11月2012

豊かさを祈り、思う

生活

 小職が、はじめて中国大陸に仕事に出かけたのは、80年代半だった。人々は、豊かさを求め、国家建設に邁進するという意気込みにあふれていたように思う。

市井にあっては、人々が貧しさを克服し真に豊かさを求めようとする様子を見た。それは、日本の高度経済成長を重ねて見る思いがしていた。

しかし90年代に入り、物質的な豊かさと相反し悲しい風景を見聞きするようになった。それは、「七夕婚」または、「カササギ婚」(カササギという鳥が牽牛と織姫の逢瀬の手伝いのため橋を作るという伝説に由来)という言葉だった。



市場開放改革を突き進む中国にあって、現在も繁栄の中心は沿海部の大都市に集中している。結婚し、あるいは婚約していても将来の豊かな生活を夢見て、蓄財のために離れて暮らす地方出身の夫婦や恋人は多い。その男女が、年に一度、牽牛や織姫の如く逢瀬を求めてはるばるやってくる。しかし、一緒にいることが一番自然な二人、経済最優先に離れて暮らしていると、やがて心が通わぬ仲となり、夥しい数の離婚に行き着く時代があった。

そして、「房隷」という言葉が生まれ直訳すれば、「住宅ローン奴隷」とでも言うべき夥しい人々が生まれた。世界が、うらやむほどの好景気でサブプライムローン禍やリーマンショック禍もものともせずに成長してきた中国で。

「大卒者の就職率は50%程度」である(改革開放のさなか大学の定員が2倍ほどになったことも一因)といわれてはいるが実態はわからない。世界で一番明日の夢を見られそうな中国でも、つらい思いをしている人々が大多数である。繁栄も悲惨も全てある中国。



ひとりっ子政策によって、夫婦は、二人で四人の親を支えることになるが、政策的に作られてきた景気過熱により住宅市場は完全なバブル状態にあることは明らかである。バブル経済が、崩壊しないのは想像を超えた体力があるからだろうか。

さて、ほとんどの夫婦は、両方の親から借金をして頭金を作り、夫婦の年収の8倍程度の住宅ローンを組むことになる。そして、収入の半分程度を支払い続ける。日本でもバブル期の政策目標として、サラリーマン年収の5倍以内の住宅供給が目標とされていた。中国の方は、基本的に土地は国の財産なので彼らが求めるのは「使用権」に過ぎないのだが、「房隷」状態では、所有権や使用権の違いは問題ではない。

日本のバブル経済の破綻は、教訓として大陸の人々に生かされないのだろうか。景気は、循環すると日本では小学生でも社会科で学ぶ。中国でも、やがてバブルがはじけ、景気後退は必ず来ることは容易く予想できる。近未来、大陸で数億の人々が、あるいは、住宅を処分しても大きなローン残債を抱えた人々が、苦しみもがいても不思議はないはずだ。

経済のグローバル化と声高々に20世紀末に言われていた。特に米国の価値観を押し付けられ、それに従うことが幸福の免罪符のように信じられてきた。ありきたりの云いだが、幸せになるために金銀財宝は必要だが、絶対条件ではない。成熟社会の常で、縮みゆく日本。お上任せでなく、幸福の価値創造を自ら思い描き挑むことをなすべきである。これから、歳末までのひと月、時間をかけて一年の計をたててみたい。

国家や社会の安寧のための支出

生活

 以前、本コラムで「更生保護」のことを取り上げた。北京市当局の日本視察

のお手伝いをしたときのことを書いたときのことである。

北京市当局の視察団が驚きを隠さなかったことは、日本では、社会正義を実現せんがため多くの保護司さんたちが、ボランテイアで過ちを犯した人々の更正を願い、熱い気持ちで反省と正道へと導いているということだった。

ところで、直近の資料によると犯罪者に関する支出につき、人件費や施設の償却費、医療費、福利厚生費などを含めるとおおよそ年間2000億円の支出ということである。これに対する犯罪被害者への支援は11億円程度であり、一家の柱を失った家族や寝たきりになった被害者への支援は行き届かず悲惨ということである。まこと犯罪者は、人権という言葉によって弁護士や国家に護られている。他方、犯罪被害者は置き忘れられたようなもので、ようやく法改正が行われ、裁判によっては参加して意見を述べることができるようになった。犯罪被害者となり、亡くなった方の遺族の保障問題や寝たきりの被害者のお世話に、一時的な見舞金支給があっても、その介護生活には一向に光がさし込む気配がせず、法律や行政に血が通っているように思えない。

