増えるように米の無農薬栽培を奨励し補助金を出してきた。直接的には、補助金を出して環境保全を図る事業のようにも見える。実際は、コウノトリの野生復帰を目指す活動が観光客を呼び込んだ。COP10では、世界的に失われた生物多様性が一番の注目を浴びていたが、豊岡市の試みは、生態系に配慮した政策によって、経済的な価値の創出も可能なことを示している。

 

前出の「生態系と生物多様性の経済学(TEEB)」チームによれば、生態系の破壊による損失は、世界で年間最大で4.5兆ドル(380兆円~1ドル=約¥84.5)に相当すると分析結果を発表している。報告書の結論として「自然の恵みは、持続可能な費用対効果が高い解決策を提供してくれる」としている。地域ぐるみの活動が実り豊岡市で増えたとされる観光客であるが、国連環境計画(UNEP)によると、以前に比べ1.4%の経済効果があったとの試算がある。これを少ないと見るか多いと見るか。

いずれにせよ、維持するにしても莫大な予算がかかる環境保護活動において、

費用対効果を示せるような事例があることが驚くべき事例なのかも知れない。

赤ちゃんは、欧米でコウノトリが運ぶといわれてきたが、コウノトリの野生復帰が生み出す環境は、未来を担う世代にとって好ましいに違いない。本年は、さらにトキの成育環境に適した水田でつくられたコメが、ブランドコメとして認知されたというニュースがメデイアで取り上げられていた。環境への配慮はコスト負担ではなく、ブランド投資のようである。トキを贈った中国も日本も世界に冠たるCO2廃出国。望まれることは、環境先進国に向けた舵とりと。

学ぶことの意味

生活

 先ごろ、水墨画を習い始めた76歳の叔父が学ぶヒントを得たいとのことで、叔母を伴って上京してきた。京都まで地元の鹿児島から新幹線で乗り換えなしで行き、1泊して美術館周りをして、さらに東京まで新幹線。疲れなかったか?聞いたが、興奮して眠れなかったり、楽しかったりだと老夫妻が語るのがおかしかった。昨年、叔母から良人が水墨画を学びたいといっているが、大丈夫だろうかと相談を受けた。水墨画や日本画は、七十からといわれているから遅くもないといっておいた。第一線を71歳で退いた叔父は、平均週に3回ほどゴルフに出かけ旧交を温めている。他方、体力づくりに熱心で週に3回は、アスレチックやプールで汗を流している。もちろん、さつま芋本格焼酎の晩酌はかかさない。水墨画は、毎週一度、あるいはゴルフに出かけない日に稽古をしているようだ。まじめに稽古をする叔父は、80歳で陶芸を学び、水墨画の技法を生かして絵付けをしたいと目標を立てている。

叔父のことを話せば、きっと世間のひとは「余裕があるから」という言い方に傾きがちになる。たしかに、精神的にも経済的にも窮していては、ゴルフとアスレチックと水墨画ということにはならないかもしれない。しかし、学ぼうという気持ちが強く無ければ、何事も身につかないだろうし、体力の衰えに抗うことができまい。幕末の儒学者の佐藤一斎の著書、「言志晩録」に以下のくだりがある。

少ニシテ学べバ、即チ壮ニシテ為スアリ

壮ニシテ学べバ、即チ老イテ衰ヘズ

老イテ学べバ、即チ死シテ朽チズ

 

どうせ人は、どんなに努力をしても必ず最後は死ぬが、死シテ朽チズという生き方があることを知っていたら、自らを取り巻く景色は随分と違ったものになるに違いない。水墨画の源は、明らかに中国にある。今日、日本では独自の発達をしているが、宋の時代に禅宗や茶とともに僧らによって伝わってきた。

さらに遡れば、学僧らが命がけで海を渡り、数十星霜をかけて伝えた経典や仏教美術もあったはずである。努力をしたものがもれなく報われたのなら幸いだが、海の藻屑と消えた者たちの数も夥しい。かの海は、本来、命を賭して渡ってきた海である。航空機で気軽に渡航できる時代であっても、先達らに思いを馳せて渡るくらいの心構えもあってよいのではないだろうか。

