10月2012

カウナス市 緑丘 30番地

生活

 去る10月初め、イスラエルから杉原千畝の母校愛知県立瑞稜高校(旧制愛知県立第五中学校)に、オリーブの友好植樹を行うという記事を目にした。

小職は、7年前にリトアニア国カウナス市にある旧日本領事館に伺ったことがある。日本・EU交流年で水墨画交流に外務省から派遣されたのだった。



訪問当時、旧日本領事館は杉原千畝記念館となり、日本語教育や文化交流の会館となっていたが、在所の閑静な住宅地は、東京の山の手を思わせる。

住宅の裏手に回ると広葉樹の枯葉が堆く積まれ、地味豊かな土地の存在を気づかせる。この国は、欧州に冠たる農業国のひとつである。

緑丘30番地の標識は、とても古く、第二次世界大戦中あたりのものでなかろうか?周りの住宅も景観を損なうようなつくりのものなど無く、同時代あるいはそれに似せて違和感なく作られているように思われる。2000年に名誉回復された旧住人の執務室は、さほど大きくなかった。執務を行った机は、今時分の事務机と同じような大きさであった。その執務用の椅子に深く腰掛け、往時を偲び、彼の生き方に思いを馳せた。早い午後の時間だが、日本風に言えば陽は翳っている。的確な物言いは難しいが、北欧バルト海沿岸国の日輪の軌道は、天央を通らない。小ぶりの半円弧を控えめに描く。空は、硯の海にたまった青墨のようで、陰鬱な感じさえ思わせる色である。思い悩み、見あげれば、憂と鬱が増しそうな空の色である。

 

杉原千畝の執務室から写された往時の写真が資料としてかけてあった。

観れば、夥しい数のユダヤ人女性が、ナチスから処刑される前に服を剥がされているところの写真である。銃殺される直前、あろうことか辱めを受けている女性の群れが延々と続いている。ナチスのユダヤ人抹殺の思いが、恐ろしいほど伝わってくる。そして、そのナチスとは、防共協定を締結している友人の我が日本であった。陽が翳る暗い執務室で、彼の苦悩を偲び、殺されてゆく無力なユダヤ人の心情を察し、不覚にも落涙してしまった。真にひとり立つ勇気に、触れた思いがして胸が熱くなったのだ。ただ、ひとり立つことの峻厳な思想に触れて、自分の生き方に恥ずかしい思いがした。



人道主義者とか、正義の人とか言う言葉でかたずけられるほど生易しいものではない。国益を損なうことを平気で行えるような外交官など、いつの時代も必要としない。まず、守るべきは自国民の生命と財産である。国益に反する杉原の決断だった。しかしながら結果は、孤高な決断は、後世に評価されている。外交官杉原にとどまらず、ユダヤ人は日本人に尊敬と親愛の情をもっていてくれる。そして、リトアニア人も同様に日本人に対して尊敬と親愛の情を示してくれる。他のバルト諸国、北欧諸国にも同様の感情が、根底にあることを今回の旅で知る事が出来た。ひとりの人間の言動や勇気が国を動かしてゆく。最初はたったひとりだが、ひとり立つ勇気は、多くの魂を揺さぶり、時代を貫く真理を生み出してゆく。リトアニアは、はるか彼方の親日国ではあるが、カソリック教徒の国になる以前のサンスクリット語を源とする風俗習慣も残している。自然を尊びお盆の習慣さえもつ魂の隣人である。

 

デラックスなランチの6食分の頭の栄養

生活

 初めて、ピーター・F・ドラッガーを読んだのは35年前だった。

大学生だったときだが、学食で一番デラックスなランチの6食分だったので、

一瞬ためらったが、ナポレオン・ヒルの著作の「頭髪の手入れには金を惜しまないのに、頭の中を豊かにすることには金を惜しむことに疑問を持たないのか?」という一節を思い出し買った。ベストセラー「断絶の時代」のことだ。

ドラッガー先生のことは、その後も意識することが多かった。社会科学を学ぶ以上、学問としての傾向を身につけることは出来ても、自然科学のような再現性を伴うような真理に出会えず、釈然としないことが多かった。

ドラッガー先生の著作の中で、「適正な利潤が、得られているということは経営が適正な利益を獲得していることを示しているに過ぎない」は、今もよく思い出す一節である。



一昨年、ベストセラーになった岩崎夏海氏の“もし、高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら”~“もし、ドラ”~が映画化されて昨年話題になった。AKB48を今夏卒業した前田敦子と峯岸みなみが、主演と助演で活躍したこともあるが、難解そうな経営書をファンタジィー仕立てたところが良いのかもしれない。