 

知人の保護師さんのわかりやすい言い方では、「国が、更生保護にかける費用は、犯罪者ひとり頭にすると年間300万円程度」とのこと。

近年、犯罪者の再犯率が犯罪の種類にもよるが、押し並べて50%弱という

ところである。いろいろと意見はあろうが、保護司の方々の献身的な努力をもって、どうにか社会の安寧は保たれている。もし、保護司制度がなければ、更生保護に対する支出はかさむ一方で、支出と効果の論議の的となれば、唇寒いことになろう。更正保護とて、大きく構えて社会教育的な費用である。世の安寧という観点からすれば、ほかの分野でも支出を増加させたほうが、著しく効果を大きくすることになるかも知れない。遡れば、義務教育や単に高等学校授業料の無償化ということ以外に、成人前の国民に生涯にわたって、生きる礎や糧になるような知的財産の形成をすることが可能になるかも知れない。

 

国家財政に関する負の情報に関して国民は、事の重大性に気づかず麻痺している如くに感じる。予算が足らねば国債発行もやむを得ずに靡く。日本の国債の歪さは、世界に冠たる経済国家ながら国債の引き受けはほとんど国内で、真に金融市場で信頼されていないという点である。GDPに比しての国民ひとり当たりの政府債務率は、ハイパーインフレで国の体裁をなさないジンバブエについで下から2番目。毎年、毎月借金して、生活費を賄うような暮らしの先に夢などあるまい。夫婦間で借金のやりくりをして凌ぎ、体裁を作るような経済に未来はない。指導者は、目を逸らさず正直に現状を語り、増税によってしか借金を減らせないと喚起すべきだろう。借金返済も安寧ための支出に違いない。

東京都、高等学校の日本史が必須科目になって2年

生活

 都内の高等学校の社会科の選択科目であった日本史を必須科目になってから2年経過ということである。必須にした理由は、いろいろとあることだろう。現実的に考えれば国際交流が、地球規模のものとなり、母国の歴史について一定の理解をしていなければ、支障が生じるということがあるだろう。また、母国の歴史について外国の方から尋ねられて答えに窮しては、なんとも情けないことだろう。断じて、母国の歴史を学ぶことは教養というにふさわしい。



本来、高等学校の日本史の必須科目化が図られるべきと機会あるごとに、小生は訴えてきた。日本史が、これまで選択科目だった理由は、国際化を考えるならば世界史のほうが優先されてしかるべきということであった。したがって

これまでは、世界史が必須科目で日本史が選択科目であった。限られた時間内で授業を進める必要から、選択科目は自由に学べる科目というより学ばなくて良い科目という空気がある。



長く東アジア、東南アジア諸国との間に横たわる歴史認識問題。

日本は、贖罪の意識からか戦争の事実などを伝えることよりも、教科書の記載からできるだけ、都合の悪いことを削除する作業が多かったように思える。それは、歴史観の立居地が右寄り左寄りに限らずに。戦争責任に関して、戦争がいかにおこされたかについて、高校生が納得できるような教科書はあるのだろうか。大人が答えに窮するような事柄が、次から次に記述から消えて行くばかりのように思う。

その点、被害者意識が強いということばかりでもないだろうし、あるいは反日本教育の目的ばかりというのではなかろうが、近隣諸国は、母国の近代史教育にかなり力を入れている。

このままいけば、中国や韓国から修学旅行や家族旅行で来日した少年少女らに、歴史的事実に照らして質問されて応えられず、なんとも情けないということが多発して笑いものになりかねないと案じている。



現実の問題として、中国や韓国の反日行動は徹底しており、世界中の国に人を派遣し、いかに日本が中国、韓国ほかアジアの人々に迷惑をかけてきたかについて、長期で予算を組んで広報している。自国の都合を押し付けるような教育は望ましないが、少なくとも悪意に満ちた歪曲された歴史観には対抗せねばなるまい。