尖閣問題に過激な意見をする日本人は、ほとんどが中国に旅行したことがあっても、国情について良く知らない。そして、過激な反日行動を起こした中国人も、まず日本に行ったこともなければ、日本の友人もいない。日中国民は、命がけで渡ってきた海を前に、相互に真摯に学ぶ意義を再考できないものか。

親心

生活

 先日、昔の同僚と11年ぶりに都内のホテルであった。お互い、髪が薄くなったり、白髪が増えたりしてはいたが、待ち合わせの大きなロビーで遠くからでも、すぐにお互いを見つけられて、がっちり握手をした。

昔の同僚のK氏は、以前「仕事の鬼」といった形容がふさわしく、40歳になっても仕事一筋で、家庭を持つことをまったく考えてもいなかったようだった。その彼が、3年前に結婚し、1年前に男の子を授かったのだという。

K氏とは11年ぶりにあったのだが、彼の顔の皺は年のせいではなく、愛息を見つめる顔の目じりが、自然と下がるせいではなかろうかとおもうしだい。

 

K氏は、神戸に所帯をもうけているが、彼が所属する組織の本部のある東京出張や海外出張も多く、愛息をお風呂に入れることがおもうようにできないのだとか。愛息が生まれてから、社会や未来に対する意識が変わったとK氏はいう。たとえば、社会保障制度については、健康保険の負担率や年金の掛け金の問題を自分の世代のことまでしか考えられなかったが、『税と社会保障の一体改革』について、愛息が自分と同じ50歳代になったときのことまで、考えられるようになったと。

そして、東日本大震災のこと。愛息の誕生後、命の問題や地球の未来のことを真剣に考えるようになったとK氏はいう。子を思う親の気持ちなど、愛息が生まれるまで理解できなかったと。子を授かり、子の将来を思う心情が理解できるようになったがゆえに、3.11以後、子を遺して逝ってしまった親たちの心情を思わずにいられないという。親は、命が尽きる瞬間まで子のことを心配し、祈り、願い、思いを遺して逝ったのではなかろうかと。

 

実は、彼は中国籍である。また、中国山東省で生まれ育ったが、実の祖母が日本人だった。一方のルーツである日本に対する関心が高くなり、中国で高校を卒業した後は、大学進学に祖母の血縁を頼り、関西の大学に留学し、優秀な成績で卒業、そのまま日本と中国との交流を促進する特殊法人に就職した。日本語が堪能といっても、関西弁まるだしの”おっちゃん”である。抗日戦線を戦った血縁者の多いK氏は、ともすれば日本に批判的な態度をとっていた。

でも今はがらりとかわり、オリンピックをはじめ日本と中国とが戦う競技は、

すべて日本を応援、サッカーの日本代表ユニフォームレプリカも買った。

K氏は、日本人の血を引く我が子の存在が彼の意識を変えたのだという。

ならば、もし日中両国民が、お互い自分の子どもや孫が、相手の国で生まれ、そして暮らしてゆくとしたら、お世話になる国や国の人々を大切に感じられることだろう。これから先、お互いの未来を穏かに見守ることはできないものか。

人に寄り添うということ。

生活

 日本国が、周辺国との緊張関係にあることが続くのは、久しぶりのように思う。国と国の交わりのことなのだが、基本的には、個々の交わりの大きな束のような風に考えたほうが、とても自然に思えるのだがいかがだろうか。

日中国交40周年の慶賀にあたり、本来は南西海域の無人島の画像ではなく、

眼に多くするはずの田中角栄元総理と周恩来国務院総理の固い握手。国交回復には、当時の米国と中国との国交回復の下地があってのことだろうが、知日家にして人民の信も厚った周恩来総理と庶民の人気の高かったコンピューターつきブルトーザーの田中角栄総理の相互信頼がなければ、国交回復実現はなかったことだろう。両国は、その時、実に得がたいリーダーをいただいていたのだろう。そして、尖閣諸島問題で厳しく主張がぶつかり合うさる9月、日本国の財界や政界のリーダーたちが中国に渡ったのも、これまでの歴史を積み重ねてきた先人たちに思いを馳せることも少なからずやあっただろうと想像できる。

 

東日本震災発生以降、日本国では人を励ます言い方や援けようとする言い方に、変化が現れてきているように思われる。善良な日本人の意識の深いところで、変化が起きているのではなかろうか。また、メデイアの伝え方や広報のあり方など社会全体として、被災者の心情や支援にあたる方々への気配りが、なされていると感じられることも多い。

