11月2012

平均的という”ものさし”が使えそうにない国

生活

 近年、日本のメデイアで使われなくなってきた表現に、「わが国の平均的4人家族で、年収●●万円の場合」というものがある。使われなくなった理由はいくつもあるだろうが、容易に想像できることがある。まず、右肩上がりの経済成長が止まり、長期に平均的なモデルを使えば新鮮味に欠けるものとなったり、モデル自体の年収が後退して好ましいイメージを損なう等の理由である。

他方、平均的モデルという表現なのだが、総平均法で計算して抽出すると実際のところ、存在していそうにないモデルになりそうだということもあるだろう。核家族化という言葉も使われなくなってきた。世帯形態が、ふたりは「ごく普通」で、「おひとりさま」も、普通の世帯の範疇である。

その平均のメルクマールが崩れた日本であっても1000キロ離れた地域どうしの給与所得者の平均が2倍も、3倍も差が出ることは考えられないだろう。また、経営者と初任給の差が10倍以上もある企業は、かなり少ないと思われる。日本は誤解を恐れずにいえば、均質な国であり、社会保障などを見ても社会主義国国家に近いような気がする。

 

さて、中国のことである。横に6000キロメートル、縦に5000キロメートルの長さがある。赤道の長さが、約4万キロメートルで、地球の直径が1万2千キロメートルあまりである。統一国家と言えども、様々に違いがある人々が多く存在するに違いない。それでいて、標準時間は北京時間を採用している。

小職は、中国の西部内陸地に公務派遣されていたことがあるのだが、冬季は北京時間の朝8時に勤務開始となると、内陸では実際の時差に当てはめると午前6時始業になっていたりする。ウイグルなどの奥地だと鶏を起こしてから仕事に出かける感覚ではなかろうか。さて、ウイグルだが青い眼や金髪の中国人が住まっている。少数民族は55にもあるようだから、なんら不思議でもない。

しかし、均質になれた社会に浸かり、中国を単にとなりの国と考え、箸を持ち米を食すると考えれば、親しみを持って似たような風俗習慣、民族性を持っている国柄と思いがちである。本来、中国という国とお付き合いする時、思い込みを排除してことに望む必要があるのだから、許されることなら東周りで米欧大陸を経て、ウイグルあたりで国内線に乗り換えて行くくらいが良いのかもしれない。

 

14億人民がいるというが、一人っ子政策によって戸籍上存在しない黒子の存在もある。要するに人口が正確にはわからない。人口のわずか0.7%弱の

階層の人間によって、資産の80%以上が保有されているという。富裕層が、

数千万人なら貧困層は数億の単位である。これらのことをしっかりとイメージして外交に望むわが国の政治家はどれだけいるだろうか。子どもの頃、眼の不自由な人が、象を触った時の話を聞かされたことがあったが、隣人のことは、

事象を捉えて批判するばかりでなく、よくよく真正面から向き合いたい。