12月2012

材料を使わないところに価値がある~付加価値の話

生活

 以前読んだロンドン発の“傑作なNEWS”。「イギリスのある公園にヘンリームーアの巨大なブロンズ像が安置されていたところ、何者かがそれを運び出し、鋳潰して中国に売りさばいてしまったという。時価3億円近い著名な芸術だったが、青銅としては20万円ほどの値しかしなかったらしい。」という話。

金属の塊としての価値は20万円。芸術品としての価値は3億円近く。その差は何だろうか。言い方を変えると、大きな木の固まりを彫刻し、作り上げた像をモチーフにして青銅を鋳造して像をつくるという創作活動の生み出す価値

はなにか?ということになる。20万円のものが3億円近くのものに生まれ変わるのだとしたら、製作者の固有の技法や表現方法が、他者に類なきものだというようなことだろう。まさに芸術家が、価値を創造したということになるだろう。

 

この新聞記事を読み、国際協力の公務で四川省に派遣されていたときのことを思い出した。私は、13年前の7月、日本から技術移転する自動車エンジン工場で、財務管理と原価管理を日々担当して指導していた。自動車のエンジンは、日進月歩で生まれ変わってきているが基本的に鋳物である。旧態依然の心構えで、物づくりに取り組む姿勢がマンネリに陥るといけないと思い。ある日、500人ほど集め講義をした。

 

黒板に女性用のA.競泳用の水着の絵とB.ビキニタイプの絵を描いた。

「え~黒板に描いたAとBの水着だが、完成製品の形は違っても材料は同じだとする。」「どちらが高く売れると思うか?」と問うた。この時、大方の人間は、「Aの競泳用の水着」だと答えた。私は、「果たして、本当にそうだろうか?」と言い。「すこし質問を変える」として、「A」と「B」の水着の「どちらかが好きか?」と問うた。すると、全員が「B」のビキニタイプだと答えた。

 

そこで、「需要が高い」ので「B」の水着が「高く売れるのではないか」と

誘導し、「Bの水着は、Aの水着より材料費が安い。場合によっては、加工賃も

安いかも知れない。材料費が少ないほうの水着が高く売れるのはどうゆう理由によるか?」と重ねて質問してみた。そして、「布が無いところに価値がある。

布が無いところは、デザインという名の付加価値である」と展開し、「水着を買うのは女性でも、需要を作り出すのは男性」「真実の購買者は男性である」と結論づけた。教室中に、ため息とともに「真理だ!」という声があがり、「市場経済主義の真髄だ」と大げさに言われた。私は、これ以後「付加価値先生」と呼ばれるようになり、以来、宴会などの楽しい場に盛んに呼ばれるようになった。

日本の未来に希望はあるか

生活

 国政をいかに選択するか?を迫れたはずなのだが、多政党化によって焦点 がぼやけたわけではあるまいが、感想として、どうもすっきりとしない選挙戦や国政事情のように思う。

 

これまで民主党政権下で最も前向きに取り組んできたはずの「税と社会保障の一体化」は、この先予想される急激な労働生産年齢人口の先細りとそれにともなう経済規模の縮小から考えると一刻も猶予のならない愁眉の課題のはずで

ある。

原発問題にふれる政党は多かったが、廃止を口にするのは良いが代替エネルギーやコスト対策に関する指針は明らかにせずじまいだった。

ドイツの脱原発政策を手本に主張を展開する候補や政党があっても、ドイツ国内では建設されている原発のうち半数が稼働中で、08年以降に電気料金が

2倍まであがってきていることへの国民の不安や不満は、日に日に大きくなってきているとドイツ在住の知人はいう。

ドイツでは、再生エネルギー発電の事業参入奨励がなされているが、大規模は助成金を背景に進出してきている中国資本企業が市場占有を強めており、本来の殖産振興に遠く及ばないようになっているようだ。

 

中国の新指導部は、尖閣諸島問題で利害が対決する日本だけでなく、中東から輸入する原油のシーレーン強化を掲げ、南シナ海の制海権を目指すのか戦闘能力の高い戦艦を展開させている。

その海は、東南アジア諸国だけでなく、日本のエネルギーの生命線たるシーレーンでもある。腰の定まらぬような主張を展開してきた日本は、強面の隣人と折り合いをつけられるのであろうか?そして、アジアの国々からの支援は受けられるのだろうか?