他方、被災した自治体が縋ろうとする国の財政は頼りなく、為政者の方針も不明確で、先の見通しが明るいニュースをとんと耳にしたことも無い。相変わらずの政治家の失言にも、さほど驚かなくなった。私達は、いかに気持ちを合わせ進むべきだろうか。

当面の住まいの確保と日々の暮らしに困らぬような最低限の支援がなされれば、被災者の方々も精神的な落ち着きを保たれることだろう。しかしながら現実は、仮設住宅が子どもの通う学校に遠いとか、医療機関に通う足が無いなどの理由から、難儀されていると聞く。災害支援法で適用の可否もなんともちぐはぐな復旧復興行政である。政治状況は、与野党間、政権与党内も被災者の方

に安心感をもたらすような政治状況にはるか遠い。

 

さて、被災者の方々の暮らしの中で、深刻な不安のひとつが医療支援体制で

あろう。震災後、心臓に病気を抱える人や高血圧の人が、常用する治療薬が手に入らず、体調をくずして亡くなるということが多く報告されていた。

人工透析を必要とする方は、透析の回数や時間が充分にとれないと重篤な状態に陥ることも予想される。ただでさえ、医師不足が深刻化している現在、医師や医療従事者のボランテイアに負ぶさるようでは、医療体制の崩壊は時間の問題だろう。もちろん、医師や看護師に加えて医療スタッフが、揃いさえすれば問題解決するというものでもない。また医療が、どんなに発達しても簡単に寿命を延ばせるというものではない。新しく良い医薬品が開発されても、さほど日本の平均余命が延びてはいない。医療が、従事する人を含め幸せにするというのであれば、ここまで深刻な医師や看護師不足を招いただろうか。

東北の方々は、地縁血縁の色が濃い。事実、東北人同士で血縁を結び、地縁血縁に対する思いが深くて大きい。だから、震災によって、仮に一時的にせよ在所を離れることの喪失感は、相当なものがある。東北の人々は寄り添って長い時代を生きてきたのだ。結局、どんなに科学技術が発達しても、成熟した豊かな社会とは、市民が寄り添い合い、支え合う社会のことに違いない。大昔から集落を形成してきたように、まずは地域社会の結びつきを再生することだ。

どこまでいっても、人と人との結びつきが、やがて国を容づくり、そして国と国とのつながりを再び強くしてくれることだろうと信じたい。

公共の利益と大義

生活

 東日本大震災復興事業や原発稼動問題をメデイアが、3.11以降、取り上げない日はないように思う。原発の安全性はいうまでもないが。極度な節電を

しない限り、「公共の利益」というフィルターを通して、相互利益の調整作業を

進めるしかない。だが、言うは易し、行うは難しである。

昨年、「公共の利益と大儀」を考えさせる事案が生じた。

以下、概況を説明したい。東京都八王子市が、八王子簡易裁判所を建て替えるために、国が出した建築確認申請について、高齢者や身体障害者が利用できるエレベーターが無い事を理由に、計画を変更しない限り申請を認めない方針を決めたというものであった。

 

建築確認申請は、司法機関でも法律に則り行わねばならず、例外など認められない。簡易裁判所の言い分としては、建物は2階建てであり、国としては、「エレベーターが無くとも、バリアフリー新法や都条例に違反しない」との見解を取っている。他方、八王子市は、誰もが利用しやすいユニバーサルデザインを推進する立場から、「国の建物は、自治体や民間の手本になるので影響が大きい」として、後に引くような態度ではない。

国土交通省建築指導課によれば、バリアフリー新法は2階建て建物にエレベーター設置義務を課していないが、地方自治体による上乗せ規制を認めており、

都条例では2階建てでも対象になる。ただ、「不特定多数が利用する」などの条件があるが、簡易裁判所側の窓口である最高裁経理局の見解は、「不特定多数の人は利用しない。車イスの人が来ても、1階部分で対応できる。法的な問題は無い」としている。

