10月2012

悲嘆の淵からは、時間をかけて戻ればよい

生活

 今年の8月初旬、ご縁あって水墨画を通じて、被災者の方々のメンタルケアをさせていただくことがあった。お盆前だったのだが、東日本大震災で亡くなられた方々の遺族にとっては、二度目のお盆もゆっくりと振り返り忍ぶ余裕もなく、未だに突然奪われた命に違いなく、遺された者にとって、心の傷が癒えないことなど無理からぬことであった。精神的な傷を負った人は、痛みを時が和らげてくれるといわれるが、未だ時が止まったままというのが実感ではなかろうか。ただ、水墨画教室で仏画を描けたことを喜ばれたり、作品を供養に使わせていただくといわれたり。あの日以来、引きこもったままの方が、楽しそうだからと顔を出してくださった。そんなこんなで、お手伝いさせていただくほうが大きな功徳を頂戴したような思いがする。

 

お盆直前の8月12日。毎年慰霊登山がなされてきた御巣鷹山関連の記事を

丁寧に読み返した。御巣鷹山日航機事故の慰霊登山が、昨年の26回を終えたのち、遺族らの団体で音頭をとって慰霊登山が困難になったと(遺族の高齢化が一番の理由)。「8.12連絡会」事務局長の美谷島邦子事務局長の話を幾度となく読み返した。

原田眞人監督の映画「クライマーズハイ」(原作:横山秀夫)。原田眞人監督が、どうしても映画化したかった動機は、美谷島邦子さんが、「あの日、大阪の親戚のところに行かせるために、ひとりで123便に乗せた子息『健』君の存在」があったからだ。墜ちてゆく航空機の中、ひとり旅の9歳の男児の心中を思い。そして、ひとり旅の男児を最期まで、大人たちはどのように接したのだろうかと。

 

美谷島邦子さんの思いが、記事の中で述べられていた。

航空機墜落後3日、御巣鷹山に登る。そして、その翌々日、美谷島夫妻は胴体の一部と小さな右手だけの遺体と対面した。その日から、受け入れられない悲しみと向かい合い、なぜ、「健ちゃんは、死ななければならなかったのか」その「答え」を求め続ける日々が始まったと。事故を再び起こしてはならないという気持ちから、連絡会を発足させて走りまわる。『思えば、26年間の全てが死者を弔い、自身が前を向くための「喪の作業」だったといえる。そして、その歩みは、まだ止まっていない』と。

拭い去ることのできない悲しみや心の傷を負った人々に、美谷島さんは、気の遠くなるほどの時間を費やして、他人の目を気にすることなく、癒してゆけばよいのではないかと震災遺族に問いかけている。

思うに、悲嘆の淵は、きっと暗くて深くて遠いところにあるに違いない。

そこから戻ってくるのだから、時間がかかってもしようがないというような開き直る気持ちも必要かもしれない。一日は、誰にでも等しく24時間であるが、脈拍や心拍は人それぞれである。人は、それぞれ自らの刻み方で時を送っている。ましては、逝った人を思い、安らかな眠りを願い祈ることや、時の見送り方については、その人の魂が納得するほどであってもよいはずである。だから、悲嘆の淵からは気が遠くなるほどの時間を掛けて戻ってくればよいのだと思う。

大切な自らの命を生き抜くことの意味をよくよく考えながら。