10月2012

親心

生活

 先日、昔の同僚と11年ぶりに都内のホテルであった。お互い、髪が薄くなったり、白髪が増えたりしてはいたが、待ち合わせの大きなロビーで遠くからでも、すぐにお互いを見つけられて、がっちり握手をした。

昔の同僚のK氏は、以前「仕事の鬼」といった形容がふさわしく、40歳になっても仕事一筋で、家庭を持つことをまったく考えてもいなかったようだった。その彼が、3年前に結婚し、1年前に男の子を授かったのだという。

K氏とは11年ぶりにあったのだが、彼の顔の皺は年のせいではなく、愛息を見つめる顔の目じりが、自然と下がるせいではなかろうかとおもうしだい。

 

K氏は、神戸に所帯をもうけているが、彼が所属する組織の本部のある東京出張や海外出張も多く、愛息をお風呂に入れることがおもうようにできないのだとか。愛息が生まれてから、社会や未来に対する意識が変わったとK氏はいう。たとえば、社会保障制度については、健康保険の負担率や年金の掛け金の問題を自分の世代のことまでしか考えられなかったが、『税と社会保障の一体改革』について、愛息が自分と同じ50歳代になったときのことまで、考えられるようになったと。

そして、東日本大震災のこと。愛息の誕生後、命の問題や地球の未来のことを真剣に考えるようになったとK氏はいう。子を思う親の気持ちなど、愛息が生まれるまで理解できなかったと。子を授かり、子の将来を思う心情が理解できるようになったがゆえに、3.11以後、子を遺して逝ってしまった親たちの心情を思わずにいられないという。親は、命が尽きる瞬間まで子のことを心配し、祈り、願い、思いを遺して逝ったのではなかろうかと。

 

実は、彼は中国籍である。また、中国山東省で生まれ育ったが、実の祖母が日本人だった。一方のルーツである日本に対する関心が高くなり、中国で高校を卒業した後は、大学進学に祖母の血縁を頼り、関西の大学に留学し、優秀な成績で卒業、そのまま日本と中国との交流を促進する特殊法人に就職した。日本語が堪能といっても、関西弁まるだしの”おっちゃん”である。抗日戦線を戦った血縁者の多いK氏は、ともすれば日本に批判的な態度をとっていた。

でも今はがらりとかわり、オリンピックをはじめ日本と中国とが戦う競技は、

すべて日本を応援、サッカーの日本代表ユニフォームレプリカも買った。

K氏は、日本人の血を引く我が子の存在が彼の意識を変えたのだという。

ならば、もし日中両国民が、お互い自分の子どもや孫が、相手の国で生まれ、そして暮らしてゆくとしたら、お世話になる国や国の人々を大切に感じられることだろう。これから先、お互いの未来を穏かに見守ることはできないものか。