1月2013

レインボーハウスのことで思い出したこと。ポーランドのこと。

生活

 去る1月17日で、神戸淡路大震災から18年たったことになる。

震災後孤児らのために建てられたレインボーハウス。建てられたきっかけは、当時11歳だった小学生が、「真っ黒に塗りつぶした虹」を描いたことから、精神的に危険な状態にある震災孤児らの保護の機運が一気に高まったからだと聞いた。その少年も元気でいてくれれば30歳目前である。幸せでいてくれるだろうか。レインボーハウスのことで思い出したことがある。唐突なようだがポーランドのことである。ポーランドは、知る人ぞ知る大変な親日国である。

その理由は、第一次世界大戦まで遡る。夥しい数のポーランド人政治犯がシベリアに連れ去られ、強制労働の末に斃れていった。その結果、夥しい数のポーランド人孤児が生まれた。欧州会議は、人道支援をすべきだと決議し、ポーランド人孤児の保護を訴えた。しかしながら、欧州の国々は手を差し伸べなかった。というより、その余裕さえないくらいに荒廃、疲弊していたのだと思う。

 

このままでは、ポーランド人孤児らも斃れてしまう。

危機感をもった担当責任者は、極東の日本に支援を求めた。日本は、速やかに快諾し、船舶を向かわせ神戸で孤児らを迎えた。孤児らは、療養や保育の機会を得て、健康を取り戻していったという。日本ポーランド国交回復50周年の

式典に臨み、神戸に招かれたという女性が、日本で覚えたという曲を歌ってくれたという。齢九十にもなろうかという女性だ。KOBEは、徳の高い国の名前とともにポーランド人の魂に刻まれている。



神戸淡路大震災後、ポーランドは孤児らを招いてくれた。

恩返しという気持ちだったかもしれない。が、かようなお返しはポーランド人も望んでいなかったことだろう。そして、招かれた孤児らは10年後に再び招かれた。孤児らは、ひとりひとり10年前に写真を撮った同じ場所で、再び写真を撮った。ポーランドの人々は、10年間の成長を心から祝ってくれて、10年前の写真と成長した写真とを比較したポートレートをつくってくれたという。10年間、忘れずに見守ってくれている人々がいるということが、どんなにか大きな支えになるか知れない。ましては、遠い異国の空の下に。実にありがたい。

東日本大震災後、各国の善意で震災孤児らが招かれて海を渡った。遊び相手によさそうな同世代の子どものいるホストファミリーに、受け入れられることが多かったようだが、親子むつまじい様子を見て、幸せな頃を思い出して辛くなり暗い表情になった孤児もいたという。叶うなら10年の単位で支援があってほしいし、孤児らの目線で、現世に思いをこのしていった親たちの目線で支援を考えてもらいたいものだ。ポーランドとの日本の徳の高い交流に思いがゆく。

歳 寒 三 友

生活

 年があらたまるということは、大変ありがたいことだと毎年思う。

毎歳末ごとに反省すべき点が多く、反省を生かしきれないうちに、新年が明けてしまう。年が新たまると、怠惰な性分であっても、何か良いことをはじめようと試みる。年の初めと終わりには、鬼籍に入った親に代わって、仏に躾を受けているような気分にはなるが、案外に人は、自己変革を行うのにきっかけをいつも必要としているのではなかろうかと思う。いろいろと考えこむうちに

2月になってしまう。

松竹梅。もともと中国の出辞で歳寒三友ともいう。寒さに耐えて常緑、そして花を咲かせるという意味合いから縁起が良いもの。松竹梅になじみのある鰻屋や寿司屋に通った慣れ性なのか、松は特上で、竹は上等という風に理解しがちだが、並だとする梅とて、春を待ち詫びる寒い月夜でも、闇夜で香る梅の匂いが人を励ますことがある。とてもとても並みの花ではあるまい。

 

竹にしても、地表に現れ出でる数十倍の容積で地下に根を張り、地震の時に山が崩れない、家屋敷の被害が少なかったなどと徳も備えている。ましては、しっかりと節を作って伸びる姿は、立身出世を願う人があやかりたい姿か。

 

