10月2012

後世の人に評価をゆだねるという態度

生活

 良書を探すために、様々なの書評を利用されることがあると思う。

小職は、よく新聞から書評を切り抜くことがある。全国紙の書評には、意識的に目を通すようにしているが、なかには著者や出版元に明らかに阿るような記述もあり、参考にしたいと思うようなものは少ないのが実情である。

 

さて、以前、新聞の書評にとてもよいものがあったので切り抜いておいた。ご紹介したい。著者の名前は、大平裕。著書は、「日本古代史 正解」(講談社)。

書評を読んでみたい。書評というより、読書や歴史に対する姿勢に注目した。

 

“歴史についての判断を求められたときに、政治家やジャーナリストの用いる常套句に「それは歴史学者による検証に委されるべきだ」といったものがある。歴史学者にして初めて客観的な歴史の解読が可能になるといいたいのだろうが、私からみれば歴史学者ほど歴史を恣意的に扱いうる立場の人間もほかにいない。”

いかがだろうか、このくだりを読み書評に引き込まれてしまった。

平易な表現だが、心理をしっかりと捕らえて話さない筆の運びである。続けてみたい。

“時代の思潮におもねってであろう、史実を特定のイデオロギーに引き寄せ、自分(自派)に都合のいいように紡ぎあげたものが、戦後日本に一般的な近現代史である。困ったことに中学や高校の歴史教科書までがそういう線に沿って

編まれている。現在の価値観によって過去を裁くというのであれば、これはもう歴史学ではない。“

いかがだろうか。小職は、これまで本コラムでも日本史を必須にしない高等学校の社会科の問題点や、古代史から授業を行うため、カリキュラムの問題から近代史に時間を十分に割けられない問題点を問うてきた。今の高校生には、第二次世界大戦で日米が戦ったことや原爆投下をされた事実を知らない者が多く存在している。

それぞれの時代に分け入り、それぞれの時代に与えられていた諸条件の中で、日本と日本人がどう立ち振る舞ったかを記述する営為が歴史学なのである。”

この書評を書いたのは、拓殖大学総長・学長渡辺利夫氏である。



歴史認識や領土問題でわが国は、近隣諸国と認識を大きく異ならせてもいる。

立場が異なれば、史実の捉え方や解釈が異なることは、大いにありえることである。さらに、先人らがいかに歩んできたのか、歴史とは、それを正しく認識して未来に臨まねばならないだろう。ご指摘は、刮目すべきものがある。