そして、盟約を結ぶ友人のアメリカ。

中国のプレゼンスの強まりを黙認するとも思えないが、強大な国家になったと自信を持ち、大陸国家から大陸海洋国家に宗旨替えした中国に、自制的な行動を取らせる力や思うような国益を確保できる力はあるのだろうか?

 

G7は、G20となったが、力のある先進国も新興国もないという言い方もある。いや、米中の2Gこそ正しい認識であると。はたまた、その2Gにも力がなく、G0の時代に陥っているので不幸なのだとも。

いじれにしても、存在が埋没している日本の未来に希望はあるか。

誇れる日本のソフトパワー

生活

 過日、EUにあっても独自の道を歩む英国に、日本も学ぶところが大きいと紹介した。とくに、GDPは日本の半分程度しかないのに、国際金融の世界での圧倒的な信用力とノウハウの蓄積には驚かされる。この英国の魅力を日本もすこしは身につけられないかという思いからの紹介だった。

 

英国は、金融経済だけでなく、明らかにソフトパワーが充実している。たとえば、サッカーやテニス、ラグビーをはじめとする多くのスポーツ。それら競技の発祥の地ということで、世界中の人々のいかに多くの畏敬の念を集められたことだろう。

あるいはガーデニング、英国式の庭園に憧れ、英国で品種改良されたバラを求める多くの人々が世界中にいることだろう。エンターテーメントの世界でも、先のオリンピックでも活躍した”007シリーズ”や”ハリーポッター”。音楽界にあってもエドガーなどのクラッシックに始まり、ビートルズ以降のロックなど枚挙に暇がない。

 

実は、極東の島国日本にも、誇れるソフトパワーはいくつもある。

 

よく言われるアニメキャラクター。鉄腕アトムは、小職の生まれる依然からのスターである。サンリオの”ハローキテイ”は、誕生後40年以上になるが世代を超えて支持、母娘で愛される存在。ウルトラマン、仮面ライダー、ガンダムも父子で支持されているキャラクターである。スタジオジブリの製作した映画は、製作年次に関係なく一向に色あせず普遍的な支持を集めている。

 

なにかと摩擦を繰り返し、歴史認識問題などで衝突する中国韓国両国と日本ではあるが、日本のソフトパワーが眼の敵にされた記憶はとんとない。

むしろ、次世代を担うキャラクターやアパレルをはじめとするデザイン、

楽曲などについては、中国・韓国のビジネスマンも積極的に情報を求めているという。”ガラパゴス”と揶揄される家電をはじめとする日本製品、中国韓国製とは価格では、もはや競争できないが、セレブレテイーには愛用者が多いと聞く。”韓流”に圧倒されたように感じるエンターテーメント。実は、”韓流”の50%以上は、対日輸出である。近年、ハリウッド映画にも日本オリジナルのものがリメイクされて登場してきている。これらソフトパワーの良いところは、資本力によらなくても勝負に打って出られることではないだろうか?

若い世代の個人でも、町工場にもチャンスはあると思うが、いかがだろうか?

 

中国進出したいという中小零細企業は依然多い

生活

 尖閣諸島の日本国有化に端を発した中国との外交問題は、正常化への道のり

はいまだ遠い感がある。他方、経済交流に眼を移すと相互交流を伴う観光は、冷え切ったままだ。中国から日本への観光客は、年間およそ200万人。他方、日本から中国への同観光客は、600万人。観光に限っては、機会損失が大きいのは、圧倒的に中国側のようである。それ以後を冷静に見てみたい。



反日暴動は、全国津々浦々で起きたわけではない。また暴動に参加者したのは、中国の格差社会に不満を持っている階層や年代の人々が多く、少なくとも

品質や安全性などで日本製を愛用する中国人の購買意欲は削がれてはいないようである。ジャーナリズムの巧みな手法に乗せられているのかも知れないだろうか。日本製品の象徴的な自動車や家電製品であっても、そのほとんどは中国資本との合弁企業であったり、多くの中国下請けメーカーや中国資本のデイーラーや中国資本の特約店代理店などの販売店で扱われている。従業員のほとんどが中国人である。雇用を含めた経済損失は、翻って中国のほうに大きな損失をもたらしているのではなかろうか?。

 

ところで、日本の経済、さらには雇用を圧倒的に支えている中小零細企業であるが、新聞社の調査などによるとチャンスがあれば、海外に打って出たいと考えている企業が多いという。

