12月2012

別 歳

生活

 年年歳歳とつい口にしてしまう。行く年と来る年との狭間で先人達はいかに時を惜しんだのだろうか?同じように年をやり過ごし、そして歳を招き入れる。自然の摂理は、確かに廻るので、毎年似たような風景と出くわす。他方、同じ花が同じ時期に同じ場所に咲いても、去年の花に似ているだけで同じではない。くどい言い方になった。

右肩上がりの経済成長をエンジンにして、国際社会での地位を得ようと背伸びをしていた時期。クリスマスや忘年会は、職場中心で行われるのになんらの疑問も持たれなかった。酒臭いにおいをさせて帰宅するおやじ殿たちが、申し訳に差し出したのがクリスマスプレゼントやケーキだったような気がする。バブル経済崩壊後、鍋料理を家庭で囲む風潮がもどり、クリスマスも家庭中心の行事にもどり、本来の姿になった。しかし、忘年会ということばは、職場行事の代表的なことばとして今も君臨している。年忘れ」は、本来、家庭の行事である。「行く年」を惜しむ気分と「一年の労苦」を忘れんとする思いを去来させる複雑な心情こそは、家庭の中でこそ発露させるに相応しい。

 

本年、小職は本コラムを担当する名誉に浴したが、これに際して人生の先輩方からの励ましを多くいただいた。しゃかりきに重き荷を背負い坂道を登るような思いで生きてきた方々、口にはできない苦労を隠して必死に生きてきた方々、そんな方々に温かい言葉をいただき感謝に堪えない幸福な思いをした。そして、思うに「世界の安寧を祈ってやまない方々に、いつも明るく希望を語っていたい。」「いつも明るく前向きに生きてゆきたい。」との思いが強くした。

 

だから、今年の最後も少し心が熱くなるお話をしたい。

主人公の名は、ジェームス・ベンソン・アーゥイン。

彼は、幼少から宇宙飛行士になりたいと念願し、航空パイロットになる努力をする。しかし、あろうことか将来を嘱望されながらも交通事故に合い重度の障害を抱えてしまった。医師の二度と立って歩く事は出来まいとの言葉を拒否し続けてリハビリに取り組んだ。

「歩けないと言うのなら走ってみせる」と公言し、再び空の人に返り咲いた。しかし、本当のチャレンジは、その後に起こした。彼は、NASAの宇宙飛行士に挑んだのだ。一度、二度、三度、挑んでも挑んでも跳ね飛ばされ、人々の嘲笑を受ける。四度、五度、心ある人は、いたずらに挑戦することをやめるように諌め、彼の挑戦を讃えあきらめさせようとする。しかし、6度目の挑戦の時、ついにその瞬間はやってきた。重度の障害者が、夢をあきらめる事を拒否し、宇宙飛行士を勝ち取ったのだ。

機関車は止まっていれば、10センチ四方の木片で輪留めできる。しかし、一端加速したら1メートルのコンクリートの壁をもぶち抜いてしまう。勇気は機関車、自信は客車。どんな困難にも打ち勝つ機関車を心の中に持とう。

 

世界の人々が、どんな困難にも負けず、平和を希求し、豊かに仲良く暮らしてゆけるようにと念じつつ。

 

2012年12月31日



 

歳末から年始の風景

生活

 歳末の声を聞くだけでせわしくなるおもいがする。コンビニエンスストアが、

本格的に東京に展開しはじめて30年以上になる。往時は、今ほどの便利は売っていなかったが、それでも商店街の雰囲気を随分と変えた。その後、長時間や深夜営業の店が、どんどん増えてゆき年中無休24時間営業の店も珍しくなくなった。

その分、主婦の家庭労働は楽になったであろうか?

