10月2012

カウナス市 緑丘 30番地

生活

 去る10月初め、イスラエルから杉原千畝の母校愛知県立瑞稜高校(旧制愛知県立第五中学校)に、オリーブの友好植樹を行うという記事を目にした。

小職は、7年前にリトアニア国カウナス市にある旧日本領事館に伺ったことがある。日本・EU交流年で水墨画交流に外務省から派遣されたのだった。



訪問当時、旧日本領事館は杉原千畝記念館となり、日本語教育や文化交流の会館となっていたが、在所の閑静な住宅地は、東京の山の手を思わせる。

住宅の裏手に回ると広葉樹の枯葉が堆く積まれ、地味豊かな土地の存在を気づかせる。この国は、欧州に冠たる農業国のひとつである。

緑丘30番地の標識は、とても古く、第二次世界大戦中あたりのものでなかろうか?周りの住宅も景観を損なうようなつくりのものなど無く、同時代あるいはそれに似せて違和感なく作られているように思われる。2000年に名誉回復された旧住人の執務室は、さほど大きくなかった。執務を行った机は、今時分の事務机と同じような大きさであった。その執務用の椅子に深く腰掛け、往時を偲び、彼の生き方に思いを馳せた。早い午後の時間だが、日本風に言えば陽は翳っている。的確な物言いは難しいが、北欧バルト海沿岸国の日輪の軌道は、天央を通らない。小ぶりの半円弧を控えめに描く。空は、硯の海にたまった青墨のようで、陰鬱な感じさえ思わせる色である。思い悩み、見あげれば、憂と鬱が増しそうな空の色である。

 

杉原千畝の執務室から写された往時の写真が資料としてかけてあった。

観れば、夥しい数のユダヤ人女性が、ナチスから処刑される前に服を剥がされているところの写真である。銃殺される直前、あろうことか辱めを受けている女性の群れが延々と続いている。ナチスのユダヤ人抹殺の思いが、恐ろしいほど伝わってくる。そして、そのナチスとは、防共協定を締結している友人の我が日本であった。陽が翳る暗い執務室で、彼の苦悩を偲び、殺されてゆく無力なユダヤ人の心情を察し、不覚にも落涙してしまった。真にひとり立つ勇気に、触れた思いがして胸が熱くなったのだ。ただ、ひとり立つことの峻厳な思想に触れて、自分の生き方に恥ずかしい思いがした。



人道主義者とか、正義の人とか言う言葉でかたずけられるほど生易しいものではない。国益を損なうことを平気で行えるような外交官など、いつの時代も必要としない。まず、守るべきは自国民の生命と財産である。国益に反する杉原の決断だった。しかしながら結果は、孤高な決断は、後世に評価されている。外交官杉原にとどまらず、ユダヤ人は日本人に尊敬と親愛の情をもっていてくれる。そして、リトアニア人も同様に日本人に対して尊敬と親愛の情を示してくれる。他のバルト諸国、北欧諸国にも同様の感情が、根底にあることを今回の旅で知る事が出来た。ひとりの人間の言動や勇気が国を動かしてゆく。最初はたったひとりだが、ひとり立つ勇気は、多くの魂を揺さぶり、時代を貫く真理を生み出してゆく。リトアニアは、はるか彼方の親日国ではあるが、カソリック教徒の国になる以前のサンスクリット語を源とする風俗習慣も残している。自然を尊びお盆の習慣さえもつ魂の隣人である。