それら企業経営者の動機を整理すると、第一にデフレ経済は、中長期的に人口減を伴う経済規模の縮小を見越してのものであり、一時的に持ち直しても、

日本経済には、中小企業が今後、成長期を得るようなチャンスがないのではという見立て。さらに、多少のリスクを犯しても体力のあるうちに、日本ブランドの信用が高いうちに中国進出を果たしたいという念願があるようだ。

意外に思われるようだが、高額の有料セミナーであっても、中国進出のための具体的な計画の策定方法や事務手続きなどを指導するセミナーは、今でも人気が高いそうだ。多少のリスクを背負ってでもというところは、1980年代後半からの進出ラッシュ時と違って、覚悟のレベルが違うように思う。座して死を待つよりはという強い意志が感じられることもあるが、華僑、印僑などと同じような逞しさが滲んで見える。1980年代後半の進出ラッシュ時には、アメリカの西部開拓になぞらえていう言い方があったが違和感があった。今、本気で中国進出を目指す中小零細企業には、わずかな金鉱であっても発掘して見せるという覚悟が感じられる。この先、本格的に「和僑」なる経済の民が続々と生まれるや知れない。

国際交流で気をつけたいお土産やプレゼントの事

生活

 先には、宴会に対するアジアの人々の熱い思いを伝えた。

その熱い思いは、実際に宴に参加してみなければわからないだろう。

概して、アジアから南米、アフリカの人々は宴では大変能弁だという印象を持っている。それは、例外なく若い女性や子供にいたるまでの印象である。

かねて、はにかむように話をする妙齢な女性やすぐに母親の後ろに隠れてしまうような子供が、宴会の席で主賓や招待客に挨拶を行い、宴に対する賛辞を口にするときなど実に堂々としていて驚く。彼らは、晴れの日に備えて生きているようなところがある。また、宴会では高価な酒を惜しみなく振舞う。さらに食材の取り寄せに努力を惜しまない。彼らは、宴会に生きる民のようでもある。

 

さて、宴会や応接辞令に欠かせないお土産やプレゼントことについて触れておきたい。なぜなら、宴会とおなじようにお土産やプレゼントに対しても、儒教思想や宗教観などが色濃く反映するからにほかならない。

たとえば、儒教思想の強い、長幼の価値観の濃い国や地域とお付き合いが始まったとしよう。訪問するにしても、来日いただくとしてもお土産がつきものである。日本人は、海外旅行も旅慣れしており、お土産の購入も使う人や受け取る人のことを考えて便利なものや喜ばれるものを選ぶ傾向にあると思う。その点、かの国々の方々は、感覚が違うように思う。お土産は、使い勝手が良いとか喜ばれるものである以前に、相手への敬意が現れているものでなければならない。したがって、お土産は形式美にあふれる傾向にあるといっても良い。

 

お土産を差し上げようとする場合。

日本人の大方は、荷物にできるだけならないようにとか、重たくならないようにと気配りをするのだと思う。言い過ぎかもしれないが、それがいけない。先様にとって、お土産は尊敬をこめた献上品である。見かけが立派に限るし、包装は大いに華美なほうが良い。飾り物の場合、重たいということが、かえってありがたみが増させるかもしれない。いずれにしても、当方の思い込みや趣味、習慣できめつけてはならない。

それから、お渡しするタイミングが大事であることには依存がないと思う。

どのようにお渡しするかも大事である。よく日本人は、「これを皆さんで分けて召しあがってください」などといって温泉饅頭やせんべいをお渡しすることがある。事業所でいただいたりすると、休憩時間にお茶と一緒にこぎれいな紙に

お菓子を女性職員が小分けして振舞ってくれたりする。しかし、思うに先様にこの口上はよろしくない。第一、先様は長幼の物差しでお考えになられる。ご家庭向けなら家長(日本では死語?)にお渡しすれば、あとはよろしいようにしていただける。ところが、事業所などで長たる方にまとめてお渡しすると、皆様に行き渡らない可能性が95%以上の確率で起きるように推測される。なぜなら、長たる方に裁量があるのだから、どのように分けようと分けまいと先様の勝手だからである。