かつて、正月や盆は店が閉まるし、従業員は帰省するので、食料品を一家で買出し、日持ちのする料理や食品加工をする必要があった。それこそ、猫の手も借りたいくらいの忙しさで、年越し蕎麦など、年を越す寸前に食することが出来るかどうかであった。いまでは、大皿料理を家庭で作ることも無くなり、専業主婦として家事に当たる女性は少ない。他方、社会進出や男女共同参画社会の推進で、女性の可能性の開花が、いたるところで起きている。家事労働は、大変な労苦であるが、経済的な報酬で報われることの少ない労働である。また、女性の社会参加と潜在能力、その認識は、徐々に広がっては来ているが、社会保障など制度の面では、未だ道半ばである。評価と保証報酬の構築は簡単ではない。この12月には、OECD加盟国で最低の家庭労働評価国とありがたくない称号をいただいてしまった。このことは、女性の社会進出を阻害し、今後

10年くらいで生産年齢人口を10%も減らすだろうと。厳しい見立てである。

 

 

人生は、時間である。持ち時間を有効に使える経営でありたいし、それをまかなえる経済生活でありたい。また、バランスが欠かせない。銀行に預金をたくさん積むための仕事が大事でも、読書で心に文字を刻みつけたい。季節を愛でながら、酒で舌先を洗うことも普通にしてみたい。その時間を価値付けるために、グリーン車やスーパーシートのチケットを買いたい。自分の時間に芸術の空気を浴びるがために、わざわざでも観劇や鑑賞の舞台に足を運びたい。

 

さて、小職の実家の餅つきは、決まって師走のニ十八日午後。「なぜか?」を聞いたが、「昔から決まっている」が応えだった。餅は、頭数に基づいてつかれ、長幼の基準にしたがい一族に配られていった。と、同時に餅粉や来る年に必要なものも配られていった。これは、祭事催事に使われる必需品だった。

地方は永く、家長を尊ぶ習慣が強かったが、別な言い方をすれば、「老婆心」の強かった家や社会を思わせる。世相は、今の時代よりはるかに、嫁に行った娘や遠くにいる息子や孫を想う空気や父母を想う孝行で覆われていた。

 

 

年が明けて、元旦の朝、年賀状が届く。年賀状は、何かと回覧されて批評される。そのうち、一族が集まり、膳が運ばれる。

小職の実家の雑煮には、干した車えびが入っているが、膳も一つ一つの料理も、乳飲み子にも一様に用意される。皆、ひとしく、この家の子どもである。たとえ孫がいるものであっても。そのものも等しくこの家の子である。

食事が終わり、お年玉が配られる、このときが一番、嬉しかった。これも乳飲み子まで等しく配る。

 

幼少の頃、小職はこのときは、家長たる祖父の膝の上にいた、ひとりづつ名前を呼び渡す。よい「拝」の返事が返ってくると、「よし!」というのは、決まって膝の上の小職だった。

暦から学ぶ、この国の歴史と成り立ち

生活

 太陽暦で新年があけても、節分(旧暦の正月)過ぎないと正月気分が抜け

ないのがこの国の流儀だと思う。日本にとって恵みの雨は、瑞穂の国に豊か

な山から谷を通り、川を下り田に恵みをもたらす雨ではある。

しかし中国大陸で梅雨といえば、春を告げる梅の花に降り注ぐ雨のこと

である。梅雨の語感に大陸と大きな隔たりがあるが、古来、「戻り梅雨」や「帰

り梅雨」など気象予報士のエキスキューズを助ける言葉が古来からあるのが

面白い。

 

さて天候の話をしたいのではない。日本の暦は、本来、農業暦である。自然とのかかわりを神事で伝える稲作文化は、アジア特有の文化である。稲作は、民族の命を支えてきた史上最大の生命産業と言えないだろうか。天皇陛下は、自ら新嘗(にいいなめ)祭で稲を皇居の水田に植えられる。天皇家は、神事とともにある。誤解を恐れずにいえば神事に基づく御一家である。風水の事も、生活に深く根ざした陰と陽、木火土金水(陰陽五行)に基づき宇宙の構成要素を考えた古代人の智恵には違いない、その評価は別として。仏教、キリスト教伝来以前の史実から、既に生きる術としての農業が、大きくそこに横たわる。そして深く先人達の生活に定着していた。歴史を遡り学ぶためには、これらをまず受け止める必要がある。宗教問題でなくて、日本という国の成り立ちにおいて、稲作と神事のかかわりを無視できない。これは、他方、歴史と神話とを混同させかねない危険にも満ちている。

