10月2012

社会の責任としての更生保護

生活

 小職は、年に数回は更生保護に携わる方々と交流する機会がある。

一昨年は、思いがけず北京市の労働教育工作管理局の幹部一行の日本の更生保護行政の視察のお手伝いを行った。そのことについて、思い返してみたい。

 

北京の労働教育管理局とは、更生保護の実施や教育プログラム開発などをおこなう役所だと理解していただくと良い。幹部の方々は、日本の刑法や刑務所、少年院その他の施設や運営状況を調査したいと希望されていたそうだ。が、希望通りには行かなかったと。矯正教育には、人権以外にも国家の成り立ちも関与するようで、実質的に共産党一党で国家体制が形成されている中国の方に、理解されにくいことでもあり、日本側でもご案内を避けたかったようだ。

 

労働教育管理局の幹部によれば、中国の経済発展によって悪質な犯罪が増えて来ており、社会不安が偲び寄っている実感があると口々にされていた。また、

日本の有名大学の学生らが、麻薬に手を出す様子は、中国近未来の薬物汚染を震撼させるに十分だとも言われていた。共産党一党支配体制の中国でも、モラルの欠如が招く社会悪が蔓延ることに、強制力を持って抗ってゆくことは、難事業だと思わずにはいられなかった。

さて、日本の犯罪者に対する矯正教育の仕組みの中で保護司さんのことを説明したところ、大変熱心に質問された。何の権限もない民間人の保護司さんに、

一体どれだけの仕事ができるのかという関心。基本的にボランテイアという保護司さんと言う仕事が、社会の中で責任を果たしてゆくことができるのだろうかという疑問。とにかく、熱い質問で時間の限り攻め立てられた。

 

物心の充足感があってこそ、礼節をはじめて語れるのだと故事で学ぶことは多い。しかし、経済的に豊かになっても無秩序な行動や思想、風俗習慣が入り混むことが現実的には多い。グローバルゼーションにより地球が狭くなって経済はより密接になったが、幸せに生きるという価値観の創造は揺らいでいる。

私たちの生きるこの社会では、許しがたい犯罪を起こした人間であっても、社会復帰の機会と更正の機会を与えている。理屈の上で罪を償っても、罪を犯した人格に特筆すべき成長や生活習慣の前向きな大きな変化がなければ、再犯への道を辿らせてしまう。社会更正には、保護司さんの力によるところが大きいが、その献身的な善意に頼ってばかりいても社会の安寧は遠のくばかりである。罪を犯した人間を更正させるのは、社会を構成している人間それぞれに課せられた責任である。そして、必ず更正させるという覚悟も持たねばなるまい。

更生保護のような深い相互理解根ざしたの日中交流を強く願ってやまない。