12月2012

材料を使わないところに価値がある~付加価値の話

生活

 以前読んだロンドン発の“傑作なNEWS”。「イギリスのある公園にヘンリームーアの巨大なブロンズ像が安置されていたところ、何者かがそれを運び出し、鋳潰して中国に売りさばいてしまったという。時価3億円近い著名な芸術だったが、青銅としては20万円ほどの値しかしなかったらしい。」という話。

金属の塊としての価値は20万円。芸術品としての価値は3億円近く。その差は何だろうか。言い方を変えると、大きな木の固まりを彫刻し、作り上げた像をモチーフにして青銅を鋳造して像をつくるという創作活動の生み出す価値

はなにか?ということになる。20万円のものが3億円近くのものに生まれ変わるのだとしたら、製作者の固有の技法や表現方法が、他者に類なきものだというようなことだろう。まさに芸術家が、価値を創造したということになるだろう。

 

この新聞記事を読み、国際協力の公務で四川省に派遣されていたときのことを思い出した。私は、13年前の7月、日本から技術移転する自動車エンジン工場で、財務管理と原価管理を日々担当して指導していた。自動車のエンジンは、日進月歩で生まれ変わってきているが基本的に鋳物である。旧態依然の心構えで、物づくりに取り組む姿勢がマンネリに陥るといけないと思い。ある日、500人ほど集め講義をした。

 

黒板に女性用のA.競泳用の水着の絵とB.ビキニタイプの絵を描いた。

「え~黒板に描いたAとBの水着だが、完成製品の形は違っても材料は同じだとする。」「どちらが高く売れると思うか?」と問うた。この時、大方の人間は、「Aの競泳用の水着」だと答えた。私は、「果たして、本当にそうだろうか?」と言い。「すこし質問を変える」として、「A」と「B」の水着の「どちらかが好きか?」と問うた。すると、全員が「B」のビキニタイプだと答えた。

 

そこで、「需要が高い」ので「B」の水着が「高く売れるのではないか」と

誘導し、「Bの水着は、Aの水着より材料費が安い。場合によっては、加工賃も

安いかも知れない。材料費が少ないほうの水着が高く売れるのはどうゆう理由によるか?」と重ねて質問してみた。そして、「布が無いところに価値がある。

布が無いところは、デザインという名の付加価値である」と展開し、「水着を買うのは女性でも、需要を作り出すのは男性」「真実の購買者は男性である」と結論づけた。教室中に、ため息とともに「真理だ!」という声があがり、「市場経済主義の真髄だ」と大げさに言われた。私は、これ以後「付加価値先生」と呼ばれるようになり、以来、宴会などの楽しい場に盛んに呼ばれるようになった。