 

ウラル・アルタイ語族。遠くはトルコ、中央アジアからモンゴル、朝鮮半島、日本列島の民族は、これに属する。言語の上では、否定しようもなく朝鮮半島の人々とは同根である。ギクシャクしている日韓関係ではあるが、日韓友情年の公式行事は予定通り行うとういう事で両国政府は一致した。賢明であるし、当然だろう。「キムチ」や「唐辛子」は、苦手だと言われる方が「同根」を否定されるかも知れないが、それでも「韓流」に影響されてハングルを学ぶ方が、習得しやすさに気づかれるのも、証明を助けるかも知れない。

「魏史倭人伝」に出てくる「倭人」は、尊称ではない。中華思想に基づく「蔑称」である。さて、「倭人」だが「日本人」をさすだけではない。本来、「倭」には「朝鮮半島の南半分が含まれる」からだ。小職の郷里の大先輩、海音寺潮五郎氏をして、本来、「朝鮮と日本は、英米の関係。」と言わしめる。ならば、些細な事象で争わず、英米の利己的な面は学ばず、平和構築の実をあげる世界に冠たる「協働提案」など出来ないものだろか?それを強く思う。

箱根駅伝 ~ 愚直に務める日々の努力

生活



毎年、正月になると箱根駅伝の放送に釘付けになってしまう。どうしても、母校の襷を繋いで走る後輩達に感情移入してしまうのだ。小職の母校は、過去連覇を果たしたこともあるので、よく強豪校といういい方をされる。が、その実、長く低迷していた時期があり、関係者がなかなか報われることのなかった年月を優勝の時には偲んだ。現在の母校の監督は、大学の同期にあたるので親近感をもっているが、親しく話をさせてもらった元監督に過去の優勝祝勝会の時、かねての指導の話を伺い、感じ入ったことがある。自分なりに人生や経営に置き換えたりしてみても示唆に富む話と思うことがあるので紹介したい。

 

大学駅伝には、出雲駅伝、全日本駅伝(熱田神宮~伊勢神宮)、箱根駅伝と三大駅伝があるが、注目度と伝統という点で箱根駅伝がシーズンのクライマックスに違いない。だから監督は、コンデイションのピークを1月2日、3日に

もってこれるように努力する。

箱根駅伝が終われば、1月4日から新たなシーズンが始まることになる。

先輩にあたる元監督にうかがったのは、まず、シーズンは、1月4日から12月31日まで掛けて準備すると考えているということ。仕上げが箱根駅伝という事なので、その間は一喜一憂しないように士気を保っていると聞いた。気になったのは、その後の話である。大学の強豪校といういい方をされているので、自薦他薦を問わず優秀な選手が入学を希望してくるが、高校時代の成績よりも日頃の練習や行動をみて入学を勧めるようにしているという。

理由は、大学駅伝のピークの時は、風邪が流行る時期であり、最新の注意を払っても防ぎきれるものではない。どんなに優秀な学生がいても、努力を重ねていても風邪や体調不良に克てるものではない。そこで、監督やコーチ自ら、日頃の健康管理を実践し、見える形で啓蒙に務める。良い例が、うがいや手洗いの励行である。うがいは、外出後や食事前に念入りに行う。手洗いは、外科手術の医師のように肘から下を丁寧に洗い、爪の所はたわしで洗う徹底ぶりである。これは、風邪のシーズンに無縁の春秋や夏の暑い盛りも徹底して行う。

 

