11月2012

布施や喜捨の心

生活

 大陸や半島を経由して日本に伝えられたものは数知れないが、一番大切にしなければならいものは、釈尊の教えではなかろうか。釈尊の教えは、「利他的な生き方」、言い方を変えれば「公共の利益」を優先させる考えを示している。

それは、私たちの個々の力は小さくとも、団結して困難に向かい合う時、あるいは天災に向かい合う時、誇らしく晴れがましい私たちの内燃機関となっている。

ところで、ここ数年の間に、自らの危険を顧みず行動を起こした若者を賞賛に値する報道が続いた。あらためてとりあげてみたい。ひとりは、20歳代前半の青年。彼は、駅のプラットフォームから酔って線路に転落した若い女性を見て咄嗟に線路に飛び降りた。冷静に電車に轢かれないように彼女の体の向きを変え、自らも狭い非難スペースに飛び込み生還した。胆力もあっての行動だろう。

もうひとりは、燃えさかる集合住宅から助けを求める4歳児に応え、壁をよじ登り幼児の元へ行き、片手で抱えて配水管を伝って生還した当時。宮城野部屋に入門間近という高校生とその友人。彼らは、ともに「ただ助けたい」と思い行動したのであって、賞賛や自らに降りかかる危険については考えが及んでいないようだった。彼らの行動には、利益や恩恵の文字は一切なく、自らの意思でできることをさせていただくという謙虚な思いが滲んで見えるようだ。

 

小生は、ボランテイアの本質は何か?と問われると、「施し」「布施」のようなものではないかと考えている。

さて、「布施」には「三施」といわれるものがある。「財施」と呼ばれる金や物を与える布施。「法施」と呼ばれる仏法や知識を与える布施。そして、人間の心の不安をとりのぞく「無畏施」と呼ばれる布施のことである。「財施」を行う時には、喜んでさせていただくという意味で「喜捨」のような気分をもってドナーになりたいものである。お金が無くとも、知識や技能技術をお伝えすることもできるだろう。海外青年協力隊やシニアボランテイアもこれらの代表格。また、「無畏施」となると生き方や職業意識や倫理観も大きくかかわるかもしれない。ところで、釈尊が唱えた七つの「無財施」というものがある。

・    眼施 (慈眼施) 慈しみにみちたやさしいまなざしで接する。

・    和顔施 (和顔悦色施)いつも和やかな顔で接する

・    愛語施(言辞施) やさしい言葉や思いやりのある態度で接する

・    身施 (捨身施)自分の体を使って自ら進んで奉仕をする

・    心布施(心慮施)他人のために心を配り、痛みや苦しみ喜びを分かち合う

・    牀座施(しょうざせ)他人のために席や地位を喜んで譲る

・    房舎施 風や雨露からしのぐ場所を与え、また傘を差しかける行為

いかがだろうか。ほんの少しの勇気や心配りで、社会や世界が明るくなることは容易に想像できよう。よりよく生きるために、老婆心を発揮したいものだ。