「高校野球」の定義は?「高校野球」の顧客は?「高校野球」が、マネジメント可能な理由は?と、小気味良いテンポで話が進行する作品。理工系が人気というAKB48世代の男の子たちも惹きこまれ、経営学に興味を持つようになるかもしれないし、今後、経営学部の難易度があがるかもしれない。



さて、日本の経営学の祖といわれる古川栄という先生がいらっしゃった。

思い切った見識を著作に残されていて印象的だった。その要旨は、「経営学という体系的学問のような言い方よりは、経営術といういい方のほうがふさわしいかもしれない。なぜなら経営は、携わる人間の能力資質によるところが大きく、同じ手段方法の選択を行っても大きく結果が異なる場合がありえるからである」と。ならば利害の調整をおこなうような政治学も術に相当すると考えたほうが良いかもしれない。数が正義と誇っても、信が無ければ為政者は無力であるのも一例。「もし、ドラ」を「もし、高校野球の女子マネージャーが鎌倉時代の民衆教化の本を読んだら」の「もし、鎌」や「もし、高校野球の女子マネージャーが論語を読破したら」の「もし、論」などがあってもよさそうな気がしてきた。難解そうな本でも中学高校生やビギナーに、分かりやすくエッセンスを伝えるのも大切な教育、社会貢献。尊い智の蓄積につながるに違いない。

お金物語

生活

 一部に例外はあるだろうが、我が国の財政や大方の自治体は、税収の大幅な落ち込みや社会保障関連支出など固定的支出の増大によって、大きく身を捩じらせながら苦しんでいる。一言でいえば、「お金」が足りないなのだ。



そこで、「お金」にまつわる話を中心に進めてみたい。少子高齢化によって、余裕のある暮らしが実践できるのだという評論家の話が、お堅い月刊誌に幾度も登場している。人口が減って、土地が都心でも余って割安な物件が入手可能になるとか、道路が混まなくなるとか、むやみな競争に強いられることもなくなるとかetc.、、、。「ゆとり」や「余裕」をどう考えるかによって、「豊かさ」の定義は大きく変わるのだろうが、行政官にとってはにわかに受け入れ難い話が多い。これから行政官は、「お金が足りない症候群」に陥る恐怖と戦う日々が続くのだ。

ところで、原始の日本ではどのように「お金物語」は生まれたのであろうか?

受け入れやすい通説に基づき話を進めたい。まず、海にせまる山とわずかばかりの平地のある場所で、海村人(以下海人)と平野村人、山村人(以下、平人・

山人)が暮らしていたとする。この時、まだ「お金」は生まれていない、物々交換社会である。最初、魚:米:椎の実を1:1:1の重量比率で交換していたとする。ところが、海が荒れるとと魚が取れなくなるので、比率が1:2:2になったり、天候不順による収穫減から2:1:1や3:2:1の交換比率が生まれたことは想像に難くない。「為替」問題は、原始の狭い社会にも内包していたに違いない。海人は、海が荒れると「おまんまの喰いあげ」になるので、浜近くで「貝」を採って市で交換するようになる。海人が最初、山人と「貝」を持ち込み「椎の実」を同じ重量で交換していたとする。さて、浜近くでとれる「貝」も台風シーズンには取れないこともある。そこで、海人は山人に頼み、「貝の殻」を市に持ち込み、「こんど、貝がとれた時にもってくるので、この貝を証に椎の実を分けてくれないか?」と頼み受け入れられたとする。これは我が国最初の手形取引、有価証券の生まれた瞬間かも知れない。

後日、山人は、たくさん溜めた「貝殻」を使って海人の「貝」と交換する。あまった「貝殻」を使い、山人は平人に「この貝殻で貝が交換できるのだけど、米と交換してくれないか」と頼み、人の良い平人が承諾し、後に平人が貝殻で貝を交換したとき時、我が国最初の「お金」や「為替」が生まれたとしよう。これ以後を「お金物語」が始まったと考えたい。



彼らの生きた原始時代より遥かに便利になった現代社会だが、「自然」の力にいつも「経済」が振り回されることにはなんら変わりはない。また、本来、様々な価値があるものを、「経済的な価値」一方で仕分けしてしまい、公共の利益との折り合いをつけることも困難になりつつある。「お金物語」のこの先を書けば、

