11月2012

命を賭しても

生活

 私の好きな著書に城山三郎の「男児の本懐」がある。主人公は、ライオン宰相と親しまれた時の首相浜口雄幸と実務と弁に長けた大蔵卿井上準之助である。生まれも育ちもキャリアの積み方も全く異なる二人が、日本の将来を見据えて財政改革を断行する。覚悟して緊縮財政を断行するも、徹底的に反対し軍備増強を図る軍部と衝突する。また、私利私欲に走る輩と勝手な理解をする右翼団体からも命を狙われる。それでもひるむことなく、文字通りもっとも大切な命と差し替えてもとの強固な意思が明確で、命を賭してもと心に誓い、信念に従い二人は突き進む。

 

浜口雄幸は、昭和5年に過激な右翼青年の銃によって撃たれる。九死に一生を拾うが、「総理としての国会での質疑応対の責任を問う」野党党首鳩山一郎に再三再四にわたる国会登庁を促され、体力の回復もままならぬまま登庁し、誠実に対応したが、狙撃された日から半年も経たないうち体調を崩し逝ってしまった。弾を摘出する時に、腸を長く摘出され、登庁後の激務に体力回復が叶わなかったのだろう。後に首相となった「友愛」の鳩山一郎氏のことである。

再三再四登庁を促すのでは無く、体力がなければ国難を越えられないので、一端退いてはどうかと申し入れた方が、より相応しいと思うのは余計なことだろうか。いずれにせよ、時の首相が凶弾に倒れるといったことが合ってはならない。他方、盟友井上準之助は、命を狙われている覚悟をして選挙の応援演説に出向き、昭和7年に過激な右翼青年の凶弾に斃れてしまった。盟友、浜口雄幸の意思を継ぎ、なお命を賭して、自らの信じる道を指し示して遊説していた時のことである。彼らは、日本の舵取りを託された時から明らかに死を覚悟していた。遡ること80年の昭和の時代の話である。

狭量な利己的信念からではなく、二人ともエコノミストとしての理論武装だけでもなく、現場の経験を踏まえた智慧と類稀な行動力と意思を持っていた。

二人の日々の戦いは、孤独を強いられるものだったかもしれないが、命を賭して本気で戦う同士がいたことは、お互いにとって幾千万の味方を得たような心地だったかも知れない。

井上準之助は、二度の日銀総裁経験者であるが、その死を悼む海外の有識者

の声は多かった。軍拡に走る軍部の専横を経済政策で押し込もうとしていた意思は広く理解されていた。他方、狭量な国粋主義者やごく普通の国民には理解されていなかったのかも知れない。経済の仕組みを理解できず、国際情勢を知ることもなく我見に固執していたとしても責められないだろうが、近代化を目指して走りぬけた日本の歴史が流した血と涙である。稀代のエコノミスト二人が、天寿を全うしてくれていたら、後の軍部の暴走も止められたかも知れない。