某新聞記事に、とある校長先生が教員に「校長先生のお父様は、戦争に行かれたそうですね。戦争犯罪者だったのですね」といわれたということが掲載されていた。本人の意思にかかわらず戦場に送られるのが戦争なのだが、様々な史実やエピソードも伝えることなく戦争を断片的に伝えると、平和のための教育どころか、平和の価値や歴史から学ぶ機会さえなくするような気がしてならない。

日本史を学ぶ機会を都内の高校生のために担保できることは幸いな事である。

布施や喜捨の心

生活

 大陸や半島を経由して日本に伝えられたものは数知れないが、一番大切にしなければならいものは、釈尊の教えではなかろうか。釈尊の教えは、「利他的な生き方」、言い方を変えれば「公共の利益」を優先させる考えを示している。

それは、私たちの個々の力は小さくとも、団結して困難に向かい合う時、あるいは天災に向かい合う時、誇らしく晴れがましい私たちの内燃機関となっている。

ところで、ここ数年の間に、自らの危険を顧みず行動を起こした若者を賞賛に値する報道が続いた。あらためてとりあげてみたい。ひとりは、20歳代前半の青年。彼は、駅のプラットフォームから酔って線路に転落した若い女性を見て咄嗟に線路に飛び降りた。冷静に電車に轢かれないように彼女の体の向きを変え、自らも狭い非難スペースに飛び込み生還した。胆力もあっての行動だろう。

もうひとりは、燃えさかる集合住宅から助けを求める4歳児に応え、壁をよじ登り幼児の元へ行き、片手で抱えて配水管を伝って生還した当時。宮城野部屋に入門間近という高校生とその友人。彼らは、ともに「ただ助けたい」と思い行動したのであって、賞賛や自らに降りかかる危険については考えが及んでいないようだった。彼らの行動には、利益や恩恵の文字は一切なく、自らの意思でできることをさせていただくという謙虚な思いが滲んで見えるようだ。

 

小生は、ボランテイアの本質は何か?と問われると、「施し」「布施」のようなものではないかと考えている。

さて、「布施」には「三施」といわれるものがある。「財施」と呼ばれる金や物を与える布施。「法施」と呼ばれる仏法や知識を与える布施。そして、人間の心の不安をとりのぞく「無畏施」と呼ばれる布施のことである。「財施」を行う時には、喜んでさせていただくという意味で「喜捨」のような気分をもってドナーになりたいものである。お金が無くとも、知識や技能技術をお伝えすることもできるだろう。海外青年協力隊やシニアボランテイアもこれらの代表格。また、「無畏施」となると生き方や職業意識や倫理観も大きくかかわるかもしれない。ところで、釈尊が唱えた七つの「無財施」というものがある。

・    眼施 (慈眼施) 慈しみにみちたやさしいまなざしで接する。

・    和顔施 (和顔悦色施)いつも和やかな顔で接する

・    愛語施(言辞施) やさしい言葉や思いやりのある態度で接する

・    身施 (捨身施)自分の体を使って自ら進んで奉仕をする

・    心布施(心慮施)他人のために心を配り、痛みや苦しみ喜びを分かち合う

・    牀座施(しょうざせ)他人のために席や地位を喜んで譲る

・    房舎施 風や雨露からしのぐ場所を与え、また傘を差しかける行為

いかがだろうか。ほんの少しの勇気や心配りで、社会や世界が明るくなることは容易に想像できよう。よりよく生きるために、老婆心を発揮したいものだ。

漢字の特性のこと 日本語のこと

生活

 漢字は、単なる亀甲文字や表意文字から多くの人々の思いや願いを汲みとり、生命を与えられ大河の堆土のようになって、人の魂を培ってきたことだろう。

始皇帝の時代に漢字の統一がなされ、いよいよ人と人との関わりを発展させてきたことだろう。この時代の文字は、篆書(てんしょ)体といわれるもので落款(雅号などと一緒に用いる印鑑)に彫るときに使われる象形文字である。

 

日本語は、もともと文字よりも言葉という音が言霊という言い方で尊ばれていた。だから、大陸から漢字を導入した後に、日本語本来の音と大陸の文字をつき合わせて逐一意味づけをしたに違いない。