必ず、魚や作物のために額に汗をすることなく、「貝殻」(お金)を使って、「貝殻」を利殖する者や「命を支える大事な農業であるのに、貝殻交換で不利益を蒙るのに懸命に働く」そんな正直者の悲話などを書くことになるのだろう。

「お金」は、容易く不足に陥る。「お金」は、経済が好循環する時は便利だが、

「不足を補う」ために、「借り入れて使えば、返済利子という重石を背負って、坂道を歩むが如く」に陥る。行政に「予算執行」がついて回る以上、様々な「お金物語」があることを承知してことに当たらねばならない。



ところで、「社会資本」とよく言われる。近年、話題に上がった“PFI”や「指定管理者制度」ともかかわりがあるので、これも考えて見たい。「資本」は経済用語だが、使い方によって100通り以上の意味になるといわれている。身近なところで、「資本金」「他人資本」「自己資本」「資本剰余金」「払込資本」など

がある。「資本」に付ける言葉の使い方によって、本来の意味と異なることがあるので理解が難しくなる。しかし、原点は、極々シンプルである。「資本」は、「中東の羊飼い」から生まれた概念である。「資本」の英語訳のCAPITAL、独語訳のKAPITALの何れも「羊の頭」が語源である。また、羊はご馳走に振る舞い、頭は大事な客人に捧げる大切なものである。さらに、「羊の頭」自身を中東などでは、貨幣に使った歴史がある。ここには、羊の頭を使った「お金物語」が存在した。

さて、羊飼いが、雌雄の羊を大事に飼っていると、「子を産み、頭数が殖える」。殖産の元になるものが資本である。「殖やすことを目的としないものは資本ではない」他方、社会資本と言うのなら、支出の高にこだわることなく、「公共の利益を殖やすもの」であるべきである。



日本以外の先進国では、博物館や美術館、図書館や各種施設が、NPO(特定非営利組織の民設機関)により運営という場合が多い。単純な比較を避けるが、要するにスタート時の社会資本を公が投下し、以後の運営はNPOが行っているという形である。そこには、明確な受益者負担も含めた公共の利益の理念と公共財の運営管理の哲学がある。

社会の責任としての更生保護

生活

 小職は、年に数回は更生保護に携わる方々と交流する機会がある。

一昨年は、思いがけず北京市の労働教育工作管理局の幹部一行の日本の更生保護行政の視察のお手伝いを行った。そのことについて、思い返してみたい。

 

北京の労働教育管理局とは、更生保護の実施や教育プログラム開発などをおこなう役所だと理解していただくと良い。幹部の方々は、日本の刑法や刑務所、少年院その他の施設や運営状況を調査したいと希望されていたそうだ。が、希望通りには行かなかったと。矯正教育には、人権以外にも国家の成り立ちも関与するようで、実質的に共産党一党で国家体制が形成されている中国の方に、理解されにくいことでもあり、日本側でもご案内を避けたかったようだ。

 

労働教育管理局の幹部によれば、中国の経済発展によって悪質な犯罪が増えて来ており、社会不安が偲び寄っている実感があると口々にされていた。また、

日本の有名大学の学生らが、麻薬に手を出す様子は、中国近未来の薬物汚染を震撼させるに十分だとも言われていた。共産党一党支配体制の中国でも、モラルの欠如が招く社会悪が蔓延ることに、強制力を持って抗ってゆくことは、難事業だと思わずにはいられなかった。

さて、日本の犯罪者に対する矯正教育の仕組みの中で保護司さんのことを説明したところ、大変熱心に質問された。何の権限もない民間人の保護司さんに、

一体どれだけの仕事ができるのかという関心。基本的にボランテイアという保護司さんと言う仕事が、社会の中で責任を果たしてゆくことができるのだろうかという疑問。とにかく、熱い質問で時間の限り攻め立てられた。

 

物心の充足感があってこそ、礼節をはじめて語れるのだと故事で学ぶことは多い。しかし、経済的に豊かになっても無秩序な行動や思想、風俗習慣が入り混むことが現実的には多い。グローバルゼーションにより地球が狭くなって経済はより密接になったが、幸せに生きるという価値観の創造は揺らいでいる。