実際、これまで多くの実例をみてきたが、最高責任者の方の応接間の脇に堆く日本製たばこや日本酒が積まれたり、飾り棚をはみ出した装飾品が床の上に夥しく並んでいる様子を幾度となく見たことがある。当方には、異様に思えたが、先様にしたらいただいたものをわかりやすく飾る配慮なのではなかろうか。いずれにしても、日本の価値観で判断しないことだと思われる。

 

国際交流の場では、仕事とはいえ厳しいスケジュールの中で仕事をこなす随行の秘書やスタッフがいる。そういう方々にお土産を差し上げるのであれば、

直接お渡しするのが良い。また、前回の話で宴会の翌日、「昨夜は、ご馳走になりありがとうございました」というお礼の言い方は、先様にとっては、「また、食事をご馳走してね」の催促めいた意思に近い。したがって、そのように言われたときは、大変喜んでおいでだということと次回の宴会の段取りを考えればよい。当方にしてみれば、ゆめゆめそのようにとられかねない言い方はすべきでなく、言葉が不足することなく、過ぎることなく謝辞を申し上げるべきであろう。お土産も同様である。先様が丁寧な謝辞を仰せのときは、「またお願いね」とか「もっとないの」と受け止めて考えればよいし、当方からは、宴会の謝辞同様にふさわしい言い方を考えるべきである。それよりも、「そっけない風にお礼を言われた」と感じることがあっても、必要以上に気遣いをさせないためではないかと慮ってみることが大切だと思う。

 

ところで、アジアの国々では食事やお土産などや「おもてなし」に関しては、

熱い思いに加え、面子をかける美意識が働いており、とかく「無理をしてしまう傾向」にある。この点は、つくづく承知しておくべきであろう。かといって、

「無理をしないで」という言い方は、先様を傷つける言い方になる。末長くお付き合いをするのであれば、お付き合いの仕方なども折を見て、踏み込んで意見交換すべきではなかろうか。この点、青少年の交流を基本におくようなお付き合いは、宴会や贈呈式のようなセレモニーを取り分けて行う必要もなく、保護者や関係者などは、文字通り双方親戚づきあいに発展しやすいのではなかろうか。一番良くないのは、自らの常識を価値判断の物差しにしてしまうことである。また、避けられないトラブルもある。「寛容」を常々、心がけたい。

国際交流の場で、大切にしたい宴会や儀式

生活

 年末年始は、宴会や儀式にまつわるシーズンである。あらためて取り上げたい。日本人を自虐的に扱うつもりもないが、個人の事情から目をそらし、仕事や仲間との約束事を優先。滅私奉公を喜んで行っているかのように思うことがある。そのため、かねてから自らを律し、自己犠牲も厭わず、それら行動を恰も当然のように淡々とこなしているように見えることがある。「いやあ、最近はそうでもないんじゃないかな」という声があるかもしれないが、そのような風土があることをよくよく承知しておいたほうがよいと思う。

なぜなら、国際交流そのほか大事なイベントを催行するときに価値観のぶつかり合いがおきて、「そんな、小さなことにこだわってはいけない」とする言動が、思いのほか大きな問題になったりするからである。

 

さて、思いのほか大事なことのひとつが宴会や食事である。

今は、日本ではあいさつで使われなくなっただろうが、アジアでは大切にされているフレーズがある。「ご飯食べた?」とか「飯食ったか?」という言い方である。日本の古文書も、飢饉が幾度となく襲い掛かったことを伝えているが、瑞穂の国は大概水に恵まれており、勤勉な民族性もあり、冷害や旱魃などの苦難を克服してきた。島国の日本と違い、大陸にある国々の気候のぶれは、予想以上に大きく、人民に苛烈な困難を強いた。結果、犠牲になった魂は数知れずである。そのためか、ことのほか食事を大切にする。家族や友人知人に隣人、明日への糧を分け合い生きてきた。粗末な食事であろうと、ご馳走であろうと分け合って命をつないできたのだ。「ご飯たべた?」「飯食ったか?」と挨拶されたあなたには、とても他人に思えないといわんばかりの親愛の情が注がれている。

ところで、アジアでは、いまだ食事に対する思いが熱い。

食事は、栄養や熱量を摂取するばかりではない。自分と家族や地域社会との距離、存在や関わり方を確かめる大事な儀式に違いない。その儀式の位置は、朝ごはんであろうと晩餐会であろうとかわりなく高い位置にある。そのため、おろそかにすることができない。