仮名は、漢字から派生している文字だが一文字だけでは意味を成さぬ場合が多い。しかし、正確に読み方を伝えることによって、漢字が読めぬ人にも意味を伝えることができるという大きな機能を持っている。この点、大陸の文字や西洋の文字と大きな違いがある。たとえば、アルファベットを用いる場合、文字の綴り全体で意味を成すのであって、日本語の例として「机」は、漢字を知らぬ者にも「つくえ」の3文字を知っていれば、第三者に確実に伝達できる長所がある。他方、これに対応する英語の「Desk」は、文字の綴りが間違っていれば意味が全く伝わらなくなる。

ところで、送り仮名がひとつ足らないだけで、正反対の意味になるような文字がある。例えてあげれば、「祟める」と「祟る」である。

「崇める」は「あがめる」である。「祟る」は「たたる」である。「崇める」は、能動的で敬うということばに近い意味がある。「祟る」は、蒙るということばのように受動的な意味合いが強くなるようである。送り仮名が、ひとつ抜けるだけで、まったく意味が異なり真逆のような印象さえ持ってしまう。



さて、墨の書文化が盛んな日本であるが、画のほうは書に比していまひとつである。書は、象形文字であるから画を発展させたというべきかどうかを別にしても、全く別に扱うことに違和感を覚える。中国では、書と画と篆刻は一体化しており、美術大学に学ぶ人は、これらをひととおり学ぶこととなる。日本では、書をたいていの場合、文学部の国文科や中国文化学科あたりで学び、画は、美術大学の日本画の一授業で学ぶ程度である。篆刻については、篆書体を

体系的に教育機関で学べるかどうかという程度である。本来の文化的体系からすれば、読める字は書けて、また因む画を描けて、篆書体を彫れるということであるべきであろう。物事を細分化させるとかえって、文化の発展を阻害させるような気がしてならない。漢字にお世話になっているこの国で、書道の体験は義務ではなく、国語の一授業で扱う程度でしかない。文化の後退ではないだろうか。かつて、大陸から経典を持ち帰った人々は、命がけで海を渡ったというのに。残念でならない。

公共財を活かすのは、結局は市民

生活

 知人に東京都内で、主として義務教育課程にある児童や生徒とその家庭の

教育支援を目的とする地域NPOの理事長の方がいる。

そのNPOは、文京区を活動拠点としている。たとえば、小・中学生の補修に対しては、東京大学をはじめとする大学院生らによって、疑問が解けるまで、納得できるまで懇切丁寧に教えてもらえるNPO組織である。勉強だけでなく、サッカーなどのスポーツの指導を専門家から受けることができる。受益者負担はあるが、一般の学習塾やスポーツクラブとことなり、地域密着で指導を受けられる点が何よりも良い。文字通り文京区は、東京大学やお茶の水女子大学の研究拠点や校舎、筑波大学の研究機関、伝統や実績のある私立大学の活動拠点などもある文教地域である。地域社会と密接に結びついて、活動の実を挙げることは可能である。実際に、地域の特性を生かして成果を子どもらにもたらしている点が評価できる。

 

大学が、直接、児童や生徒たちに補修を行うことは出来ないが、市民らが組織化して介在することで、質の高い補修を提供することはできる。

欧米の公共施設は、創立こそ官費で行われているものがほとんどではあるが、

その後の運営管理は、NPOでなされている例が多い。例をあげると図書館、音楽ホール、体育館や運動施設、病院、福祉施設、そして大学なども。

 

結局のところ、公共施設の受益は市民に還元されてゆくのだから、積極的に市民らに運営管理をしてもらい、ノウハウを蓄積してもらうことは望ましいことだと思われる。近年、指定管理者制度が生まれ、民間事業者や市民団体による応札落札が増えているが、よいことばかりでなく、過当競争により受注金額の低下が賃金デフレを助長しているという批判もあがってきている。

 

かつての名門ホール、新宿宿の厚生年金ホールが閉鎖して2年ほどになる。この施設は、ホテルと結婚式場、大規模ホールによって構成され、1961年オープン。以後、高度経済成長とともに国民的厚生施設としての任を全うしてきた。会館本部棟は、カメラの博物館として活用されることにきまっていたが、現況はどうかわからない。交通の便利もよく、こよなく愛されてきたホールは使命を終わらされることとなったが、このホールに愛着を持っていた歌手のさだまさし氏は、文化行政を「バカモノ」声を大にしてと批判した。ホールは文化財であり、支えるスタッフの育成も含めた重要性の認識が足りないとのことである。