私たちの生きるこの社会では、許しがたい犯罪を起こした人間であっても、社会復帰の機会と更正の機会を与えている。理屈の上で罪を償っても、罪を犯した人格に特筆すべき成長や生活習慣の前向きな大きな変化がなければ、再犯への道を辿らせてしまう。社会更正には、保護司さんの力によるところが大きいが、その献身的な善意に頼ってばかりいても社会の安寧は遠のくばかりである。罪を犯した人間を更正させるのは、社会を構成している人間それぞれに課せられた責任である。そして、必ず更正させるという覚悟も持たねばなるまい。

更生保護のような深い相互理解根ざしたの日中交流を強く願ってやまない。

自助・自立・自強

生活

朝晩の冷え込みを意識する時節である。東北の被災地の方々の暮らし向きが気になる。比較的復興の早かった神戸淡路、その震災後に困難な自立を決意した人々は、十分な準備も無いままに屋台を引き、あるいは、軒先を借りて店を出すなどして、苦労はかなりあったが、結果として生活を早期に立て直すことができたと聞いた。他方、年老いて病気を抱え、健康を保つことが難しくなっ人々。そのような社会的弱者が、冬場の寒い時期に、暖房燃料の過度な節約で低体温症を引き起こし、亡くなられた例が多くある。社会福祉といえども財政難でもあり、執行予算が限られており、無条件に支援も出来ない。国際協力の世界では、無償の支援でも自立を引き出す役割がなければ意味がないとされている。晩年に過度の節約を強いられ、低体温度症で逝くなどと痛ましい。



ところで、作家の曽野綾子さんは、日本財団の理事長を10年に渡り勤められたが、福祉に関しても一家言を持っておいでである。その曽野さんが、近著で“個人的な記録”をまとめている(「揺れる大地に立って」~東日本大震災の個人的な記録:扶桑社)。曽野さんが、たったひとつ心がけたのは、「普通の暮らしの空気を失わないこと」であると。東日本大震災以降、辛い話が多く、そのことを「人間は嘆き、悲しみ、怒ることには、天賦の才能が与えられている。しかし今手にしているわずかな幸福を発見して喜ぶことは意外と上手ではない」と。東日本大震災を第二の戦後復興のように表現する人も多い。が、現代と敗戦後の時とで決定的に違うことは、後者があらゆる支援が無く、みんな必死に努力して生きていたということ。社会的支援は、戦後復興期に比べ、制度の面や質においてはるかに恵まれているということがわかる。



さて、本来の社会福祉の場合、一方的に与えるというような支援で良いはずがない。あくまでも、人々の自助自立を援けるというものでなければ。そうなると、どうしても体が不自由で、人の助けがいつも必要な方を別にすれば、被災地の高齢者といえども、心の健康のためにも「上げ膳据え膳」で食事を提供されていると、社会的な弱者に親切なように見えて、実はその人の他者のために役立とうとする気持ちを奪ったり、支援を受ける人に有り難味が忘れられたりするようになり、かえって幸せになる機会を壊してしまいかねないと。

東日本震災復興支援事例では、復旧期の早いうちから被災者同士で仕事を生み出し、自治体と組んで被災者の現金収入(キャッシュ・ワーク制度)を確保し、自らが住まった地域の復興支援のために、後片付けの仕事に真剣の取り組んだところは、地域の団結とともに、自治体との協働体制も築けて、地域の復興事業への着手も早かった。仕組みづくりや運営のお手伝いという意味でも、自助、自立そして自強を後押しできることは、支援者の自信や勇気の源泉となり、実に誇らく晴れがましいことだと思う。

心がこもっていて、実直

生活

 この言葉は、司馬遼太郎氏が、ある人を評していった言葉である。

どんな人だったのかといえば、知的で人としての素養も十分。そして、「心が、こもっていて」という観察はどこから来るのかといえば、「訥弁」。つまり「どもり」ということであった。「えっ」と声に出して意外に思われた方もおいでかもしれない。司馬氏によれば、「訥弁」の人は、おしなべて誠実な人が多いとのこと。そして、実直で親切な人が多いという。話を真面目に聴いてくれる人に「わかりよい話をしよう」、「真面目に話をしよう」「適切な言葉を選ぼう」と過度に緊張を自ら強いることによって、訥弁になるのだと。立て板に水というような人より、悠に評価に値するのだということである。