他方、日本で社会的な地位の高いとされる方々、いわゆるセレブ。

年収数千万円の弁護士でも、法廷や面談、事務処理に追われ時間を節約しようと電車を乗り継ぎ、その合間に「立ち食いそば」で食事を済ませることなど珍しくない。また、重厚長大産業からITにいたるまで、日本の社長さんの方々は、悉く早くできて食べられるカレーライスで昼食ということが多い。さらに、同じ理由で総理大臣から霞ヶ関の官僚、地方自治体の首長に至るまでカレーライスを昼食にかきこむことも多い。

忙しければ、「食事は、テキトーにすましてよい」という教義が日本人の遺伝子にしみこんでいるし、それを「察してあげるべき」という宗旨が徹底しているかのようだ。

しかし、この教義や宗旨は、陸と海のシルクロード沿線や仏教国などの日本と同じ文化を共有する国々であっても通じない。「食事は、テキトーにすましてはならない」ものなのである。

さても楽しい宴会。稲作文化のアジアは、かねてから心身の苦労もあり、晴れの日、収穫祭の儀式はおろそかにできない。収穫は、作物に限らず遠来の友や客人との縁の結びまでおよぶ。日本人と違うのは、晴れの日、収穫に対する熱い思いの温度だろうか。

宴会に招待されることは名誉なことであるが、と同時に座席の位置によって、主催者側からどのような値踏みをされているかが伺いしれることとなる。日本では、とりあえず「出口から遠い席に上座」を設けて、長(おさ)らしき方から座ってもらえば良い。その方が、席に納まれば、万事収まるような安堵感がひろがる。

しかし、アジアのどの国でも、かように軽い宴会などたぶん行わない。宴会という以上は、どの程度の宴会であろうと席順や挨拶の順番を確定させて、事前に了解を取り付けて置かねばならない。日本のように「まあ、まあ」が事、宴会に限ってはない。もし、座席順や挨拶順の打診など行ない調整を図らないと、先様の面子をつぶし、以後の潤滑なお付き合いに支障を引き起こすことになりかねない。まだまだある、招待状の発送の時期やご招待の趣旨など、趣向を凝らし、先様の自尊心を満たすように進めなければならない。

 

ところで、宴会は招かれれば、お返しに答礼をしなければならない。お招きをいただいたお礼は、手短に申し述べ、早速にご招待をしたい旨をお伝えすべきである。「先日は、ごちそうさまでした」「先日はどうもありがとうございました」は、アジアの国々では、隠語で「またご馳走してほしい」ととられかねないので気をつけたい。訪問した国々で、お世話になった運転手さんやメイドさんなどを招待したい場合などは、会場を別にわけるなどする必要がある。アジアの国々では、長幼や身分に関する明確な区分があるからである。日本の論理を押しつけられない。また、海外では、招待宴への答礼は、派手にすれば相手の面子をつぶすことになるので、会場や料理、余興や車の手配、通訳にいたるまで気配りが必要である。特に、料理や酒の内容、質に気ばりすべきである。極端なことをいっているとは思わない。小職は、国際協力で長く派遣されていたときは、6ヶ月前から招待客を想定、宴の予行を考え、準備を開始していた。

中国における日系自動車メーカーの部品需要や雇用力の創出力

生活

 日本国の尖閣諸島国有化に対する反日行動自体は予測できたが、日系自動車メーカーの

苦境は想像を悠に超えている。他方、自動車メーカーが、概して1台当たり3万点を超えるとされる自動車部品の調達を中国国内で、大方行うことを考えると日系自動車メーカーの苦境は、翻って中国国内の部品メーカーを苦しめ、直接間接にかかわらず雇用にも影響を与えるので、大いに気にかかる。

 

陳徳銘商務相が、2012年11月10日に尖閣諸島問題で先鋭化している状況下、「

官民、政経を切り分けて対応する旨」を内外に示した。中国にとっても価値有るものや必要なものは守るとい強い意志の表明だろう。反日暴動以降、対中自動車輸出額は、3割がた減額していると聞く。日系自動車メーカーのデイーラーは、中国人経営者によって運営されていると思うが、営業成績は地に落ちているような有様だと聞く。

