12月2012

国際交流は、どのように進めると良いのか

生活

 尖閣諸島の国有化を機に、中国国内における反日暴動が予想を悠にこえた

ものとなり、現地邦人や現地中国人従業員の身の安全の確保をはじめとする危機管理が注目を浴びた。また、本来、業績向上のための活用情報の質と量を充実させようと取り組む進出企業も増えていると聞く。中国には、日本からの進出企業は2万社、邦人は15万人とも。国と国との関係が良好とはいえない時に、国際交流はいかにあるべきか?あるいは、今後のの進め方はどうあるべきか?ということに関心が寄せられていることだろう。危機管理も視野に現地在外公館との官民協働はいかに進めるべきか?ということで、思案を綴って見たい。まず、企業が進出する場合や公的機関の交流が始まる場合。海外の特定の都市や地域と交流が始まるきっかけは、ごくごく私的なお付き合いからという場合が多い。企業幹部や自治体首長が、海外出張の時に御世話になったホストファミリーや議会の海外視察をきっかけにした受入先、青少年交流事業をきっかけに相互の訪問が始まったという例は枚挙に暇がない。思うに、企業進出を検討する契機や国際交流をはじめる契機は、出会いがごく自然に訪れたのであれば、理由や動機はさほど重要ではないと考える。問題は、事業採算検証(フィジビリテイースタデイー)や交流事業を継続する場合の目的や予算計上、それに伴なう労力や地域住民の協力をいかに取り纏めてゆくかということである。

 

本稿では、担当者の気持ちの問題に焦点を合わせてみたい。

進出計画の担当者や国際交流事業の担当者であれば実感があると思われるが、準備と気苦労はかなりのストレスになる。どうしてかといえば、まず言語の壁に加え、風俗習慣の違いなどから、互いの意思確認や相手国に示す事業計画策定や交流イベントの事前調整に手間がかかり努力を強いられるに違いない。

事業進出や交流自体が、物心ともに負担を強いるものであるから、これを継続してゆくには、それぞれの地域住民の合意形成は不可欠である。

時に、経済情勢によって予期せぬ予算の縮小や交流派遣人員の縮小はやむをえない。しかし、一方的な都合で進出事業の縮小撤退や交流協定を結ぶ地域などとの国際交流事業をやめることは、国際的な儀礼に照らし合わせても非礼であろうし、また困難なことである。出会いのはじまりが自然であっても、継続労力を考えると結婚する時のような覚悟した方がよさそうである。結婚と置き換えて考えた場合、大方、セレモニーや御引出物(記念モニュメント)は派手になりがちであるが、大切なことは普段の生活に重きをおいて信頼の醸成を行うということである。それだけに、定期的な交流事業や記念イベントの実施よりも事業の目標や計画の策定に力を注ぐべきであろう。違った価値観を持つ人々との交流には、方向性の明示が不可欠である。

 

「何のために事業進出や国際交流事業を行うのか?」

地域住民から問われて、事業進出の目的や国際交流事業の目的が明文化してあり、職員が等しく理解して平易に回答できる状態にあるだろうか?

たとえば、ありていな質問ではあるが、「事業進出や国際協力は、なぜ必要なのか?」と問われれば、経済活動を基本にいえば、「資源小国で食料も輸入に頼りざるを得ない日本国として、国家戦略上からも必要なこと」「国是に近い行動」である。他方、個人的に考えれば、「隣人」や「友人」を援けうとすることは、むしろ人間として当然とすべき行動である。

それでは、「事業進出や国際交流は、なぜ行うことにしたのか?」と問われれば、理由は、国際交流を行っている人々の数だけ理由がありそうである。

しかし、「より明確な合意形成と事業の継続」という前提にたてば、「国際理解のために」ということになるのではないだろうか。「隣人を理解しよう」ということである。「なあんだ」と思われるかもしれないが、これが存外難しい。

海外旅行に数十回行かれたことのある方でも、日本人ならびに日本が、異端であるという自覚を持たれたことがおありであろうか。

例えば、中国や韓国の近隣諸国や東南アジアの国々は、儒教思想の影響が強く、また長幼という判断の物差しが定着している。宗教や民族思想による行動規範も幅をきかせており、現代の日本とは大きな違いがある。古代の日本は、どうだったかは存じないが、脱アジアを早くから標榜したり、島国独自の文化や歴史的背景をもつ日本は、風俗習慣において自ら異端であるというような意識があったほうが何かと間違いがない。これらの問題は、セレモニーや食事などの時に頭をもたげてくるので事前の学習が必須である。日本式で通せることと、国際的な行動規範や相手国・地域の風俗習慣で異なる規範について、確認に確認を重ねたほうが良い。反対に海外の国や地域からすれば、八百万の神に代表されるほど、さまざまな信仰の対象を受容し、宗教的な行動様式に制限をあまり受けずに済む日本との交流は、都合が良くやりよいかも知れない。また、あらゆる国や地域の食材や衣料、工芸品や資料などあらゆるものが日本では入手できやすく、相互理解やセレモニー演出の道具を探すには便利だろう。

 

さて、一番大事な課題はと問えば、「コミュニケーション能力」だろう。国際人とは、語学力に優れた人のことではない。語学というよりは、コミュニケーション能力に優れた人のことを指すと思う。語学力があっても、歴史観や文化観がなければ、国や地域の思考や価値観、交流に対する思いを十分に伝える事が困難である。事実、交流上手な人は、必ずしも語学に優れ、渡航経験が豊かな人とは限らない。むしろ、明るく無邪気な子供たち中に交流名人が多い。