昨年、注目を集め、アカデミー賞の部門賞を最多で受賞した作品が、「英国王のスピーチ」であった。本年、日本では東山紀之主演で舞台が製作された。作品では、現英国女王エリザベス女王Ⅱ世の父君、ジョージ6世の訥弁克服の努力は、艱難辛苦そのものであったこと。そして、その背景に乳母から虐待や食事を与えられなかったという幼児体験に加え、容姿端麗にして能弁な令兄のいじめなどもあり、心を閉ざすようになったと映画中では示唆が。訥弁を克服し、ナチスとの戦争のため国民を励ますスピーチは、実に圧巻である。

 

さて、現在の日本国首相は、演説をウリにしてきただけに、なるほど「立て板に水である」。震災復興や欧州経済危機、領土問題、社会保障と税の一体改革、原子力政策等々、丁寧に語らねばならないことは尽きないが、事情によっては「沈黙は金」。

お隣の李統領も任期が、任期残りわずかとなってからの言動が目を引くが、民間出身をウリにトップセールスの成果を誇らるが、外貨獲得や国際的な

地位を高めることに、一生懸命であることは認められてもウォンの為替水準

を見る限り、意図的に国際貢献を国力に比してあまりにも小さくしていると

思うのは、小職の歪んだ見解だろうか。

さらに世界が、自国のためにあるように言葉を尽くして雄弁に語る中国首脳。

いまや米国とならび称されるスーパーパワーとなり、外貨獲得や海外資源権益

の確保、軍備拡大に余念がない。人民元は、変動させていると主張するが容易に管理できる状態であり、米ドルと固定相場を敷く香港ドルと実質は変わらない。貯めることと覇権争いに熱心だが、国際貢献には思いのほか熱心ではない。

翻って中身のないことを雄弁に語るわが国の為政者、そして、自らを利することには大いに吼える隣人たちに囲まれている今、心がこもっていて実直な友人を大いに持つべきは、わが日本国自身ではないかとつくづく思い知らされる。

失われた20年というけれど

生活

 俗にバブル経済崩壊後10年間は、「失われた10年」といわれ、以後、「失われた20年」と。確かにバブル経済崩壊以降の20年間は、目覚しい成果の挙がらない日本ではあったが、欧米が「日本病」を揶揄する一方、国際通貨「円」が国際貢献してきたことや苦悶しながらも社会保障制度を維持してきたことを

再評価する声もある。

 

10月初めの毎日新聞の記事に、「消える証券マン20年で17万→8.8万人」という記事があった。1991年のピーク時に、日本橋兜町に20万人いた証券マンが、2012年6月時点の統計で8.8万人にまで減少しているという記事。

基本的に手数料で稼ぐにしろ、自己資金で株の売買を手がけて収益を上げるにしろ、株の取引量が縮み証券会社の収益確保はピーク時と比較すると厳しい

ことは容易に想像できる。ただ、中小証券会社といえども特色のあった会社や名門会社が廃業に追い込まれ、あるいは副業に力を注いだり、業態変更を積極的に行っていることなどを知り、日本経済の傷み具合に思いがいってしまう。

株式の売買手数料自由化は、時代の趨勢だったのかも知れないが、コンピューターによる売買システムは、ヒューマンウエアとしての証券マンを介さずに

おこなう取引を常態化させ、中小証券会社を次々に廃業に追い込んでしまった。

 

「時は破壊者」というのだから、20年という時は、ずいぶんと世界を変えてしまうようだ。他方、変われなかったものも。この10年間で、ベルリンに5回立ち寄った。ベルリンの壁の崩壊後、東西ドイツの統一はドイツ国内を劇的に変化させると思ったが。旧ドイツ領には、ベルリン市内も含め投資が進まず、雇用も大きくならず、したがって社会システムの充実には貢献しなかった。

理由の第一は、人の意識だという。今も旧東ドイツでは、特権階級出身者が

体制が変わった現在も無自覚でいるという。そのような人々の多い地域には、なるほど投資は進まないだろう。

他方、色の褪せない英断も。通貨ユーロ統一に際し、経済大国ドイツにメリットは少なかった。しかし、時のコール首相は、自国通貨マルクを棄てるにあたり、国民投票を実施せず、議会手続きだけで導入を決定したという。もし、この英断がなければ、ユーロは生まれなかっただろう。また、危機に際しこれまでのようなドイツを初めとする国々の協調はなかったことだろう。

