10月2012

国家と日本人を問う日々

生活

 東日本大震災発生以降、伝えられて聞くもの見るものに、気をとられるものが数多くあり、感動も無力感も併せて飲み込むような複雑な気持ちで、月日を重ねた思いがある。

言い尽くされたかもしれないが、被災者の言動は、いかに困難な状況にあろうとも節度があり、しばしば聞き入り、感じ入ってしまった。逆に対照的な話、深刻な原発問題への取り組みや東京電力の対応に不手際があるとして、間断なくヒステリックに東京電力や内閣を非難する報道が続いてきた。事の重要性に鑑みて、日付を見なければ気づかないほどに変わりばえしない新聞や繰り返しのメデイア画像を見るたび、この国の財産は人に尽きるのだと気づかされる。

 

藤原正彦氏が、著書「国家の品格」で解いているように、「国家とは国語」という主張には思わず頷いてしまう。津波は、ことごとく人の暮らしを破壊して奪い去ってゆくが、人の思いや願いや祈りを奪い去ってゆくことはできない。

また、南米やハワイに移住していった日系人は、生物学的にというより日本人の文化を保っているという意味で日本人だと考えたほうが良いと思う。どこに住んでいようとも日本の文化を保ち、日本語を用いて思考し、礼節を重んじて暮らす人は日本人である。他方、「国家」を問われ、憲法を持ち出し、主権や領土などを用いて懇切丁寧に教養の一端を披露してくださったところで、その人の説明にすっきり腹落ちしないだろう。「国家とは国語」はいい得て妙である。

震災発生後、救助に手間取り、瓦礫に閉じ込められ、衰弱した状態で助けられた人たちは、「ご迷惑をおかけしてすみません」と詫びた後、心からの感謝の言葉を口にしていた。外国人からすれば、何も悪いことをしていないのに、なぜ謝るのかと不思議がるだろう。他人の手を煩わせることがあれば、天変地異や不可抗力が原因でも申し訳ないという感性は、日本人の宝とすべきだろう。

さて被災者の方々が、震災後、はじめての炊き出しで温かい食事を振舞われ、あるいは陸上自衛隊によって入浴ができるようになったときのことである。男達は、寒中に長くあって辛抱強く立ち並び、温かい食事を弱いものたちに、先に先に渡そうと、次から次に後ろに回していった。風呂にあっては、体の芯から冷えてしまっても、弱いものたちを先へ先へと風呂に入れさせていった。

やせ我慢があるかも知れない。当たり前として振舞う男達に、気負いもない当たり前のことだから。厳寒の中でも胸を熱くさせる立ち振る舞いは、なんとも晴れがましく誇らしい。許してもらえるのなら、日本人に備わる美徳と日本人に備わる優れた感性と資質と言わせてもらいたい。

他方、言い訳や保身に終始して、日々をやり過ごす人々に問いたい。本来、

日本人のもつ資質に欠けるようなあなたは、本当に日本人なのですか?と。