この問題は、「法律的には問題ない」と最高裁判所側が明確に見解を示しているので、両者が態度を硬化させると解決がいよいよ難しくなる。

裁判員制度は、実施後さまざまな問題を提示してきているが、開かれた司法の実現や国民感情を反映した判決の実現と言う点では、大きな成果があったように思える。

この問題は、法治国家として法的に問題が無ければ、積極的に権利を認めよという具合に考えるべきなのか?あるいは、主権者たる市民に行政サービスはどのように行われるべきなのか?大いに議論を戦わせる意味があると思われる。

 

かような問題こそ、予算査定のあり方を議論するのに良質な材料になると思われる。「不特定多数」が公共の利益の判定を行う「ものさし」だとすれば、何をもって「不特定多数」とするのかである。法律に抵触しなければ、真に良しとするのだろうか。さらに、外交ともなれば、公共の利益の大儀はいかがせん。

自助自立自強こそを支援

生活

 アメリカの第二国歌とまで言われる「アメージンググレース」。2005年11月6日に亡くなった本田美奈子さんが、生前大切に歌ってきたため、ずいぶんと日本でも親しまれている。だが、曲の背景にあるものは哀しい。後に牧師に転職して神に許しを請うたとされる作詞者ジョン・ニュートンは、かつてアフリカで奴隷貿易に手を染めていた人間である。神は、奴隷貿易船を降りて、非人道的行為を反省し、勉学に勤しみ、聖職者に転職し奴隷解放運動や社会貢献を行ったジョン・ニュートンを祝福したかもしれない。だが、アフリカでは奴隷貿易全盛時代に、欧米列強の手先となった力の強い部族が弱い部族を襲い、まとめて奴隷船に売り飛ばしていた史実もあり、いまだに部族間の憎しみは癒えず、和解が進んでいるとは言いがたい。奴隷貿易では、黒人らは家畜以下の扱いで、薄暗い奴隷船に押し込められていたため、病気などで命を落とす者が後を絶たなかった。現在に至るまで、奴隷として黒人をさらった国々で、先祖が拉致され、奴隷にされた被害者である彼らに対する偏見や差別がなくならないことを思えば、言いようのない無力感が漂う。



アメリカテレビ映画で一世を風靡した「ROOTS」という作品があった。主人公の「キンタクンテ」のことを覚えていらっしゃる方も多いだろう。彼は、北アフリカの海岸から船で奥地まで遡れるガンビア川のほとりから連れてこられた黒人を祖先に持っていた。英国人らは、奥地深く川の支流を分け入り黒人らを拉致してきたのだ。小職が関わる団体の活動家が、ガンビアで奨学金制度を運営している。また日本の水墨画を普及啓蒙する活動により、能力開発された彼らの墨画が日本で評価されている。結果、奨学金以外に筆の力で学資獲得も可能となる。そのことが大いに彼ら自身の励みとなっている。ところで、ガンビア川のほとりに印象深い像が立っている。それは、女児が父親にひれ伏し、学ぶ許しを請う像である。

読み書きや計算の教育は、可能性の扉を拓く尊い事業である。以前ご紹介の垣見一雅氏は、支援者とともにネパール国で2万人の子供たちに読み書き計算の教育支援を達成した。在日ネパール大使は、報告会で2万人の未来を切り開いた壮大な事業と賛辞を惜しまなかった。さて、ガンビアに話を戻す、少年らの一番人気職業はプロサッカー選手である。米国のNGOが奨学生として招いた少年が、サッカーに有能でプロ選手になった。ガンビアでは、サッカーボールでさえ不足しているのに。先ごろ、ガンビアから帰国した方は、同国へサッカーボールをお土産にしたという。やがて、そのボールを追いかける少年らから豊かな才能も生まれるかもしれない。ささやかでも、人の幸福や人生を豊かにする手伝いのために自助自立自強を援けられることは多い。

後世の人に評価をゆだねるという態度

生活

 良書を探すために、様々なの書評を利用されることがあると思う。

小職は、よく新聞から書評を切り抜くことがある。全国紙の書評には、意識的に目を通すようにしているが、なかには著者や出版元に明らかに阿るような記述もあり、参考にしたいと思うようなものは少ないのが実情である。

 

さて、以前、新聞の書評にとてもよいものがあったので切り抜いておいた。ご紹介したい。著者の名前は、大平裕。著書は、「日本古代史 正解」(講談社)。

書評を読んでみたい。書評というより、読書や歴史に対する姿勢に注目した。

 