さだまさし氏の見識は、ごもっともであるが今に始まったことではない。

ハコモノ行政などといわれるが、もともと運営にかかわる人材や関係する人材の育成、市民に対する啓蒙が十分でない。

 

たとえば、公立美術館。購入する美術品は、金額を基準にして購入することばかりが多く、美術関係者を利することばかりだったのではないだろうか。欧米にかぶれているわけではないが、展示を経済的な価値に軸足を置いてきめず、

文明の成り立ちや文化的な系統や血脈に基づき行うとか、維持修復を行う専門化の育成など行えば、単なるハコモノで終わる美術館などなくなるに違いない。

翻って公共のホールとて、ハレの日の舞台に終わらせず、音響、照明や舞台製作の教育の場として活用すれば、文化的な雇用創出の役割も担えることだろう。欧米とは、税制の違いなどもあり、単純な比較などできないが、文化財を創設後も維持保全する観点において、地域住民やNPOの積極的な関与を呼び込み、価値を創出してゆくやり方に学ぶことは多いのではなかろうか。この先、人口の激減や税収減により、公共財の維持管理は、困難が付きまとう。しばし立ち止まって考えてみることが必要ではなかろうか?

 

なんで複数形なのか?スペシャルオリンピックス

生活

 報道機関の調査によれば、日本人の知的障碍者に関する理解は驚くほど低いという。知的障碍者に限らず、たぶん障碍者全体に対する理解が低いのだろう。心当たりはある。欧米の区々では、よく障害をもった人たちを見かける。公共交通機関をはじめとする社会的なインフラの整備が充実しているおかげであると思うが、障碍者を「特別扱いせずに外野に追いやらなかったからだろう。」と想像している。障碍者が気後れすることの無い社会を実現している。



日本では、少子高齢化が叫ばれて久しいが、やっとバリアフリー対策に役所の重い腰が上がった感じがする。「歳をとれば、誰でも障害をもれなくもつ

ことだろう。」そういう意味では、障碍をもつことは、「特別なことではない。」

脳梗塞などに襲われれば、若くして体の自由を奪われる可能性を誰でももっている。



小職は、知的障害者や特別老人養護施設を先天的な環境で身近に見てきた。

知的障碍者は、むしろ一般人と違って優れた特性を持っていることがある。例えば、生活雑器のような陶器を一日に何個も作らなければならないときに

健常者はすぐに飽きたり、根を上げるのに粘り強く作業できたりする。邪推や気の迷いもなく、休息を義務付けない限り休むことも考えずに一つのことに没頭していることもある。ある意味、凄みのあるような仕事を何気なくやっていたりする。彼らは、行政が医学的に劣る体の機能を分類して公共的福祉の実現のため、区別して遇してきた。

彼らは学校や施設から卒業すれば、仲間から切り離されて孤独になりかねない。心を通わせる仲間と会うことさえ、ままならなくなるのである。日本で理解が足りないということは、彼らを孤独に追いやってきた歴史があるということであろう。行政に頼らずとも、彼らとともに生きる知恵は共有できよう。行政のように標準的なものさしで考えれば、たりないものの多い彼らだが、われわれとかわりなく、等しく日本語を解し、誰一人として同じ生き方をすることの無い「スペシャルパースン」なのである。

さて、「スペシャルオリンピックス」という複数形名称の競技大会がある。その名称の由来だが、競技の時、練習の時、あるいは世界各地での大会の時、彼らにはサポーターが、いつも傍らにいるから、いなくてはならないから複数形なのだという。まさに至言の極みである。

アジアでは、先進国の仲間入りを先頭を切って果たしたという日本にはあるようだが、こと障碍者福祉に関して言えば、欧米に遠く及ばない。超少子高齢化社会に先頭をきって突入した日本。有る意味、高齢者福祉と保健衛生において世界に手本を示せたことだろう。政情が安定しておらず、不安視されている北東アジア。社会福祉の分野で、貢献できることを示してゆくことは、これから超高齢化社会を迎える中国韓国への関係改善への良いメッセージになることだろう。