わが国の衆参議会のねじれ状態が固定化しつつある中、決められない政治は

国民に阿る競争状態に陥らないだろうか。国民は、この先の岐路価値ある辛苦を理解し、受け入れられるだろうか。日本国の内疾患が、気になるところだ。

国家と日本人を問う日々

生活

 東日本大震災発生以降、伝えられて聞くもの見るものに、気をとられるものが数多くあり、感動も無力感も併せて飲み込むような複雑な気持ちで、月日を重ねた思いがある。

言い尽くされたかもしれないが、被災者の言動は、いかに困難な状況にあろうとも節度があり、しばしば聞き入り、感じ入ってしまった。逆に対照的な話、深刻な原発問題への取り組みや東京電力の対応に不手際があるとして、間断なくヒステリックに東京電力や内閣を非難する報道が続いてきた。事の重要性に鑑みて、日付を見なければ気づかないほどに変わりばえしない新聞や繰り返しのメデイア画像を見るたび、この国の財産は人に尽きるのだと気づかされる。

 

藤原正彦氏が、著書「国家の品格」で解いているように、「国家とは国語」という主張には思わず頷いてしまう。津波は、ことごとく人の暮らしを破壊して奪い去ってゆくが、人の思いや願いや祈りを奪い去ってゆくことはできない。

また、南米やハワイに移住していった日系人は、生物学的にというより日本人の文化を保っているという意味で日本人だと考えたほうが良いと思う。どこに住んでいようとも日本の文化を保ち、日本語を用いて思考し、礼節を重んじて暮らす人は日本人である。他方、「国家」を問われ、憲法を持ち出し、主権や領土などを用いて懇切丁寧に教養の一端を披露してくださったところで、その人の説明にすっきり腹落ちしないだろう。「国家とは国語」はいい得て妙である。

震災発生後、救助に手間取り、瓦礫に閉じ込められ、衰弱した状態で助けられた人たちは、「ご迷惑をおかけしてすみません」と詫びた後、心からの感謝の言葉を口にしていた。外国人からすれば、何も悪いことをしていないのに、なぜ謝るのかと不思議がるだろう。他人の手を煩わせることがあれば、天変地異や不可抗力が原因でも申し訳ないという感性は、日本人の宝とすべきだろう。

さて被災者の方々が、震災後、はじめての炊き出しで温かい食事を振舞われ、あるいは陸上自衛隊によって入浴ができるようになったときのことである。男達は、寒中に長くあって辛抱強く立ち並び、温かい食事を弱いものたちに、先に先に渡そうと、次から次に後ろに回していった。風呂にあっては、体の芯から冷えてしまっても、弱いものたちを先へ先へと風呂に入れさせていった。

やせ我慢があるかも知れない。当たり前として振舞う男達に、気負いもない当たり前のことだから。厳寒の中でも胸を熱くさせる立ち振る舞いは、なんとも晴れがましく誇らしい。許してもらえるのなら、日本人に備わる美徳と日本人に備わる優れた感性と資質と言わせてもらいたい。

他方、言い訳や保身に終始して、日々をやり過ごす人々に問いたい。本来、

日本人のもつ資質に欠けるようなあなたは、本当に日本人なのですか?と。

なぜ、主語を省いて話しても日本語の会話は成り立つのか?

生活

 その昔、政府開発援助(ODA)の二国間協議などに関わっていたことがある。

国家間の正式協議であるので、議事録が二ヶ国語で公式に残される。通訳も国家レベルに相応しい者が選ばれ、その任務にあたる。このような公式の議事の場で、しばしば通訳の方に小職はお叱りをよく受けた。つい、「主語」を抜かして話をしてしまい、その都度、お叱りを受けるのだ。曰く、「主語は何?主語は何?!ですか」と。終いには、「主語!主語!」と通訳さんまでが、主語抜きになるようなことに。日本人の多くが、気づいていないと思われるが、日本語は、主語が無くても会話が成り立っているのだ。

たとえば、恋人同士の会話で「愛している」といえば、主語を聞くまでもなく、言っている本人が相手に言っている言葉に相違ないと思ってよい。だが、英語の場合“I LOVE YOU”と必ず主語の”I”が入る。中国語とて同じで、主語の”我”がなければ、おかしくなる。誰が誰を愛しているのかと。ラテン語や多くの言語が、主語を会話に必要とする。そうでなければ、前出の通訳さんではないが、会話に混乱を起こすのだ。

 