“歴史についての判断を求められたときに、政治家やジャーナリストの用いる常套句に「それは歴史学者による検証に委されるべきだ」といったものがある。歴史学者にして初めて客観的な歴史の解読が可能になるといいたいのだろうが、私からみれば歴史学者ほど歴史を恣意的に扱いうる立場の人間もほかにいない。”

いかがだろうか、このくだりを読み書評に引き込まれてしまった。

平易な表現だが、心理をしっかりと捕らえて話さない筆の運びである。続けてみたい。

“時代の思潮におもねってであろう、史実を特定のイデオロギーに引き寄せ、自分(自派)に都合のいいように紡ぎあげたものが、戦後日本に一般的な近現代史である。困ったことに中学や高校の歴史教科書までがそういう線に沿って

編まれている。現在の価値観によって過去を裁くというのであれば、これはもう歴史学ではない。“

いかがだろうか。小職は、これまで本コラムでも日本史を必須にしない高等学校の社会科の問題点や、古代史から授業を行うため、カリキュラムの問題から近代史に時間を十分に割けられない問題点を問うてきた。今の高校生には、第二次世界大戦で日米が戦ったことや原爆投下をされた事実を知らない者が多く存在している。

それぞれの時代に分け入り、それぞれの時代に与えられていた諸条件の中で、日本と日本人がどう立ち振る舞ったかを記述する営為が歴史学なのである。”

この書評を書いたのは、拓殖大学総長・学長渡辺利夫氏である。



歴史認識や領土問題でわが国は、近隣諸国と認識を大きく異ならせてもいる。

立場が異なれば、史実の捉え方や解釈が異なることは、大いにありえることである。さらに、先人らがいかに歩んできたのか、歴史とは、それを正しく認識して未来に臨まねばならないだろう。ご指摘は、刮目すべきものがある。

国家を凌駕するようなグローバル企業の使命感

生活

 先ごろ、企業の温室効果ガス排出量に関する情報公開の程度を評価した世界の大企業ランキングを。世界の企業家で組織するカーボン・ディスクジャー・プロジェクト(CDP:本部英国)が公表された。

上位10位までの顔ぶれは、1位は2企業で、バイエル(独)とネスレ(スイス)、3位は3企業で、BASF(ドイツ)、BMW(ドイツ)、ガスナチュラル(スペイン)、6位に2企業で、デイアジオ(英国)、ノキア(フィンランド)、

さらに8位に2企業で、アリアンツ(ドイツ)とUBS(スイス)。そして10位が、パナソニック(日本)である。

こうして企業名を眺めてみると、伝統的に労組も経営参画するドイツは、情報公開の意識や環境技術の高さを表しているように思える。また、スイスのネスレとUBSは、国際的に信頼の高い金融業等を背景に情報公開の仕組みを先行させているように思えるのだが、読者諸氏はいかがお感じだろうか。

 

本年のランキングに至る調査は、時価総額が高い世界の500社に、排出量の推移や公表の状況、温暖化対策にどれだけ経営トップが関与しているかなど尋ね、450社から回答を得てランキングしたという。情報公開度が極めて高い企業でAランク企業は、33社という。10位のパナソニックは、100点満点中96得点という極めて高い評価を得ている。

いうまでもなく、グローバル企業は発展途上の国家を凌駕する経済力や頭脳を抱えている。構成する株主も多国籍化しているため、経営者も単に企業価値を高めたり、株価を高めるだけでは及第点を得ることができない。以前、企業のCSR(企業の社会的責任)について本コラムで取り上げたことがあるが、グローバル企業は世界に対する責任を負っているかの如くである。

 

ネスレ社の創業者アンリ・ネスレは、欧州で飢饉が起きて、乳児らの母親らが授乳できなくなる危機の中、母親の愛情には叶わないが粉ミルクで貢献しようと起業する。有名企業の創業社長が現役のときは、拡大成長期であっても起業家精神が大いに発揮されるが、社長交代が行われていくにしたがって、しだいに伝説となり社員の意識からは創業精神など、古臭い金科玉条のようになってゆくようだ。DHLは、湾岸戦争などの戦地に軍が糧食を届けられないような状況であっても、容易に預かった荷物を届けることを行ってきた。「必ず届けることが企業使命だから」と。領土や国境紛争は、かつての20世紀型という印象が強い。複雑な民族構成や宗教闘争やイデオロギー型の紛争の多い今世紀、グローバル企業の複雑な国際問題の解決能力や目標達成の使命感が、国際問題の解決に大きく寄与するように思えてならないのだが、いかがだろうか?