詮無いこと

生活

 11月は、6月と並んで医療機関に新しい患者さんが殺到すると聞いた。

保険会社の統計にも表れているらしいので、根拠の話のようだ。

6月は、梅雨入り後の梅雨寒ということがあったり、急に気温や湿度が高くなり、体がついてゆけないこともあるのだろう。11月は、急に気温が下がり、

風邪や間接痛も多いようだ。体を冷やすことは、万病の原因のようで内臓疾患の方も多く受診されるようだ。驚いたのは、歯痛。気温が下がり、虫歯なども痛みが出てくるらしい。



寒くなると、懐も寂しいとき、詮無い思いをする話が巷間にあふれ出る。

今回は、江戸っ子らしい大人の詮無い話をしてみたい。

ある作家が、記していた実話である。

昭和の初めごろ、「大学は出たけれど(食い扶持が得られない)」の流行語に代表される経済恐慌が起きた。その頃の話である。作家は、ようやく芝居用の書き下ろし作品で世に出ようとしていた。



この作家の仲の良い噺家にRというものがいた。あるとき、浅草花屋敷裏の芸者家につれてゆかれたという。Rが、芸者家の主人が落語好きなので一緒に話相手になってほしいという。主人は、三十を過ぎたばかりで、山の手にある不動産屋の跡取りで、妻帯している。それに芸者の二号を持っていて、抱えも二人置いて芸者家を出している。親にはもちろん内密にしているが、半日は旦那として芸者家におさまっている。

そこにKという主人より一廻り上の芸者がいた。作家は、噺家に連れられて芸者屋に出入りするうちに、自然と箱屋から来る伝票の具合でKのお座敷の様子も知ることとなった。と、同時に噺家の芸者に対する思いも知るようになった。「ねえさんが、あんまりにもかわいそうだ」とRが泣いたこともあったという。そしてある時、噺家が作家に向かって頭を下げた。「一生のお願いがあります。あなたの芝居が板にのって、たろう(金)が取れるようになったら、ねえさんをお座敷に呼んでください。その時、私にお供させてください」と。



噺家の恋は片恋だった。芸者は、どんなに酷いことをされても一廻り下の旦那が好きでたまらない。約束から三年後、作家の作品が上演されることになり、約束を実行した。噺家は、相好を崩していたが、眼の下に痣があって、もともと相がよくない。件の芸者を呼ぶと、暇なせいもあってすぐに来た。芸者の目元が赤らんできた頃、作家を立会いに芸者が噺家にお願いをする。「ねえ、お互いに、もっと年をとってから、“いろ”になりましょうね。げんまん。」

芸者は苦労人だから、本来、人の気持ちが良くわかるのだ。しかし、数年後、噺家は病気であっけなく逝ってしまった。まもなく、芸者家の旦那も逝った。さらに、芸者も後を追うように。遂げざる思いは、墓場までという話。

社会正義を考える

生活

 近年では、トヨタ社の大リコール問題が例になるが、米国は、事あるごとに国を挙げて行過ぎた政治ショーを展開しているように思えないでもない。自動車は、アメリカを象徴する産業であり、全米の労働者団体の最大の器を抱えており、過去、日本叩きに利用されてきた。ただ、命にかかわる問題でもあり議論を盛んにすべきことでもある。米国は、過去において事あるごとに利害が衝突する問題が起きると、世論をあげて日本を異端と決めつけたキャンペーンなども行ってきた。必死に貯めたドルをどれだけ吐き出したかわからない。

また、中国に眼を転じても国交正常化以降、外交の節目で日本の歴史認識問題などを大きく取り上げ、中国国内世論などを利用し反日感情を喚起してきた経緯もある。都合の悪いことは、すべて反日行動につなげられているようである。簡単に評価はできないが、米中二大超大国は、日本を良く研究して戦略に生かしていることは確かである。

 

ところで、超二大国家は日本を異端扱いしているとしたが、「お互い様」という感じのすることがある。「死刑制度」のことである。

欧州を中心に死刑廃止国は世界中に広がっており、世界的な死刑廃止圧力が増し、米・中・日3か国の死刑制度の維持は否応なしに目立ってしまう。米中2か国は、「死刑制度」の維持が凶悪犯罪の抑止力になっているとして、容易に廃止に向かう気配がない。日本では、民主党政権に移り、法務大臣に死刑廃止論者の法曹出身者が就任したこともあったが、「死刑制度」の維持を多くの国民は調査でも支持しており、法務大臣は世論を注視し、「死刑制度」に関する勉強会の運営にも力を入れている。これは、治安に対する不安の現れだろう。加えて、殺人事件の時効廃止も大方の世論が支持することとなり、遠くない時期に現実に法改正となりそうである。