他方、日用雑貨品の分野では、日系メーカーの販売成績には落ち込みがないと聞く。「安全」「安心」として受け入れられ、中国の人々の生活に溶け込んでいるようだ。家電は、中韓メーカーに比べ品質は別にして高額であり、そもそも競争力が強くないため、落ち込みも少ないようだ。日本を代表するイメージで自動車が、ひとり反日感情を一身に引き受けているかのように思えなくもない。

 

「もはや中国に対し、途上国に対するような政府開発援助は行わない」とされた1999年。小職は旧国際協力事業団(現:国際協力機構~JICA)から派遣され、中国で、自動車部品産業振興セクターのプロジェクトに参画していた。1999年から2001年までに、四川省と江蘇省を中心にして民族系メーカー外資系メーカにかかわらず、自動車の部品メーカーの育成を日本の経験やノウハウを提供するというものであった。指導する地域は、四川、江蘇両省にとどまらず、全国各地に渡った。つまり、毛沢東主席の内陸振興策により重化学工業が安全保障の面からも大規模に移転されていて、それが中国大陸に散らばっていた。

後に、規模の大きい工場が点在することは、重化学工業の地域振興を図るために大いに役立ったとも考えられるが、当初の自動車部品産業振興セクターを立ち上げる際には、

困難がつきまとうことが少なくなかった。

たとえば、四川地震で被災した省第二の工業都市綿陽市では、自動車のエンジンメーカーを集積させていたが、必要とする部品の最も遠い調達地はハルピン市であった。この当時、決済は郵便為替で先払い、鉄道輸送が慣例であった。したがって二都市間の数千キロの線路の上に、先払いした部品がいつも点在しているようなものであった。かようなことのひとつひとつを改善しながら、中国の自動車産業は発展してきたのであるが、そこに費やされた日中両国の多岐にわたる事象を考えると、両国の損失の大きさに対する懸念と同時に、早期の問題解決を望まずには居られない。

静かに燃え沈む落日

生活

 近年、小生が繰り返し繰り返し、口に出して唱える一節がある。それは、 「騒然とした時代になりましたが、わたしはこの一両年、広田弘毅元首相という静かに燃え沈む落日のような題材と取り組み、むしろ救われる思いでした。」である。これは、かつて生前の城山三郎が、友人の伊藤肇に宛てた手紙の一節である。城山三郎が逝ってから小職は、この文面が心に響いて、事あるごとに繰り返し繰り返し思い出され、脳内で乱反射している感じがしてならない。小職は、氏とは血縁関係も全く無く他人でありひとりのファンに過ぎない。が、城山三郎の死は、実父を亡くしたときのような喪失感が未だに続いている思いである。

 

「毎日が日曜日」を高校生で読んで以来、氏には、実に多くの著作を通じて教えをいただいた思いだ。氏の文字が鑿となって、この胸の奥深くに刻みつけられている。氏の言葉の鑿は、修飾を極力避けた宮大工の道具のようである。それは、風雪に耐える真理を伝える道具そのものである。

伊藤肇の言を借りれば、氏はリスのようにはにかむ男だったという。

穏やかで、思いの深い人格が偲ばれる。戦争体験から、特攻隊や戦争責任に関する厳しい記述も印象に残る。氏の作品中にあった「一歩前」という言葉も印象に深い。特攻隊への志願はあくまでも、自発的でなければならない。だから、志願するものはと問われれば、全員で一歩前に出るのだ。何時までたっても、皆で一歩前に出る。皆が志願するのだから、恨みっこなしで、上官殿の裁定、命令に従うのみである。こんな命のやり取りは、なんともいえず理不尽である。

 

理不尽の究極が、東京裁判の広田弘毅首相の判決である。

従軍慰安婦や南京虐殺については、客観的に考えて歴史的な再評価も必要だろう。中韓系米国人からたくさん献金を貰った米国議員が、たとえ何をいったとしても、偏向する主義主張によらず、普遍的な真実を持って判断すべきであると思うようにしている。しかし、前出の問題と異なり、広田弘毅首相に対する東京裁判の判決には、いかなる時にも異を唱えて反論してゆきたいと思う。

広田弘毅首相は、中国侵略、大東亜戦争への突入を最後まで阻止しようと行動した人である。それは、多くの史実が証明している。しかし、東京裁判でインド人パール検事が、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くことへの疑問をぶつけているが、結果に空しい結審に終わった。ただ、最初から絞首刑ありきである。幼名丈太郎。論語の「自らは計らわず」という教えを守り、一切の抗弁を口にせず、僧侶花山信勝に言い残すことを問われて「自然に生まれて死んでいったということで良い」と応える。夫人は、夫人で夫を心配させまいと自刃して先立つ。絞首刑台に上る直前まで、先立った妻に宛てて恋文を差し出す広田弘毅の生き方は強烈で、ことあるごとにこの人の行動原理を確かめたくなる。

