12月2012

静かに燃え沈む落日

生活

 近年、小生が繰り返し繰り返し、口に出して唱える一節がある。それは、 「騒然とした時代になりましたが、わたしはこの一両年、広田弘毅元首相という静かに燃え沈む落日のような題材と取り組み、むしろ救われる思いでした。」である。これは、かつて生前の城山三郎が、友人の伊藤肇に宛てた手紙の一節である。城山三郎が逝ってから小職は、この文面が心に響いて、事あるごとに繰り返し繰り返し思い出され、脳内で乱反射している感じがしてならない。小職は、氏とは血縁関係も全く無く他人でありひとりのファンに過ぎない。が、城山三郎の死は、実父を亡くしたときのような喪失感が未だに続いている思いである。

 

「毎日が日曜日」を高校生で読んで以来、氏には、実に多くの著作を通じて教えをいただいた思いだ。氏の文字が鑿となって、この胸の奥深くに刻みつけられている。氏の言葉の鑿は、修飾を極力避けた宮大工の道具のようである。それは、風雪に耐える真理を伝える道具そのものである。

伊藤肇の言を借りれば、氏はリスのようにはにかむ男だったという。

穏やかで、思いの深い人格が偲ばれる。戦争体験から、特攻隊や戦争責任に関する厳しい記述も印象に残る。氏の作品中にあった「一歩前」という言葉も印象に深い。特攻隊への志願はあくまでも、自発的でなければならない。だから、志願するものはと問われれば、全員で一歩前に出るのだ。何時までたっても、皆で一歩前に出る。皆が志願するのだから、恨みっこなしで、上官殿の裁定、命令に従うのみである。こんな命のやり取りは、なんともいえず理不尽である。

 

理不尽の究極が、東京裁判の広田弘毅首相の判決である。

従軍慰安婦や南京虐殺については、客観的に考えて歴史的な再評価も必要だろう。中韓系米国人からたくさん献金を貰った米国議員が、たとえ何をいったとしても、偏向する主義主張によらず、普遍的な真実を持って判断すべきであると思うようにしている。しかし、前出の問題と異なり、広田弘毅首相に対する東京裁判の判決には、いかなる時にも異を唱えて反論してゆきたいと思う。

広田弘毅首相は、中国侵略、大東亜戦争への突入を最後まで阻止しようと行動した人である。それは、多くの史実が証明している。しかし、東京裁判でインド人パール検事が、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くことへの疑問をぶつけているが、結果に空しい結審に終わった。ただ、最初から絞首刑ありきである。幼名丈太郎。論語の「自らは計らわず」という教えを守り、一切の抗弁を口にせず、僧侶花山信勝に言い残すことを問われて「自然に生まれて死んでいったということで良い」と応える。夫人は、夫人で夫を心配させまいと自刃して先立つ。絞首刑台に上る直前まで、先立った妻に宛てて恋文を差し出す広田弘毅の生き方は強烈で、ことあるごとにこの人の行動原理を確かめたくなる。

かつて、公務で派遣された中国などで、幾度となく第二次世界大戦に対する見解を求められたことがある。その時に、よく広田弘毅首相の話をした。すると、ほとんどの人が「そんな立派な人がいたとは知らなかった」と感想を漏らした。近代日本史を城山氏から確かに学び、歴史の流した涙を知った思いだ。