東インド会社と減価償却とサラブレッド

生活

 企業体がいつ生まれたかについては、諸説あるところ。小職は、東インド会社の活躍した時代を支持している。この時代は、西暦1600年。日本では、言わずとしれた関が原の天下分け目の戦いがあった。地球上で、大きな変革がうねりとなっておこされた時代である。さて、ここで取り上げる東インド会社の背景には、大航海時代の到来と欧州強国の植民地政策、国際的な経済活動の広がりがある。東インド会社の主な仕事とは、アジアに大航海を行って、現地から質の高い香辛料を運んできて儲けの大きい商売を行うとして、配当の高さをうたい文句に欧州で出資者を募る。

大航海を行う船の建造や調達、人的な資源や燃料食料にいたるまでが企業の

資産である。資本(金)は、具体的に収益を生み出すためのものに投資にされる。資産とは、収益をあげるために投資されるものであり、収益に対応した部分が個別に費用として認識される。この大航海を行う船と乗組員が、一体となって危険と隣り合わせで事業をするこの企業は、原則として1回の大航海が企業の一生に相当する。この企業の形態は、「当座企業」と言われるが言い得て妙なるものである。この当座企業は、大航海に失敗すれば、全てが損失である。また、大航海が成功すれば、香辛料の販売に加え、船自体や設備その他も全て

売られ配当される。決算というよりは、清算というイメージに近い。

つまり、大航海時代の当座企業は、「一企業が一航海」「一企業が1プロジェクト」ということになる。複式簿記は、イタリアの商人達の間で、この時代に確立し、現代まで脈づいてきている。つまり、現代の複式簿記は、この時代の

商慣習や会計の原理原則を血脈として現代に伝えてきている。血統の中に、現代に馴染まない問題を抱えていたとしても可笑しくない。ところで、当座企業で不都合なことが最初に起きたとすればどういうことだったであろうか?

多分、航海機器などの発明などにより、航海技術が発展し、「一航海一企業」

の図式が壊れた時だとおもう。つまり、投資家に航海の成果である香辛料の持ち帰りと販売の成功がもたらされ、全てを売り払って配当をするということが無くなり、船が複数回の航海を行うようになると費用の配分が問題となる。



例えば、「収益の認識」は、大航海が終わってからの香辛料の販売によるので、発生や出来高も明確に認識できる。だが、「費用の認識」は一回きりの大航海時代は、航海中に発生したものをすべて計上すればよかったのだろうが、複数回の大航海をおこなおうとすれば、それぞれの航海時に「発生した費用」や「実現した収益」を勘案して計算し、配当する必要が生まれた。つまり、因果関係が明確であれば、収益と費用の「個別的対応」を行い、それが困難なものは、「それぞれの航海中に発生した期間的な対応」を行うということである。

 

航海を「一年単位」に置き換えた時、一年を企業会計機関と認識することがはじまり、「一年以内に費用化する資産を流動資産」、「一年を越えて費用化する試算を固定資産」とするようになった。

複式簿記は、とても有用な仕組みだが、構造的な欠陥がある。それは、収益力が高くとも資金計算を常時注視しなければ、容易に黒字倒産に陥る可能性があるということである。

会計基準もグローバル化して、進化しつつあるようだが、いくらソフトウエアが発達しようとも欠陥はなくならない。この先、西暦1600年のようなエポックは起きるだろうか。この先の東アジアは、経済活動を発展させながら平和を享受できることだろうか。

 

ところで、減価償却資産の認識が、最初に出来たのはイギリスの競馬会といわれる。子馬を育て、調教して一人前にする期間は、投資を行っている期間である。レースにでて賞金を稼ぎはじめると、収益とこれまでの投資した金額のうちから、走ることが可能な年数を見込んで、年齢に応じて資産価値(価額)から減価償却計算をおこなう。減価償却した金額はプールして、後のサラブレッドの購入金額にあてられてゆく。馬は、動物だから減価償却は意外とおもわれたかも知れないが、馬は会計上、資産計上する動産である。

 

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