かつて、公務で派遣された中国などで、幾度となく第二次世界大戦に対する見解を求められたことがある。その時に、よく広田弘毅首相の話をした。すると、ほとんどの人が「そんな立派な人がいたとは知らなかった」と感想を漏らした。近代日本史を城山氏から確かに学び、歴史の流した涙を知った思いだ。

 

車力村~わが国の誇らしい国際協力の形

生活

  いまだ、中国や韓国との国交が先鋭化するなか、本来の国際交流について、

思い返してしまう事例がある。青森県の日本海側にそって西津軽地方に車力村はある。というより、あったといったほうが良いのかもしれない。車力村は、西津軽郡に属していたが、現在は、独立した行政単位として存在せず、平成の大合併でほかの村と一緒に「つがる市」に組み入れられている。

村のことは、モンゴルに食糧支援、食糧増産支援のために国際協力業務で派遣され知った。この村は、村という行政単位のレベルをはるかに越えて、わが国の国際協力、国際貢献史上に輝かしく誇らしい魂の金字塔を打ち立てている思いがする。

 

1990年に車力村とモンゴル国の交流が始まるが、最初のきっかけは、当時の成田佐太郎村長が、「第1回新潟・モンゴル友好の翼」で現地訪問したことに始まる。このとき、モンゴル国は民主化をめざし、新しい国づくりに歩み出したばかりであった。なぜ、車力村がカウンターパートになりえたのか。それは、地理的な環境を見ると理解できる。車力村は、津軽地方の西に位置し、日本海の冬のしばれる寒さ、強く厳しく吹き寄せる風、さらに「やませ」による冷害、やせた砂地などと戦ってきた歴史を持っている。モンゴル国の人口構成は、先進国などと異なり若い世代に重心が移ってきている。当然のこととして、遊牧以外にも人口増加定住型の農業も取り入れようと、食料の確保に危機感をもっていただろう。それだけに、数多くの困難を克服してきた車力村は、絶好の教師役ではなかったかと思われる。

 

車力村は、モンゴル国の熱望に応え、交流決定以後、農家や農協と協力し、農業研修生を受け入れる。モンゴル人が日本で研修を受けることは、語学の研修に始まり、農家にステイしての農業体験、稲作や野菜の栽培、畜産研修と文字どおり村を上げての国際協力、国際貢献となった。

風俗習慣が異なる者同士が、理解しあい、知識や技能技術の移転を行うことは、生易しいことではない。しかし、確実な成果の生み出された様子を伺う限り、この村の人々の情愛の深さや心のまことを思わずにはいられない。

さらに恐れいるのは、農業研修生たちがモンゴルに帰国後も、農業技術を学べるようにとモンゴル国チョイバルサンに農業試験場を作るなどしたことである。顕に入り細に入り、万事行き届いている。

国際協力、国際貢献の要諦を小職は老婆心だと思う。この村の人々は、心豊かで、人を憂う気持ちが、ひしひしと伝わってくるようだ。

 

さて、モンゴルのことだが緯度でいえば、北海道のさらに上方にある。

海抜は、人が多く住むところのほとんどが、1300メートル以上にあったと記憶している。夏季に雨が降っても、霙に変わることはごく普通のことである。

冬に、外の天候が晴れわたって気持ちが良いとおもって外に出てみたら、零下25度から30度ということもある。日本では、雪が降り積もって、大地を震るえ上がらせるが、モンゴルでは風が強くて雪が積もらないことが多い。

ほんの一時の夏を過ごすとしよう。朝は、冬と同じく羽毛衣料を着ていてもおかしくないほど冷えこんでいる。しかし、正午になると真上に夏の暑い太陽が照り付け、Tシャツ一枚でも暑いくらいになる。しかし、陽が傾き始めると急に冷え込んできて、厚着を心がけないと寒さで体が動かなくなりそうになる。

 

