10月2012

お金物語

生活

 一部に例外はあるだろうが、我が国の財政や大方の自治体は、税収の大幅な落ち込みや社会保障関連支出など固定的支出の増大によって、大きく身を捩じらせながら苦しんでいる。一言でいえば、「お金」が足りないなのだ。



そこで、「お金」にまつわる話を中心に進めてみたい。少子高齢化によって、余裕のある暮らしが実践できるのだという評論家の話が、お堅い月刊誌に幾度も登場している。人口が減って、土地が都心でも余って割安な物件が入手可能になるとか、道路が混まなくなるとか、むやみな競争に強いられることもなくなるとかetc.、、、。「ゆとり」や「余裕」をどう考えるかによって、「豊かさ」の定義は大きく変わるのだろうが、行政官にとってはにわかに受け入れ難い話が多い。これから行政官は、「お金が足りない症候群」に陥る恐怖と戦う日々が続くのだ。

ところで、原始の日本ではどのように「お金物語」は生まれたのであろうか?

受け入れやすい通説に基づき話を進めたい。まず、海にせまる山とわずかばかりの平地のある場所で、海村人(以下海人)と平野村人、山村人(以下、平人・

山人)が暮らしていたとする。この時、まだ「お金」は生まれていない、物々交換社会である。最初、魚:米:椎の実を1:1:1の重量比率で交換していたとする。ところが、海が荒れるとと魚が取れなくなるので、比率が1:2:2になったり、天候不順による収穫減から2:1:1や3:2:1の交換比率が生まれたことは想像に難くない。「為替」問題は、原始の狭い社会にも内包していたに違いない。海人は、海が荒れると「おまんまの喰いあげ」になるので、浜近くで「貝」を採って市で交換するようになる。海人が最初、山人と「貝」を持ち込み「椎の実」を同じ重量で交換していたとする。さて、浜近くでとれる「貝」も台風シーズンには取れないこともある。そこで、海人は山人に頼み、「貝の殻」を市に持ち込み、「こんど、貝がとれた時にもってくるので、この貝を証に椎の実を分けてくれないか?」と頼み受け入れられたとする。これは我が国最初の手形取引、有価証券の生まれた瞬間かも知れない。

後日、山人は、たくさん溜めた「貝殻」を使って海人の「貝」と交換する。あまった「貝殻」を使い、山人は平人に「この貝殻で貝が交換できるのだけど、米と交換してくれないか」と頼み、人の良い平人が承諾し、後に平人が貝殻で貝を交換したとき時、我が国最初の「お金」や「為替」が生まれたとしよう。これ以後を「お金物語」が始まったと考えたい。



彼らの生きた原始時代より遥かに便利になった現代社会だが、「自然」の力にいつも「経済」が振り回されることにはなんら変わりはない。また、本来、様々な価値があるものを、「経済的な価値」一方で仕分けしてしまい、公共の利益との折り合いをつけることも困難になりつつある。「お金物語」のこの先を書けば、

必ず、魚や作物のために額に汗をすることなく、「貝殻」(お金)を使って、「貝殻」を利殖する者や「命を支える大事な農業であるのに、貝殻交換で不利益を蒙るのに懸命に働く」そんな正直者の悲話などを書くことになるのだろう。

「お金」は、容易く不足に陥る。「お金」は、経済が好循環する時は便利だが、

「不足を補う」ために、「借り入れて使えば、返済利子という重石を背負って、坂道を歩むが如く」に陥る。行政に「予算執行」がついて回る以上、様々な「お金物語」があることを承知してことに当たらねばならない。



ところで、「社会資本」とよく言われる。近年、話題に上がった“PFI”や「指定管理者制度」ともかかわりがあるので、これも考えて見たい。「資本」は経済用語だが、使い方によって100通り以上の意味になるといわれている。身近なところで、「資本金」「他人資本」「自己資本」「資本剰余金」「払込資本」など

がある。「資本」に付ける言葉の使い方によって、本来の意味と異なることがあるので理解が難しくなる。しかし、原点は、極々シンプルである。「資本」は、「中東の羊飼い」から生まれた概念である。「資本」の英語訳のCAPITAL、独語訳のKAPITALの何れも「羊の頭」が語源である。また、羊はご馳走に振る舞い、頭は大事な客人に捧げる大切なものである。さらに、「羊の頭」自身を中東などでは、貨幣に使った歴史がある。ここには、羊の頭を使った「お金物語」が存在した。

さて、羊飼いが、雌雄の羊を大事に飼っていると、「子を産み、頭数が殖える」。殖産の元になるものが資本である。「殖やすことを目的としないものは資本ではない」他方、社会資本と言うのなら、支出の高にこだわることなく、「公共の利益を殖やすもの」であるべきである。



日本以外の先進国では、博物館や美術館、図書館や各種施設が、NPO(特定非営利組織の民設機関)により運営という場合が多い。単純な比較を避けるが、要するにスタート時の社会資本を公が投下し、以後の運営はNPOが行っているという形である。そこには、明確な受益者負担も含めた公共の利益の理念と公共財の運営管理の哲学がある。