12月2012

中国における日系自動車メーカーの部品需要や雇用力の創出力

生活

 日本国の尖閣諸島国有化に対する反日行動自体は予測できたが、日系自動車メーカーの

苦境は想像を悠に超えている。他方、自動車メーカーが、概して1台当たり3万点を超えるとされる自動車部品の調達を中国国内で、大方行うことを考えると日系自動車メーカーの苦境は、翻って中国国内の部品メーカーを苦しめ、直接間接にかかわらず雇用にも影響を与えるので、大いに気にかかる。

 

陳徳銘商務相が、2012年11月10日に尖閣諸島問題で先鋭化している状況下、「

官民、政経を切り分けて対応する旨」を内外に示した。中国にとっても価値有るものや必要なものは守るとい強い意志の表明だろう。反日暴動以降、対中自動車輸出額は、3割がた減額していると聞く。日系自動車メーカーのデイーラーは、中国人経営者によって運営されていると思うが、営業成績は地に落ちているような有様だと聞く。

他方、日用雑貨品の分野では、日系メーカーの販売成績には落ち込みがないと聞く。「安全」「安心」として受け入れられ、中国の人々の生活に溶け込んでいるようだ。家電は、中韓メーカーに比べ品質は別にして高額であり、そもそも競争力が強くないため、落ち込みも少ないようだ。日本を代表するイメージで自動車が、ひとり反日感情を一身に引き受けているかのように思えなくもない。

 

「もはや中国に対し、途上国に対するような政府開発援助は行わない」とされた1999年。小職は旧国際協力事業団(現:国際協力機構~JICA)から派遣され、中国で、自動車部品産業振興セクターのプロジェクトに参画していた。1999年から2001年までに、四川省と江蘇省を中心にして民族系メーカー外資系メーカにかかわらず、自動車の部品メーカーの育成を日本の経験やノウハウを提供するというものであった。指導する地域は、四川、江蘇両省にとどまらず、全国各地に渡った。つまり、毛沢東主席の内陸振興策により重化学工業が安全保障の面からも大規模に移転されていて、それが中国大陸に散らばっていた。

後に、規模の大きい工場が点在することは、重化学工業の地域振興を図るために大いに役立ったとも考えられるが、当初の自動車部品産業振興セクターを立ち上げる際には、

困難がつきまとうことが少なくなかった。

たとえば、四川地震で被災した省第二の工業都市綿陽市では、自動車のエンジンメーカーを集積させていたが、必要とする部品の最も遠い調達地はハルピン市であった。この当時、決済は郵便為替で先払い、鉄道輸送が慣例であった。したがって二都市間の数千キロの線路の上に、先払いした部品がいつも点在しているようなものであった。かようなことのひとつひとつを改善しながら、中国の自動車産業は発展してきたのであるが、そこに費やされた日中両国の多岐にわたる事象を考えると、両国の損失の大きさに対する懸念と同時に、早期の問題解決を望まずには居られない。