モンゴルは、年較差、日格差ともに大きな大地である。

穀物類が作れるのであれば、旨味が閉じ込められた良いものができるかもしれない。事実、モンゴル産の蕎麦は韃靼(だったん)蕎麦~「韃靼とは、タタール人を意味し、遊牧を行う馬を乗りこなす民たち」を意味する。~は、同じ種類の植物であるのにルチンの含有量が、日本産の100倍以上もあり、美容と健康によく、重宝され、また愛されている。

しかし、このような土地で米を作ることを考える人がいるだろうか、気候が厳しいだけではない。良い蕎麦ができるということは、それだけ土地に滋味がないということでもある。

しかし、車力村の人々は、ためらうことなくモンゴルの大地に米を実らせることに挑戦した。(「モンゴルに米ができた日―日本の村の大きな国際協力」~金の星社 1997年 鈴木喜代春著 に詳しい記述がある。)

気候が厳しいだけではない。大量の雪が降り積もり、雪解け水が大地を潤すような場所でもない。地下水脈が無尽に広がるわけでない。そんな場所で、請われたことを理由に米作りに村人は打ち込んだ。そして、成田村長が、協力を請われたときから3年後、オムノゴビ県にモンゴル史上初の米が実った。

 

車力村の偉業は、後に車力村モデルという言い方で賞賛されるようになった。

国際協力の先頭に立つべき日本国の指導者らは、本来、国が行うべきことを

東北の農村の人々がやり遂げたという事実を重く受け止めるようになった。

以後、国際協力の仕事に従事するものの間では、国際交流の意味や目的を問うときに、車力村の名前が必ず挙がるようになった。当時、人口7000人の村が、人口240万人の進むべき未来を指し示し、励まし、困難を克服し、自立した農業のあり方を実感させたのだ。熱い思いにあらためて敬意を表したい。

中国の景気後退。人口ボーナスのこと

生活

 2012年問題といわれてきた主要国の首脳交代は、わが国も衆議院解散によって主要国と期せずして歩調を合わせることとなった。各国それぞれに急を要す問題を抱えてはいるが、それぞれの処方箋が明らかにされるのは、個人的には2月以降になるのではないかと予想している。



中国とて、比較的長い旧暦の正月(春節)休み明けにならないと具体的な施

策が見えてこないだろうと思われる。中国にとっては、面子の問題で後ろに下がれぬ尖閣諸島の日本国有化だろうとは思うが、政権が交代したとしても急激に日本側が強硬な対応をするとは思えない。したがって、本来は中長期的に日本に圧力を加えて、日本から政治的な譲歩を引き出せればよいとする立場かも知れない。ただし、それは中国国内の国内事情が安定していることが前提条件である。

日本による尖閣諸島の国有化以前、この1年間における対中国投資は、日本だけが突出して投資額を増やしているのに対し、日本以外の先進国や新興国からの投資額が、軒並み減少していたことは広く知られている。中国首脳としては、これまでどおり反日的な衝突があっても「政冷経熱」で切り抜けたいところではなかろうか。事実、尖閣諸島問題が先鋭化しても「日本企業や日本人は中国との経済貿易関係の強化を希望している」と陳徳銘商務相は言明しており、過剰生産、過剰供給で商品市況が悪化する中で、ジャパンマネーの引き上げは避けたいところであろう。

 

「人口ボーナス」という経済用語がある。

日本の高度経済成長期は、生産年齢人口のピークに迎えられており、韓国の漢江の奇跡などと称された高度経済成長もまた生産年齢人口のピークに迎えられている。先進国入りした国々は、「人口ボーナス」を見事に活用してきた国々である。さて、中国の場合、2015年を境に生産年齢人口が急激に鈍化すると予測されている。少子高齢化は、ほかの経済成長著しい国々とて共通する悩みであるのだが、中国の場合は、ここのところ人件費や不動産地代をはじめ生産コストが高騰しており、さらに今後、第12次5ヵ年計画で市場改革が決定されている水道、石炭、電気、ガソリン、ガス等が高騰することも予測される。

人民元の相場は、いまだ人民元の真の実態相場に遠く及ばないという米国の不満があるが、2005年に固定相場から管理された変動相場に移行し、これまでほぼ3割ほど上昇してきている。これまで中国の経済成長を支えてきたのは、主に安くて豊富な労働力の調達があったのだが、経済成長ピークを目指す以前に、生産年齢人口のピークアウトを迎える中国に成長戦略は描きにくい。

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