11月2012

人々を惹きつける国宝のことなど

生活

近年、国宝展などの入りが盛況である。たとえば、「国宝阿修羅像展」の観客動員や「皇室の名宝展」の観客動員数は、世界の美術展の動員数と比しても圧倒的な数を誇り、評判をとった展覧会は軒並みベスト10入りしていると聞く。

さて、日本の国宝だが像などにしても劣化が心配されており、特に湿度温度の管理にも相当な気遣いがなされている。書画や文、巻物などは、紙というデリケートな画材でもあり、その維持管理や修復がいかに困難か想像できよう。

紙は、酸化に弱い。また、紙に載る墨や顔料なども酸化に弱い。要するに、ごく普通に空気に触れていても、劣化してゆく運命にあるのだ。「時は、破壊者なり」という形容にまさにふさわしい。

そのようなわけで、国宝や有形重要文化財が長い会期で展示されることはない。これらは快適な温度湿度の中、展示されていないときは深い眠りについて

いるはずである。見たいものは、見られるときに見ておかないと次はいったいいつになるのか定かではない。誰もが知っているお宝は、本物を直に見られることさえ、一生涯のうちにかなうかどうかもわからない。

一昨年に東京国立博物館で「長谷川等伯展」があった。

精緻で、色鮮やかな仏教画。それでいて丁寧で、あるいは大胆な構図や大きさで観る人を驚かせてくれて、ため息が会場のあちらこちらで聞き漏れてくるのだった。感嘆の極みは、「国宝松林図屏風」に尽きるのだった。

絵師として世に出たのが五十一歳である。秀吉に認められ、後世に残る仕事も手がけられた。時の為政者から、長く寵愛を受け続けたエリート集団である狩野派と対抗して長谷川派も名声や地位を得られた。しかし、跡継ぎの長男があっさりと逝ってしまう。 人生の悲しみ喜びを味わい尽くした末に水墨画で描いた松林図屏風。墨の濃淡だけで描く屏風。奇をてらうような構図でもなく、存在感だけで人々を魅了し惹きこむような屏風図である。

俵屋宗達や尾形光琳に代表される琳派の絵にしても、本物のコレクターは金箔の上に描いた煌びやかな絵でなく、水墨画を収集するらしい。そういえば、東山魁夷の唐招提寺の襖壁図の黄山。墨だけで描かれた製作に十年を越す時をつぎ込んだ作品だった。天龍寺の龍の天井画も加山又造が、古い墨を惜しげもなく使い心血を注いだ墨絵だった。極めると陰と陽で描く、濃淡で描く世界に行き着くのだろうか。人の人生を代表し、命や才能を凝縮させたような作品にふれる時間を持つことは尊い。気が向いたら美術館や博物館に足を運んでみたらどうだろうか。

ところで、水墨画の源は中国。日本画は、中国の工筆画に強く影響を受けている。さらにシルクロードや朝鮮半島を通り、日本に伝えられ、開花したものものもある。鎖国や豊かな四季などにより、中国や韓国と異なり独自に発展したものもある。実は、それらひとつひとつを具に見ることによって、お互いの相違点や共通点を理解もできるように思える。東京国立博物館では、中国国内でも見る機会のない宝物の展覧会が催されている。わが国の指導者も時間をつくって、上野の山に参ってみてはいかがだろう。