12月2012

坂の上の雲が惹き付けるもの

生活

 このコラムで既に司馬遼太郎氏ならびに「坂の上の雲」について書いた。

その理由は、まず自分自身が学校教育以外の機会をつくり、自らの意思で能動的に日本の近現代史を学んだという事実。そして、歴史観や大局観の醸成に必要だったという実感から書いた。

さて、「坂の上の雲」は、さすがに読み応えがある。近代歴史小説ということもあり、記述が緻密で、歴史的な事実の積み重ねが丁寧である。したがって。大脳皮質まで満腹感が届く思いである。先日、定期健診でとある病院の待合室

にいたのだが、歴史好きと思しき年配の男性が、「”坂の上の雲”はいいねえ、

登場人物がとても立派じゃねえ。惹きこまれてしまうし、どこで読むのをやめて寝るか悩むんだよね。でも、何度も読んだ本なのに、興奮して眠れなくなった。」「あの時代に惹きこまれて戻りたくないから、いつトイレにたってよいかもまよってしまうんだよね」「尿瓶(しびん)を抱えて今度から読もうと思う」と。地下においでの司馬遼太郎先生も苦笑いしておいでだろう。

司馬遼太郎氏自身は、「坂の上の雲」を映像化することは困難だと思われていたらしい。安易に視聴者に阿ると戦争礼賛のような映像に傾くだろうし、それは司馬遼太郎の本意ではないと。したがって、その意を汲んで遺族や記念財団が首を立てに振らないということだった。そのような経緯もあり、現実に映像化したNHKは、製作に3年も費やしたのは戦争シーンなどの特殊映像だけでなく、主人公三人を通して、日本の欧米列強に追いつくための国民を個々の奮闘努力があったことを丹念に描写する覚悟の表れとも。

 

さて、坂の上の雲は、真之、好古兄弟や子規の少年期が良く描かれていたと思う。青雲の志をもって、三者三様に上京へ辿る物語があるのだが、好古、真之兄弟の進路に師範学校、陸軍士官学校、海軍兵学校がある。作品中に「ただ(授業料が必要のない、官費で給与もされる。)の学校」という表現がある。

志と学力があり、有為の青年に与えられた可能性を拓く学校のことである。

小職自身は、かような学校に入学した経験はないが、祖父を中心に父、伯父、伯母(女子師範)らが進学している。祖父と父を別にすれば、戦地に斃れてはいるが、伯父伯母らの生涯は、自らの可能性と国の行く末を真摯に考えられたかけがえのない月日だったに違いない。

 

現代であっても、国難に立ち向かう各界指導者や長期的な展望、俯瞰的視点で教育に従事する指導者を養成する「ただの学校」があってもよいと思う。事実、最近経済界の重鎮からもかような意見が出ているらしい。文部科学関係予算の中でおおよそ半分を占めるという東大関係予算。そこに通う学生の親の平均所得が高額で、格差の象徴と羨望の的である。今の日本の閉塞感に風穴をあける人材を輩出する未来志向の国難と戦うリーダーを養成する士官学校海兵学校はあってよいと思う。

この国の今の不幸は、「坂の上の雲」を指し示せる指導者が少ないことだろう。