愚直な努力が続くのだが、油断して手を抜くと、あるいは馬鹿にしたような言動をする者が出たら、主力候補といえども、迷わずレギュラーから外すと元監督は言っていた。どんなに優秀な学生でも、愚直な努力が出来ない者は、最終的にひとに迷惑を掛けてしまうからだそうである。他方、潜在的な能力がさほどない選手であっても、愚直な努力は、思いのほか力を顕在化させてくれて眼を見張るほどの成績をもたらすことがあるという。監督の言葉を借りれば、人生も豊かなものにするためには、能力資質に頼るのではなくて、愚直に愚直に努力できる性格性質をつくりあげてゆくことだということである。

たかが駅伝である。襷をもって繋いで走るだけのことである。

 

だが、箱根駅伝は、10人の選手が平均20キロ以上の距離を走らねばならない。10人が、体調不良や突発的なトラブルに巻き込まれずに襷を繋ぐことは実に厳しい競技である。いや、むしろ前出の監督の言葉に習えば、大学の競技関係者全員で一年間を繋いで走る事業である。一年間の事業であるならば、計画も目標も明確にして共有せねばなるまい。一年間の事業であるならば、やはり、たった一日だけ、あるいは一週間、一月間程度は頑張れるけれどという程度の仲間に襷は託せまい。

 

箱根駅伝といいつつ。実は、巷間にある事業の本質や構成要素、人材の選出まで思慮深い示唆をしてくれているように感じられてならない。やはり、見る者に懸命走る姿を自らの日々、困難と闘うを姿にダブらせてしまうことだろう。このたびの駅伝も、事故なく愚直な努力をした選手らが無事に完走してくれるようにとただただ願うばかりである。

 

物の言い、言い換え

生活

 直木賞作家の出久根達郎氏は、本業が古本屋というだけあって、古い話を見つけてきては上手に紹介してくれる。特に、名前の由来を根気良く探す人でも

ある。こまめで博識な人である。

たとえば、懇意にしている古本屋さんがお客様からの苦情に対応する時に使う「お腹立ちさま」。商品が古本なので、内容に問題なくとも想定外の物理的な損失減耗はどうしても見つかる。だから、いつもお客さまにお詫びや謝りが上手にいえねばならず、またこれができての一人前なのだと。

「お腹立ち様でしょうが」と先に言われると突っかかるわけにいかないと出久根氏はいう。「さま 」ということばが、微妙な角を立てない役を果たしていると。「おあいにくさま」、「おかげさま」、「お気の毒さま」、「お粗末さま」、「お互いさま」、「ご苦労さま」、「ご愁傷さま」、「ご馳走さま」など上手に使いたいものだ。

他方、「さま」が濁るとよくないという。侮蔑がこめられるからとのこと。「ぶざま」、「ざまをみろ」、「死にざま」、「生きざま」。生きざまは、誤用であって、本来「生き様」を誤読したのではないかとも出久根氏は言う。なるほど、説得力がある。

 

言い換えは、ごまかしが多いと出久根氏はいう。たとえば大正時代、「貧民」や「細民」という語が、耳障りだとして東京府庁社会科は、「小額収入生活者」と改称することにしたそうである。役人が、実に考えそうな名称である。これにならって銀行も「小口当座預金」の名称を「特別当座預金」と改めたという。これも慇懃無礼とでもいうのだろうか。

「女中」が「お手伝いさん」になったのが昭和30年代。言い方によっては、

職業人のモラルや技術技能向上にも役立つようだ。たとえば「運転手」が、「運転士」に。学士や弁護士、会計士と同じ士にならったということである。さらに続けると「産婆」が「助産婦」。「便所」が「化粧室」。「借金」が「債務」。「舶来品」が「輸入品」。「木賃宿」が「簡易宿」などなど。

面白かったのは、「巡査」という名称。文字の意味からして、「めぐって

しらべる」で感じが悪いから、改めたいという要望が大正12年の警察部長会議で出たという。おなじく「おまわりさん」という愛称も論議にあがったという。

役職や職業は、呼ばれ方で随分とセルフイメージが変わるようだ。職業に貴賎がないというのなら、ゆっくりと見渡して、ふさわしい言い方にしたいものである。特に、俯きがちや伏目がちに人が行き交うようなの時代には、名称の見直しや改称が世情を明るくするきっかけになるかもしれない。いかがだろうか。