どうして日本語の会話は、主語抜きで成り立つのだろうかと不思議に思っていた。そして、昨年ある新聞記事を読み、その理由について気づかされたような思いをした。それは、フランスに俳句を教えるために、文化交流大使として派遣されている俳人の”黛まどか”さんが、東日本大震災翌日の3月12日にフランスで行った講演内容であった。

講演の冒頭、「津波は花も虫も人も同じように飲み込んだ。無慈悲に。理由も理屈も無く。昔から繰り返される天災が、日本人に自然への畏敬の念を植えつけた」と。日本人の自然観をかように説明すると、聴衆の多くがうなずいたという。「自我」を原点に近代哲学を確立したデカルトの国で、「自分を出さずに自然を詠む」ことを教えるのは難しい。それでも、俳句の基礎「有季定型」を教え、ショートポエムではなく、俳句を選んだということが、「型」を選んだということだという認識に立つという。

季節が巡り、草木が豊かに芽吹く。しかし俳句は、けっして辛い状況でも、「生」への思いを述べない。そして、風景を俳句に昇華してゆくことで思いを託してゆくと黛さん。

日本人は、太鼓から自然に向き合い、自然災害を無条件に受け入れ、生命観を養ってきたのだろう。自分が、生きる人生であっても、自分が生かされている存在であると、遺伝子の中に刻み付けて生きてきたのではなかろうか。また自分が、生きているときでも、あくまでも自然が主体である。自分は、あくまでも自然の中で、客体として存在しているように生命を俯瞰するような感覚が日本人にはあるのではないかと。

 

さて、尖閣諸島を巡って日中間の摩擦が収まる気配がない。漢字を拝借し大和言葉にあてて文化を発展させた日本。これまでも、外来語の漢字(中文訳)表記を日式漢字から逆輸入して活用してもきた中国。

民族の根底にある精神的なよりどころも日中それぞれに、共通するものがあると信じたいのだが、平和的な解決はなぜにこうも困難なのだろうか。

 

豊かさ。他者を思う気持ち。

生活

 思いかえすたびに、胸がつまってしまう新聞記事がある。それは、昨年の産経新聞にあったもので、「永遠に忘れない」というリードの後に続いていた記事のことである。これから、寒くなる季節だけに思い返しつつご紹介したい。



ニューヨーク岩手県人会の岩崎雄亮会長は、震災後、極寒のニューヨークの街頭で募金活動をしていた。県人会員が声を張り上げていると、ボロをまとい穴の開いた靴を履くホームレスの黒人男性が3ドルを寄付したという。

黒人男性曰く、「私は一晩食べなくても大丈夫。だが、日本の被災者は私と違い、明日も次の日も食べ物がないだろう」と。

 

冬のニューヨークの寒さは堪える。ましては、ボロをまとい穴の開いた靴を履くホームレスの男性の境涯では、一歩間違うと凍死の危険性さえあるはずである。そんな人が、自分より弱い立場の人を慮り、大切な金をいともたやすく寄付をしたのだ。寄付というより、死語に近いかも知れないが“喜捨”をした

のだ。どんなにか、ニューヨーク岩手県人会や話しを伝え聞いた被災地の人を励ましたことだろう。

 

自分より、弱い立場の人のために、役に立とうと自然に行動できる人。

その人は、自分の人生に揺るがない価値観を保てている人であり、幸いな人である。他方、見て見ないふりをするつもりはないのだが、きっかけが作れなかったり、ためらいがあったりして行動が出来なかった人も、人の置かれている境涯に思いの及ぶ人である。やはり、幸いな人であろう。

私はボランテイアについて問われると、「能動的であること」を前提に「施し」

に近いのではないかとお応えしてきた。真っ先に思い起こせる「財施」という施し方もあるが、笑顔で人の心を明るくしてさしあげる「顔施」という施し方もある。人を励ますことも、席を譲って差し上げることも立派な施しである。

 

大震災発生後、1年半以上経った。財政難とはいえ、遅々として進まぬ復興。いや復旧さえ、遠い地域もあると聞いている。進まぬ復旧復興は、精神的に人を生きながらにして腐らせる。善意の第三者にも、精神的負荷をかけてしまい、支援疲れを引き起こして蔓延させる。必要なボランテイアの員数を確保できない中、若い世代の方々が、相も変わらずボランテイアに出向いてゆかれるという話を聞く。心に松明が点る思いがする。これから先、長い時間をかけて施しを募ってゆくべき。松明は、大切に長く確実に、受けて継ないで行ってほしい。

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