 

ところで、そもそも論でいうと死刑制度廃止論は、「人を殺すことを禁じている国家が、人の命を奪うという刑罰を用いるのはおかしい」とする単純明快な理屈からきている。そして、この論理の理解できない日本国民は、ほとんどいないようである。にもかかわらず、「死刑」制度廃止を望まない多くの国民がいるのは、改革半ばの裁判制度、量刑判例、更正制度、矯正指導等において不十分と考えているからではなかろうか。つまり、制度やその適用において社会正義が、十分に実現していないと思われているのではないかと。

他方、受刑者には社会更正を促さねばならないのも事実であり、出所後の不安解消に生活保護があっても、官民協働で社会更正が進むように住居や就職を支援しなければ、図らずも再犯の道に追い込むことになりかねない。

明治維新は、国家予算の半分を義務教育に割くという英断があり、日本の先進性を後押しした。しかし、OECD加盟国で教育予算の比率は最下位となってしまった。今や法治国日本の法務省の予算金額は、中央省庁で最下位である。

そして、社会更正のための予算金額は、少ない法務省予算のうちから3%。保護司さんの無報酬で活動する献身的な支援があるとはいえ、今一度、社会の一員として官民協働で、国や地域の社会正義の実現を考えてみる必要がある。

和 敬 清 寂

生活

 「一盌(わん)のお茶を点て客をもてなす」つきつめれば、それだけのことだと千玄室(裏千家前家元)氏は仰せになっている。「和敬清寂」は、日本文化

を代表する総合芸術にまで体系化された茶道に対する「四規」、利休の教えである。思うに和を尊び、相手を敬い、己の心を清め、寂然不動の心でおもてなしにのぞむというように本来は、心静かに己と照らし向き合うべき規範とすべきものであろう。思うに「四規」は、お茶を差し上げることだけにとどまらず、あらゆる機会に人と向き合う心構えとしては鑑とすべきものがある。「四規」に加え、「七則」もあるのだが、そこにある「花は野にあるように」は思い出深いものがある。

 

小職は、かつて国際協力分野の公務でモンゴルに派遣されていた。

そのことがご縁で、故郷の有志らと2000年にモンゴル国に交流に出かけ、南九州(鹿児島)とモンゴル国の双方の交流を開始した。早速、翌2001年には、モンゴル国からカウンターパートのメンバーを招いて、鹿児島で交流を行った。

そのときのことである。支部長の邸宅は、鹿児島市郊外にあり、屋敷の周辺は、昔のままの自然が残る築100年以上の古民家であった。モンゴルの人々の暮らしぶりを拝見して、自然とふれあえるようなおもてなしを考えて亭主は招いたのだった。

モンゴル国からの客人をお招きすると、邸内では、お琴の演奏がすぐ始まり、趣のあるおもてなしが始まった。当然、お点前も差し上げたのだが、なれぬ畳の上で正座をしたこともあり、思うに茶を味わう余裕などなかったように思う。それでも、日本の自然から生み出された漆細工や指物や工芸品に興味が湧いたようだった。中でも、竹を細工した一輪さしに活けてあった花を見て、この花にそっくりなものがモンゴルにもあるといって喜んでいたことを思い出す。

茶室には、本来、必要なもの以外は持ち込まず、客間にも鑑賞すべきものをよく吟味して持ち込むべきである。意識的に野趣つよく演出することは難しいと思うが、あるがままの草花の美しさを茶室に持ち込むことはできる。

さて、話を戻したい。亭主は、気をよくして、その後茶室に“もんごる庵”と表札を架け替えられたということであった。

 

お国のほうは、解散を迫るほうも、先のばしにしたいほうも確たる民意の支持も寄せられておらず、攻守いずれも旗色が悪い。かようなときは、国会議事堂の広い敷地に緋毛氈でも敷いて、党首自らお茶会など催すくらいの余裕がほしいものだがものだろうか。

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