10月2012

豊かさ。他者を思う気持ち。

生活

 思いかえすたびに、胸がつまってしまう新聞記事がある。それは、昨年の産経新聞にあったもので、「永遠に忘れない」というリードの後に続いていた記事のことである。これから、寒くなる季節だけに思い返しつつご紹介したい。



ニューヨーク岩手県人会の岩崎雄亮会長は、震災後、極寒のニューヨークの街頭で募金活動をしていた。県人会員が声を張り上げていると、ボロをまとい穴の開いた靴を履くホームレスの黒人男性が3ドルを寄付したという。

黒人男性曰く、「私は一晩食べなくても大丈夫。だが、日本の被災者は私と違い、明日も次の日も食べ物がないだろう」と。

 

冬のニューヨークの寒さは堪える。ましては、ボロをまとい穴の開いた靴を履くホームレスの男性の境涯では、一歩間違うと凍死の危険性さえあるはずである。そんな人が、自分より弱い立場の人を慮り、大切な金をいともたやすく寄付をしたのだ。寄付というより、死語に近いかも知れないが“喜捨”をした

のだ。どんなにか、ニューヨーク岩手県人会や話しを伝え聞いた被災地の人を励ましたことだろう。

 

自分より、弱い立場の人のために、役に立とうと自然に行動できる人。

その人は、自分の人生に揺るがない価値観を保てている人であり、幸いな人である。他方、見て見ないふりをするつもりはないのだが、きっかけが作れなかったり、ためらいがあったりして行動が出来なかった人も、人の置かれている境涯に思いの及ぶ人である。やはり、幸いな人であろう。

私はボランテイアについて問われると、「能動的であること」を前提に「施し」

に近いのではないかとお応えしてきた。真っ先に思い起こせる「財施」という施し方もあるが、笑顔で人の心を明るくしてさしあげる「顔施」という施し方もある。人を励ますことも、席を譲って差し上げることも立派な施しである。

 

大震災発生後、1年半以上経った。財政難とはいえ、遅々として進まぬ復興。いや復旧さえ、遠い地域もあると聞いている。進まぬ復旧復興は、精神的に人を生きながらにして腐らせる。善意の第三者にも、精神的負荷をかけてしまい、支援疲れを引き起こして蔓延させる。必要なボランテイアの員数を確保できない中、若い世代の方々が、相も変わらずボランテイアに出向いてゆかれるという話を聞く。心に松明が点る思いがする。これから先、長い時間をかけて施しを募ってゆくべき。松明は、大切に長く確実に、受けて継ないで行ってほしい。