あら楽し 思いはるる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし

生活

 「討ち入り」は、本来、旧暦の12月14日のことだから、新暦に置き換えると毎年新年1月の半ば過ぎになる。2013年の場合は、1月25日になる冒頭は、大石内蔵助の辞世。仮手本忠臣蔵が、かなりの史実をデフォルメして作られていることを差し引いても大石以下に学ぶところが多い。意外に思われるかもしれないが、彼らは、危機管理手法や計画立案、戦略、戦術、戦務に優れていて、大いに学ぶことが多いのだ。危機管理が、肝心なときに出来なかったのは痛恨の極みである。しかも、原因が主君の刃傷沙汰というのがなんとも痛ましい。

 

事が起きたのは、元禄は旧暦の3月も半ばのことだった。命が萌える時節、

「ご法度」を犯したとはいえ、十分な御取調べもないまま、腹を召され、命を散らす事になった浅野匠頭。このことは、これまでも歴史ドラマや映画で繰り返し語られてきているので、ことさら触れるつもりはない。関心があるのは、むしろ周辺事情である。



「江戸」から「赤穂」まで正確には何キロあるかわからないが、地図で見る限り650~700キロほどとおもわれる。当時は高速交通網もなければ、道路自体が未整備な状態である。だから早馬を仕立てても、飛ばせる区間は知れている。馬が走れないところは、駕籠屋に頼るしかない。山あり谷あり峠あり

である。どんなに急いでも全工程の走破は、1日100キロにしても、7昼夜程度かかる。「松の廊下の刃傷沙汰」が起きたとき、すぐに早馬を飛ばさせ、4昼夜で赤穂に第一陣が届いた。切腹もすぐに決まったので、第一陣到着の翌日には第二陣が届いた。これは、かねてより馬を借りられる処、宿場ごとに信頼できるいくつもの駕籠屋と厚誼があったからに他ならない。「御家一大事の時だから、一刻も早く」であって、旅籠に留まる時間的余裕などないが、懇意にしている旅籠には、夜中であろうが未明であろうが、足を洗う桶や御湯、そして風呂や握り飯などいつでも用意してくれていた筈である。そうでなければ、650~700キロを当時100時間以内で走破は不可能な数字である。

 

さて、「第一陣」「第二陣」の必死の使者の走破を助ける「影の第一陣」の存在がある筈であり、歴史の表舞台に出ることなく狭間に埋没している。つまり、真新しい鉢巻と襷をつけた使者の「第一陣」が走り出す前に、街道を「後から御家一大事の使者が走り抜けるので、何卒、良しなに」と街道の見知った旅籠、駕籠屋などに、ふれて頭を下げて回った者がいる筈である。主家の無事の間は、数百年もの間、かような勤めがあるかないか分からないが、またあってはならないが、「もしものための時の大切なものは何か?」

 

いつ何時、起こるか知れない大地震の備えも同じこと。神戸淡路大震災は、

冬の土用の初日(地球の地軸がずれ易く、古来より建築などを避けられてきた土用:土用は春夏秋冬のいずれの季節にもある)だったことも、忘れてはなるまい。

 



 

”いま”読み返す『世界がもし100人の村だったら』

生活

 かつて世界中でベストセラーになった「世界がもし100人の村だったら」が、

日本で話題になったのは2001年から2002年にかけてのことでした。続編も発刊されましたが、それから10年経った”いま”は幸せな人々を増やせているのだろうか?。

 

まず、2001年当時に戻っておさらいを・・・。以下は、引用。

前略~

世界には63億の人々がいますが   もしもそれを 100人の村に縮めると

どうなるでしょう。

 

