11月2012

障害者から障がい者へ。日本人の意識は変わるか?

生活

 本年は、オリンピックイヤーであるとともに、パラリンピックイヤーでもあった。このことを取り上げたかったのは、わが国の障がい者への意識が変わってほしいものだという願いをこめたいからに他ならない。

昨年、わが国の常用漢字に追加して認められなかった文字に「碍(がい)」があった。この「碍」の文字が、「常用漢字への追加が認められなかったこと」が、大きくメデイアに取り上げられた。認められた場合には、「障害者」から「障碍者」に表記が変わる予定であったため、準備を進めていたメデイアは多かったはずである。

障害者の「害」の字が、呼ばれる側から違和感があり、これに世論は動いた。

確かに「害」の字は、「損なう」とか「災い」の意味があり、否定的な意味合いが強い。他方、「碍」の字は「防げる」という意味が強いようである。戦前の日本の社会では、「障碍者」としていたという。戦後、これを変えたのは行政だろうが、どのような意図があったのだろうか。

いずれにせよ「害」の字を使うのは適当でないということから、日本の社会では今後、「障害者」は「障がい者」と表記されることが一般的になりそうである。

ところで、「障害者」を「障がい者」としても、さらに「障碍者」としても耳にする「音」は、おなじく「しょうがいしゃ」である。そのため、横文字で「ハンディキャッパー」という言い方をする人も多かった。横文字のほうが、イメージがやわらかそうに思うが、実際は子どもでもわかる良くないイメージの英訳である。英語では「ものごい」をすることを「キャップインハンド」という。「ハンデイキャップド」にしても良いイメージにはつながりそうにない。

 

今年は、オリンピックイヤー同様に、パラリンピックイヤーでも日本選手団の活躍もあり、目頭の熱くなるようなシーンが、連日テレビのスポーツ番組から流れ出てきていた。メデイアは、英語訳で「挑戦を必要とする人」という意味を持つ「チャレンジド」という言葉で、競技者を鼓舞し、聴視者にものの本質を伝えようとしていた。

昔、「文盲」という言葉があった。自ら望まない境遇で文字を学べなかった人には厳しすぎるほどの冷たい響きがある。文盲率は、その後「有識字率」という言い方になった。超高齢化社会となり、「認知症」の言葉も身近なものとなりつつある。その昔、「痴呆症」と呼ばれていた病気。旧名称を覚えている人も少なくなったかもしれないが、長く社会に貢献し、一家の柱として生きて、地域の人々に愛された人が、脳に障がいをもったとたんに痴呆症と呼ばれては救いがない。言葉によって、生かされも殺されもする人間。生命と人生に尊厳を。