ところで、松の話。成田屋さんの御曹司のことで一時期、巷間が騒がしかったが、歌舞伎の公演で背景に松が使われることしばしば。正月の初ざらい、踊りぞめで長唄「松の緑」が〃今年よりも千度迎ふる春ごとに~〃というふうにつかわれる。ここでいう「松の翠」は、青々とした松の緑のことをいうのではなく、「松の新芽」のことをいう。「赤ちゃん」を「嬰児(みどりご)」という言い方のごとくである。また、女性の美しくつやつやした髪を「みどりなす黒髪」という言い方もある。ここで言う「みどり」は色というより、生まれたばかりの意味合いである。それゆえ、松の翠は、松の新芽ということになる。今年の自らの計の松の新芽の仕込み具合が気になるところ。

松の内が過ぎれば、あまり見かけなくなってきたが門松をはずす。

門松は、竹の先を切り落としている(鳥総:ちぶさ)。あれは、神々が訪れた時、その先に宿りたもうようにと願ってのことだといわれる。

 

「鳥総(とぶさ)たて船木伐(こ)るといふ能登の鳥山 今日見れば木立繁しも幾代神びそ」:大伴家持

 

善行を重ねて、福運を積んでも長く保たせねばならない。福に禄に寿。どれがたくさんあっても保てるように鳥総を備え、心構えをつくりたいものである。

備蓄は愛:Express Love

生活

 昨冬の南半球のインフルエンザの様子や今冬、北米で新型インフルエンザが

早々と発見されたことを知り、本コラムでも「気になる南半球のこと」を書いた。アメリカでは、今冬のインフルエンザの流行規模が、史上最悪ではないか?

あるいは、インフルエンザによる死亡者や入院患者が、史上最悪になるのではないか?という予想が立ちはじめているという。

日本の場合は、インフルエンザの最も流行が広がるのは、2月である。

受験シーズンで多くの人が集い、あるいは一度に移動し、納税申告などで忙しく体も酷使しやすい時期である。ここはひとつ、なによりも大切な命、そして健康について、警告をあえてしておこうと思ったしだいである。

有史以来、私たちは備え蓄え命を護る日々を紡いできた。

私たちの先人らは、避けられない危機に際しても智恵と才覚で生きながらえてきた。避けられない危機が訪れる時、いかに懸命な選択ができたとしても、私たちは、「どのような結果になるかを選択することはできない」のだ。ただ、「最良の行動をする選択はできるのみ」である。

新型インフルエンザの危機感が共有された2009年当時の新型インフルエンザは、幸いにして予想されたことより小さな犠牲で終息を迎えた。しかしながら、翌2010年型の新型インフルエンザに対する備えは、2009年の被害が小さく、楽観的観測が広がって十分な準備が出来てはいなかった。2011年、2012年と準備は、世界全体、そして日本でも怠っていたとことは否めない。ただただ運が良かったのみである。

「新型インフルエンザは。これまでたいしたことは無かったから大丈夫」。

そんな都合の良いことなど誰にも断定できない。むしろ、賢い教えを実践するのなら、悲観的に備えて楽観的に行動すべきだと先人らは諭してくれることだろう。もし、パンデミックがおきれば、保健弱小国は壊滅的な被害を受けるだろう。日本とて、グローバルゼーションの恩恵を受けている以上、被害の大きな国が出現すれば、対岸の火事ではない。食料自給率やエネルギー自給率を考えると大きな危機に陥る可能性もある。

被害を最少に抑える智恵は、危機に備えて用意することに尽きる。

そして、危機に備えて蓄えることである。備える。蓄える。そして、守る。

 

子どもたちの健やかで確かな未来は、おとなの行動選択によって約束される。

子どもたちの健やかで確かな未来は、確かな備え、蓄えによって約束される。

子どもたちの健やかで確かな未来のためにこそ、高品質高機能のマスクや安全で人的に無害な消毒財を。それにふさわしい本物の備蓄を今すぐに。

正月気分のうちに打撃王のDVD鑑賞はいかが

生活

 6年ほど前の正月の頃、「故ルー・ゲーリックのユニフォームが、オークションにかけられ40万2500ドルで落札され、売上金は若い野球選手たちの育成資金にあてられる」というNEWSがあった。礼儀正しい紳士で、野球を離れても評価が高い人格者だった。親孝行でもあったゲーリックのことだから、育英資金にオークションの売り上げがなったことは地下のゲーリックにも嬉しいことだっただろう。ルー・ゲーリックは、一般的にはベーブルースのようには耳になじみはないにしろ、野球史上に打撃王として燦然と輝く星である。