100人のうち 52人が女性です 48人が男性です 30人が子どもです

70人が大人です そのうち7人がお年寄りです

90人が異性愛者です 10人が同性愛者です 70人が有色人種で 30人が白

人です

61人がアジア人です 13人がアフリカ人です 13人が南北アメリカ人 12

人がヨーロッパ人 あとは南太平洋の人です。



33人がキリスト教 19人がイスラム教 13人がヒンズー教 6人が仏教を信

じています 5人は、木や石など、すべての自然に霊魂があると信じています

24人は、ほかのさまざまな宗教を信じるか あるいは何も信じていません

 

17人は中国語をしゃべり 9人は英語を 8人はヒンデイー語とウルドゥー

語を 6人はスペイン語を 6人はロシア語を 4人はアラビア語をしゃべり

ます これでようやく、村人の半分です あとの半分は ベンガル語、ポル

トガル語、インドネシア語、日本語、ドイツ語、フランス語などをしゃべり

ます 中略・・・

 

20人は栄養がじゅうぶんではなく 1人は死にそうなほどです でも15人は

太りすぎです

すべての富のうち 6人が59%を持っていて みんなアメリカ合衆国の人

です 74人が39%を 20人が、たったの2%を分けあって います

すべてのエネルギーのうち 20人が80%を 80人が20%を分け合って

います

75人は食べ物の蓄えがあり 雨露をしのぐところがあります でも、あとの

25人はそうではありません 17人は、きれいで安全な水をのめません

銀行に預金があり お金があり 家のどこかに小銭が転がっている人は

いちばん豊かな8人のうちの1人です

 

村人のうち 1人が大学の教育を受け 2人がコンピューターを持っています

けれど、14人は文字が読めません

 

もしあなたが いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに 信仰や信条、良心

に従って なにかをし、ものが言えるのなら そうでない48人より恵まれて

います

 

もしもあなたが 空爆や襲撃や地雷による殺戮や 武装集団のレイプや拉致

に おびえていなければ そうでない20人より 恵まれています

 

1年の間に、村では1人が亡くなります でも、1年に2人の赤ちゃんが生ま

れるので 来年、村人は101人になります・・・・・後略。

 

さて、2012年12月現在に戻そう。

最新統計によれば、世界の人口は7億8千万人ほど増えている。

幸せな人々が、増えてくれていれば幸いなのだが、難しい問題も起きている。

たとえば、仕事もなく、教育もなく、技術もないというのなら話は別なの

ですが、「仕事もせず、教育も職業訓練も。受けていない若者ら」が世界で6

億人以上もいるというのです。”もし世界が”風にいえば、9人ほどです。こ

のことは大きな話題にもあがっていませんが、未来を考えると大変心配な事

態だ。

 

世界銀行の報告書によると、失業中で仕事を真剣に探している人は2億人、

失業しているのに職探しを諦めている人が20億人、つまり100人中31人

は仕事がないということです。また、1億人以上の子どもが危険な環境で働か

され、2千万人以上が強制労働の犠牲になっていると。

世界保険機関(WHO)の報告書によれば、世界で少なくとも3億5千万人

が”うつ病”患者で100人中5人。世界で毎年100万人近い人が自殺し、

その半数以上が”うつ病”患者と。

 

栄養が十分でない人、死にそうなくらいの人、文字の読めない人、・・。

迫害や暴力に怯えて生きている人・・その人らのことを考えずにはおられま

せん。今一度、私たちにできることを考えてみたい。自らの意思で未来を切

り拓けることは幸いなこと。どうか、世界が平和でありますように。ひとり

でも多くの人々が幸せでありますように。

小切手と一緒に受け取る言葉

生活

 キリスト教が、国境となっているような国や欧米の諸国では、長いクリスマス休暇に入っていることだろうか。長く休めない場合でも、クリスマス・イブの夕方前くらいからボスに呼ばれてボーナスの小切手を受け取るというような文化が以前からあった。銀行振り込み全盛の時代になっても、クリスマス休暇前に小切手を渡し、ボスが謝意を言葉に尽くして伝えるのだ。

 

