11月2012

椿

生活

 「椿」は、水墨画の画題でよく描くのだが、描くたびに思うことがある。

「椿」は、日本語では言わずと知れた「つばき」のこと。中国語では、実

は「椿」は、「栴檀」のことを意味する。漢字の国のことだから、もともと

は「栴檀」のことに違いないかもしれない。



日本では「椿事」と書けば、「めずらしい事、喜ばしいこと」だという印

象がある。さらには、「長寿、長編」などの意味も加わる。「椿」は、日本では「首から、ぽろりと落ちる」ことから、病気の見舞いには最も向かない花だとされてきた。他方、「落花に雪。踏み惑うが如く」と書けば、それは「雪の上に落ちた、色鮮やかな椿」に違いない。時代小説なら、刃傷沙汰が起きて「斬っては捨て、斬っては捨て」の予感がする。なにかと話題に困らない花である。

では、中国の「椿」、「栴檀」のことであるのだが、「栴檀は、双葉より芳し」にたとえられる高尚な印象がある。(栴檀林と書けば、人材が集う学びの場であったり、教育の場であったりする。)仏縁が深い樹木であり、哲学的な匂いがするし、崇高な気配が漂う植物である。

 

ではなぜ、日本で「つばき」を「椿」とするようになったか?

これについて、碩学金田一春彦博士は、『日本の南から「梅」から「菜の花」「桜」と北へ上がって行くが、「桜」が青森あたりで咲いても、まだ肌寒い。「つばき」が咲いてこそ「春」だと、青森あたりでは実感がされていたのではないか。そのようなことから、どうやら「つばき」が、春の木になったようだ』とのこと。きっと、「つばき」こそは希望の花であり、人の暮らしを身近な花に違いない。「椿」が花をつければ、こころに命の灯がともるような心地だろうか。雪深い国々の想いがしのばれる想いがする。

 

他方、中国の「椿」。漢字の本家の「椿」。「縁起」をたとえる花でもある。「椿」の「春」は季節のことではなく慶事をあらわすような感じがする。わが国でも金田一博士によると滝沢馬琴先生が、長編小説のタイトルに縁起を担ぎ、あしらったりしたそうだ。よろこばしいことには、日中間の理解に差があってもかまわないが、口泡ものの論議をせねば成らないときには困り物である。

 

中国語は、全て漢字表記。日本の「カナ」同様に外来語を、全て漢字で音に似せて表記は困難。すると、意味を咀嚼して漢字表記するものと音に似せて漢字表記するものが混在する。中国人には、読めても意味不明の言葉が、多く溢れ出ているのだ。そんな時、和製漢字表記されたものを、中国は日本から輸入すると良いと思う。

小職は、英米で発展した学問を中国から漢字を借りて学び、国際協力で中国に派遣され、そこで漢字を使って指導した経験がある。漢字をお借りした日本からのお返しが少しは出来たことは救いである。