野球をしたことのある男の子なら、誰しも一度はプロ野球選手を夢見るかも知れない。だが、社会に出て様々な洗礼を受けるうちに夢を見る勇気がしぼむ。

学校を卒業して数年間は、親も社会も寛大でいてくれる。だが、三十歳の声を聞くようになると手厳しくなる。三十歳を過ぎれば。自らも省みる力も出てきて、心身の均衡も保てるようになる。四十歳を過ぎ仮面をつけたような気分で人付き合いも出来るようになる。五十歳になり分別臭くもなる。こうなると、感情の起伏を押さえることも出来るようになるが、他方、本を読んでも映画を見ても、若い頃のような湧き出る感情が枯れたかのような思いになることがある。「打撃王」は、ルー・ゲーリックの生涯を描いた1942年製作の映画である。何度見ても彼の真摯な生き方と人とのかかわり方に学ぶことが多い。私は、彼の引退を覚悟するシーンで彼の心情を慮り、毎度も毎度落涙。

 NYの貧民街で生まれた少年は、母親が名門コロンビア大学の寄宿舎の賄いおばさんとなり育てる。11歳ごろからメジャーリーグの選手にあこがれるが、母親のエンジニアにしたいという願いもあり、苦学しながらコロンビア大学に通う。エスタブリッシュメントの子弟がそろう名門大学で、貧しさを嘲笑されながらの学生生活は、映画とはいえ観ていて気分が滅入る。野球の夢捨てがたく、母親に内緒でヤンキースと契約をしてしまうが、やがて母親の知るところとなる。ルーは、好きな野球で親孝行したかったのだ。その後の活躍は、歴史に名を刻すとおりである。「3番」は、いわずと知れたベーブルース。「5番」は56試合連続安打記録、マリリンモンローの元夫のディマジオ。我等が、ゲーリックは「4番」。史上最強の4番打者といわれる割には知られていない。ゲーリックの代名詞は「鉄人」。そして、なんといっても連続試合出場記録「2130」。この記録を広島カープの衣笠が破り、引退してまだ年も浅い元メジャーリーガーのカル・リプケンが破った。が、野球通のファンは認めようとしない。ALS~筋萎縮性側索硬化症(ルー・ゲーリック病)を患わなかったら、きっと記録は長く伸びただろうと信じられているからである。病の恐怖に立ち向かい、引退式でファンへ心からの謝辞を捧げる彼の態度に熱いものがこみ上げる。正月気分が抜けない人には、ぜひお勧めの作品だと思う。

日本経済は復活できるのか?

生活

 昨年末から、政権交代に対する期待やアナウンス効果もあり、日経平均株価の上昇基調や円安傾向が見られ、近未来にぼんやりと薄明かりを見た方も多いのかもしれない。グローバル経済と呼ばれて久しいが、高度経済成長化の右肩あがりの経済と異なり、世界経済はゼロサム社会となってしまっている。

ゼロサム社会となれば、突出した輸出攻勢で成長する国は主要なメンバー

としてみなされることはない。それなりのステータスのある国とは、内需拡大に力を入れている国のことである。世界経済の拡大成長に寄与する国のことである。

かつて日本も輸出攻勢一辺倒の経済成長で、外貨獲得に懸命だった時期があった。結果、米国との経済摩擦を起こし、繊維摩擦や自動車摩擦を引き起こした。加工貿易のために、大量の木材や鉱石、原油を輸入し、現地の環境や従業員の福利を省みない姿勢に、世界の国々からエコノミックアニマルと蔑まされたこともあった。



バブル経済崩壊後の二十年間を「失われた二十年間」と呼ぶようになったが、失われた二十年間と呼ばれる月日の中にあって、日本経済が得たものも実は意外と大きいものがある。

たとえば、内需の拡大である。昨年日本のGDP に占める輸出の割合は、25%である。米国は、22%であるから、同じように内需拡大に力を入れていることがわかる。近年、米国から内需拡大や為替管理で批判を浴びている中国は48%である。改善は、簡単には進まないだろうが、都合のよい時にだけ途上国と主張することは許されまい。稼いだ外貨で宇宙開発競争や軍拡競争に支出を突出させていると思われていても仕方のないように見られている。そして、GDP総額で日本の半分程度ながら、国民ひとり頭のGDPでは、日本を越えているとされる韓国は、GDP の実に87%が輸出によるものである。