ただ、欧州では失業率が25%にも上る国もあり、特に若年層の失業率は眼を覆わんばかりという現実もある。無事、小切手を受け取れないものも多い。

長く、世界経済を牽引して、世界に冠たる経済大国の自負を持つ中国は、株式指数が2007年の最高点の6000ポイントから下落の一方で、ようやく

2000ポイントまで戻してきた。ひといきついている関係者も多いだろうが、

最高時点の3分の1でしかない。受け入れてきたクリスマス文化に変化も見ら

れるやしれない。米国も日本もどうにか経済は、株価指数に限っては持ち直す気配が出てきた。他方、欧州はギリシャ危機以来、少しも油断が出来そうにない。新興国も内需を喚起できる国々は良いが、経済運営に厳しさが増してきているようだ。

 

話を戻そう。

せっかく、ボスからボーナスの小切手を受け取るのだが、もらえる金額は人それぞれ。査定に基づいて、信賞必罰によって配られるのだ。そして、ボスにかけてもらえることばも人それぞれに違う。

 

成績優秀にして好青年の社員は、「よくやってくれた、ありがとう。クリスマスは、どう過ごすのかい?家族は、みな元気でいるのかい?」などと会話が弾み、最後は、「年が明けたら、元気でまた逢おう。メリークリスマス!」などと。

だが、厳しい経営環境下、リストラされる社員だっているはずである。

「・・・実は、つらい話をしなければならない。会社に余裕があればよいのだ

が、君を雇うことがこれ以上できないんだ。すまない、感謝している。あり

がとう」とか肩に手を置いて話をされる人もいることだろう。

 

等しく、みな幸せなクリスマスを遅れればよいのだが、経済社会はゼロサム

社会である。全体が大きくなることもあるが、伸びるものがいる反面、その分割を食うものもいる。その理由が、能力資質、勤勉怠惰によるのであればわかりやすいのだが・・・。努力が、報われないように思えても、長い眼で見れば、身につけたものは生涯の糧になることもある。厳しい境遇の人の復活を祈ろう。

ピンからキリまでのキリ

生活

 この時期、よく暦をもらう。卓上カレンダーなど本当に便利なものが多い。

海外出張へクリスマスシーズンに良く行っていた頃、卓上カレンダーを多く御土産にもっていって喜ばれた。日本製のステーショナリーグッズは、どこでも人気だった。さて、誰が決めたのか一年は12ヶ月。一年は、十二進法である。

 

東京都の前知事は、自ら仏語を学んだ経験から、特に数字を計算しにくく、

非常に困ったことがあり、表現は悪いが、頭の悪い人種の言語のように云い物議を呼んだことがある。仏語の場合、75は、60+10+5と表現する。12を強調する言い方としては、たとえば、92は、4×20+12と言い方がある。実に慣れるまで大変だ。

英国では、1シリングが12ペンスである。買い物をするときに、つい十進法で計算してしまう日本人には苦労がありそうである。さて、13以降は、Teen

をつけるだけでいいのに、12までは、どれひとつとして似た言い方がなく、各々特別な言い方である。この辺にも十二進法のこだわりがあるのだろうか。

 

さて、十進法と十二進法との微調整は、意外なところでも行われている。

「花かるた」がそれである。とても良いものだが、風流な遊び方をご存じないだろうか。さて、話がそれた。「花かるた」は、「月」にあわせて相応しい花を現している。一月は「松」、二月は「梅」、三月は「桜」、と進む、なるほどと頷きたくなる展開である。つづいて、「秋」からを拾ってみるとしよう。

九月は「菊」、十月は「紅葉」、十一月が「柳」。十一月の柳は、どうもピンと

こない。そして十二月は「桐」である。十二月の「桐」もどうも「ピン」とこない。なぜなら、「桐」の花は、雨季の6月ごろ咲くからだ。桐たんすが活躍するのも梅雨時である。湿気を吸って膨張し、たんすに湿気が入るのを防いでくれる。「桐」は、輪切りしたら分からないが、筋がいずれもまっすぐに伸びている。「桐」は実は、正確には木ではなく、草茎である。どういうわけで、木に分類しているのか、本当のところが知りたい。

