10月2012

失われた20年というけれど

生活

 俗にバブル経済崩壊後10年間は、「失われた10年」といわれ、以後、「失われた20年」と。確かにバブル経済崩壊以降の20年間は、目覚しい成果の挙がらない日本ではあったが、欧米が「日本病」を揶揄する一方、国際通貨「円」が国際貢献してきたことや苦悶しながらも社会保障制度を維持してきたことを

再評価する声もある。

 

10月初めの毎日新聞の記事に、「消える証券マン20年で17万→8.8万人」という記事があった。1991年のピーク時に、日本橋兜町に20万人いた証券マンが、2012年6月時点の統計で8.8万人にまで減少しているという記事。

基本的に手数料で稼ぐにしろ、自己資金で株の売買を手がけて収益を上げるにしろ、株の取引量が縮み証券会社の収益確保はピーク時と比較すると厳しい

ことは容易に想像できる。ただ、中小証券会社といえども特色のあった会社や名門会社が廃業に追い込まれ、あるいは副業に力を注いだり、業態変更を積極的に行っていることなどを知り、日本経済の傷み具合に思いがいってしまう。

株式の売買手数料自由化は、時代の趨勢だったのかも知れないが、コンピューターによる売買システムは、ヒューマンウエアとしての証券マンを介さずに

おこなう取引を常態化させ、中小証券会社を次々に廃業に追い込んでしまった。

 

「時は破壊者」というのだから、20年という時は、ずいぶんと世界を変えてしまうようだ。他方、変われなかったものも。この10年間で、ベルリンに5回立ち寄った。ベルリンの壁の崩壊後、東西ドイツの統一はドイツ国内を劇的に変化させると思ったが。旧ドイツ領には、ベルリン市内も含め投資が進まず、雇用も大きくならず、したがって社会システムの充実には貢献しなかった。

理由の第一は、人の意識だという。今も旧東ドイツでは、特権階級出身者が

体制が変わった現在も無自覚でいるという。そのような人々の多い地域には、なるほど投資は進まないだろう。

他方、色の褪せない英断も。通貨ユーロ統一に際し、経済大国ドイツにメリットは少なかった。しかし、時のコール首相は、自国通貨マルクを棄てるにあたり、国民投票を実施せず、議会手続きだけで導入を決定したという。もし、この英断がなければ、ユーロは生まれなかっただろう。また、危機に際しこれまでのようなドイツを初めとする国々の協調はなかったことだろう。

わが国の衆参議会のねじれ状態が固定化しつつある中、決められない政治は

国民に阿る競争状態に陥らないだろうか。国民は、この先の岐路価値ある辛苦を理解し、受け入れられるだろうか。日本国の内疾患が、気になるところだ。