対日輸入によって付加価値の高い精密電子部品を調達し、欧米よりは対中国に輸出依存を高めている韓国は、日本の対ドル円安基調に見られる韓国ウォンの相対的な高値貴重が輸出額を減らし、対外債務を増やし、通貨不安につながると懸念が大きくなりつつある。



日本は、失われた二十年間の間に、内需拡大を図り、対外資産の拡大と内容の充実化を図ってきた。国債発行残高が巨額ではあるが、正味の対外資産が充実していれば、計画的な財政健全化によって財務内容を大きく改善することは可能である。国民は、耳障りのよい言葉より、子々孫々に大きな負担を残さないことを望む。復活の道筋を為政者に勇気をもって示してもらいたい。

睦合う月

生活

 近年、原油が投資筋のマネーゲームの主役となり急騰。さぞかし、豪雪極寒地帯にお住まいの方々は、原発事故以来、負担が増すばかりで懐も震え上がる思いをされたことだろう。さて、近年の冬の隠れたヒット商品の中に「湯たんぽ」があった。昔ながらの良さがもてはやされたようだが、陶器製のものに人気が集まったと聞いた。陶器の町では、注文の急増にうれしい悲鳴が上がったようである。

寝る前に、ポットやお風呂の湯を「湯たんぽ」に容れて有効に使うのは、十分エコ商品といえよう。低温やけどを起こさぬよう施し、大いに活用したいものである。「湯たんぽ」がリバイバルとなると、「使い捨てカイロ」の先行きも気になる。貼るタイプや靴先に入れるタイプなど、冷える方には心強い限りではある。が、使い捨てということばが、ECO暮らしでは気になるところである。

「割りはし」の消費を押さえようと、「MYはし」を持ち歩く方々が多く定着した。「はし入れ」も箱型や袱紗のように包むものなどまで、持ち歩きにおしゃれなものも多い。「MYはし」を持ち歩く方であれば、当然、「使い捨て」のカイロには抵抗感があるやしれない。昔のように、使い捨てではない「懐炉」を持ち歩く方が増えておかしくあるまい。実際、通信販売では人気と聞く。

 

「行火」(あんか)はどうだろう。行火の「行」は、「昼行灯」(ひるあんどん)~赤穂浪士の大石内蔵助~の「あん」である。昭和も半ば過ぎまで、多くの家庭では石綿の真ん中に赤く燃えた固形燃料を置いた丈夫な行火が見受けられた。化石燃料の類を消費するのはよくないといわれる方も多いかもしれないが、灯油や電気の消費を抑える代替手段としては好ましいだろう。

 

「ゆたんぽ」も「行火」も「じわっと」暖かさが伝わってくるところがいい。

火にあたるのではなくて、綿入りの布などを通して暖かさが伝わってくるところがいい。年明けは、いつの間にかやってきて、逝ってしまった。しかし、歳末から続く、人の息災を尋ねあうこの時節の挨拶の交し合いは、いましばらくは続くことだろう。かねては疎遠であっても、賀状や電話で近況を聞くことが自然に出来る時節である。小正月を思えば、旧暦の元日の春節まで日にちもある。まだまだ、多くの人の息災振りをうかがうことだろう。伺った方が、存じ上げずに亡くなっていたとしても、深い感謝とともに回向をするよい機会を得ることだろう。かように、人の心の通いがみられるこの時分を昔の人は、人々が睦み合う月として「睦月」と呼ぶようになったらしい。

 

今年の目標や計画は、まだ作られていないとしても、旧暦では新年に間に合う。赤穂浪士の討ち入りの旧暦12月14日は、新暦では今年は1月25日

元旦は、2月10日。行火や湯たんぽを抱えて思案するのも良いと思う。

逝く者は、かくのごときか、昼夜を舎かず

生活

 まこと、時の逝き過ぎるは早い。論語には、「子、川上ニ在リテ日ク、逝ク

者ハカクノゴトキカ。昼夜ヲ舎カズ。」(子在川上日、逝者如斯夫。不舎昼夜)