 

ところで、天正かるたでは、1の札を「ピン」と言い、12の札を「キリ」という。「ピン」は、ポルトガル語のピントの略。キリは、ポルトガル語のクルスのなまり、あるいは「切り」のキリという説がある。「ピンからキリ」の語源は、いずれにしても天正かるたの「ピンからキリ」である。さて、花かるたの「桐」。感の良い方はお気づきだろう。「キリ」を「桐」にかけて一年の「切り」にもってきたのだ。自然を彩る風物詩からきたものではない。かようなを決め事をした御仁は、どのような方だったのだろうか気になる。今年も残り僅か。

 

摩擦・抵抗・逆風を生かす力を。日本と国際化再考

生活

昨今の中韓両国との外交摩擦や中国国内の過激な反日行動は、「本来は、想定の範囲内とすべきところ」ではなかろうか?。また被害金額自体は、100億円とも言われるが、実は意外と小さく済んでいるのではないか?と書いたら、顰蹙(ひんしゅく)を買うだろうか?

小職は、かつてかの国で国際協力に携わる仕事を日本国から派遣され長く行っていた。そのとき、場所によっては「日本人であることを明かさないで欲しい。」身の安全のためだ。と実は、何度もいわれたことがある。実際に嫌な思いや危ない目にもあったこともある。もっとも、これは、日本人がうつむき加減になれとか、卑屈になれというのではなく、あらためて彼らの行動心理や受けた教育に関して注視する必要があるといいたいのだ。

 

国連創立の記念日は、第二次世界大戦の勝利国が作った体制であり、敗戦国の日独伊とっては、本来、祝意に満ちた記念日にはならないだろう。勝戦国側の記念式典には名だたる国家元首クラス招聘がされ、日独伊の首相が招かれることはない事実を、どのようにわれわれは考えるべきだろうか?

 

2000年に、かの国で自動車部品産業振興の調査と指導を行ったことがある。担当は、財務管理と原価管理だった。手段手法を生産管理や労務管理の専門家とも協力して近代化(中国語では現代化)させるかと言うものだった。小職は努めて担当のカウンターパート(技術移転受け入れ側責任者)と信頼関係を築こうと考え、可能な限り食事や娯楽をともにした。機会を得て、小学生のお嬢さんと仲良くなり、社会科の教科書を見せていただいた。中国語は専門に習ったこともなく、大学の第二外国語もフランス語選択。したがって、つたない語学力で頼りないのだが、それでも大方の意味はつかめた、比較的良い方に解釈されて書いてあるところに「経済大国ではあるが、資源小国に過ぎない。」があったが、それ以上にほめられた表現など思い出せない。

 

かの国に対して、だから教科書記述がまずいとか批判する気もない。教科書自体が、反日的なのだから日本に良いイメージを刷り込まれようもない。そのように育った若い世代が、これから末永く中国の屋台骨を支えてゆくのだ。

経済大国としての日本に魅力を感じて、あるいは欧米に希望しても行けなかった留学生らの受け皿になった日本は過去の話。大国の意識の強くなった中国の留学生に日本は、もはや魅力のある国ではないようだ。また韓国にしても、3・8・6世代といわれる現在30歳代、80年代に大学に学び、60年代生まれの反日・親北世代が台頭してきている事も注視の必要がある。

 

隣国が代わることは無いが、隣国の人々の抱く日本人へのイメージは甘んじて受けねば成らないことも現実にあるだろう。2012年残りわずか、ともに日本にとって大きな意味のある米中韓のリーダーの交代がまもなく完了する。

 

隣国の行き過ぎた言動に対しても、この先向かいあわねばなるまい。身近になって、行き来が盛んになり、摩擦・抵抗・向かい風を受けている。先達が自動車・飛行機・ヨットを生んだように、真正面から押してくる力を未来へと駆動させるエネルギーに変換させたい。

 

 

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