11月2012

東京都、高等学校の日本史が必須科目になって2年

生活

 都内の高等学校の社会科の選択科目であった日本史を必須科目になってから2年経過ということである。必須にした理由は、いろいろとあることだろう。現実的に考えれば国際交流が、地球規模のものとなり、母国の歴史について一定の理解をしていなければ、支障が生じるということがあるだろう。また、母国の歴史について外国の方から尋ねられて答えに窮しては、なんとも情けないことだろう。断じて、母国の歴史を学ぶことは教養というにふさわしい。



本来、高等学校の日本史の必須科目化が図られるべきと機会あるごとに、小生は訴えてきた。日本史が、これまで選択科目だった理由は、国際化を考えるならば世界史のほうが優先されてしかるべきということであった。したがって

これまでは、世界史が必須科目で日本史が選択科目であった。限られた時間内で授業を進める必要から、選択科目は自由に学べる科目というより学ばなくて良い科目という空気がある。



長く東アジア、東南アジア諸国との間に横たわる歴史認識問題。

日本は、贖罪の意識からか戦争の事実などを伝えることよりも、教科書の記載からできるだけ、都合の悪いことを削除する作業が多かったように思える。それは、歴史観の立居地が右寄り左寄りに限らずに。戦争責任に関して、戦争がいかにおこされたかについて、高校生が納得できるような教科書はあるのだろうか。大人が答えに窮するような事柄が、次から次に記述から消えて行くばかりのように思う。

その点、被害者意識が強いということばかりでもないだろうし、あるいは反日本教育の目的ばかりというのではなかろうが、近隣諸国は、母国の近代史教育にかなり力を入れている。

このままいけば、中国や韓国から修学旅行や家族旅行で来日した少年少女らに、歴史的事実に照らして質問されて応えられず、なんとも情けないということが多発して笑いものになりかねないと案じている。



現実の問題として、中国や韓国の反日行動は徹底しており、世界中の国に人を派遣し、いかに日本が中国、韓国ほかアジアの人々に迷惑をかけてきたかについて、長期で予算を組んで広報している。自国の都合を押し付けるような教育は望ましないが、少なくとも悪意に満ちた歪曲された歴史観には対抗せねばなるまい。



某新聞記事に、とある校長先生が教員に「校長先生のお父様は、戦争に行かれたそうですね。戦争犯罪者だったのですね」といわれたということが掲載されていた。本人の意思にかかわらず戦場に送られるのが戦争なのだが、様々な史実やエピソードも伝えることなく戦争を断片的に伝えると、平和のための教育どころか、平和の価値や歴史から学ぶ機会さえなくするような気がしてならない。

日本史を学ぶ機会を都内の高校生のために担保できることは幸いな事である。