とある。孔子様でなくとも、誰しも似たような感慨を言葉にできるのではなかろうか。さて、孔子様の主題は、だからこそ「道にきわまるところがなく、人は休まず学び続けなければならない」に行きつく。「御意」としか、応えようのない真実であろう。ところで、何事も計画を立てて挑戦しなければ、座して待っていても、時は逝き過ぎてゆくばかりである。この尊い人身をどのような気持ちで保ってゆけばよいのだろうか。

さて、平泳ぎは日本水泳界の代名詞である。

1972年当時の平泳ぎの代名詞は、ミュンヘンオリンピック金メダリスト田口信教氏(現:鹿屋体育大学教授)であった。彼の行状に、学ぶところが大きいと思うので紹介しておきたい。田口氏は、もともと才能豊かなスイマーであった。しかし、泳法違反で大切な大会で競技失格になったりして、思いのほか伸び悩んでいた。「実力があるのに、大きな大会になると力を発揮できない」と本人も悩みに悩んだ。

そこで発想を変え、自分が神様だったらどんな選手を応援するだろうか?と考えた末、当時の田口選手は「一日一善」を始めたという。率先して、更衣室の掃除をしたり、お年寄りの荷物を持ったりとか、とにかくどんなに小さなことでも良いから善行を毎日行うことを心がけたという。

結果、善行を人に感謝されることで、精神的な余裕が生まれたのか、実力を発揮しやすくなったようである。そして、田口氏に「神様を味方にして、金メダルをとった男」という伝説が生まれた。

 

この話は、今も現役の高校生にすこぶる評判が良い。とあるカレンダーに話が掲載されており、高校生が自己啓発用に買い求めている。目標に挑戦する高校生が、日々、カレンダーに向かい指針にしているということである。

時間は、誰にも平等に与えられている。しかしながら、判っていても大切に毎日使うことが困難で、時間のやりくり上手にもなれない。なぜだろうか。やはり、行き着くところは、「心の問題」としか言いようがないと気づかされる。

技術や知識は、一度身につけたら死ぬまで力を発揮し続けてくれる。しかし心は、毎日毎日、惰性の雑草が生えるので、それを根気良く抜くことをしなければならない。あるいは、心に栄養を補給する作業を怠ることができない。まさに「心こそ大切」である。それを承知はしているのだが、一生、最期を迎えるまで、鏡を磨き続けるような努力をしなければならない。根気が、人生を支える杖か。物事の成就は、人事を尽くした後に、さらに諸天の加護を必要とする。易いことなど、何ひとつ無く、難しいことばかりであると承知している。

 

リーダーには熱く希望を語ってほしい

生活

 かつてないほどの苦境にわが国は身をおいてきた。総理大臣はこの冬、経済の再生に一刻も猶予がゆるされないと認識し、昨年末の就任以来、政策を打ち出してきている。

 

4年前の年末の産経新聞のコラムに、数あるソニー神話のことが書いてあった。読み進むうちに、当事者の深い思いに触れ、考えこんでしまった。そこには、ソニーの苦闘の歴史が書いてあった。

昭和21年の暮れ、ソニーの前身、東京通信工業を創業したばかりの井深大は、ただ先立つ物がない。常務の盛田昭夫とともに、「銭形平次物捕物控」で売れっ子作家になっていた野村胡堂のやしきを訪れた。日経新聞「私の履歴書」によると、数ヶ月前に出資をあおいだばかりとあって、2人はなかなか言い出せない。中略~井深をかわいがっていた胡堂は、「うん」とうなずいただけで、必要な資金を貸したという。世界のSONYが、銭形平次に救われた話である。~SONYは、09年に1万人をゆうに超える人員整理をおこなったが、井深大や盛田昭夫、野村胡堂の思いを汲んでことにあたってもらえたのだろうかと思うばかりだった。

 

また、片山修氏(経営評論家)の著書「人を動かすリーダーの言葉」を振り返る東京新聞の記事を同じように歳末に読んだ。忙しい最中に読んだが、読むうちに体が固まってしまった。そこには、以下のようなことが書いてあった。

今で言われる「失われた20年」の前半1995年から11年間に、いわゆる「失われた10年」の間に見識を問われた経営者たちのことばの記録である。

トヨタ自動車 奥田碩会長<今、流行の「リストラすれば企業の競争力があがると」という主張には、二つの需要なポイントが欠落しているといえます。

その一つは、「人間尊重」。すなわち、あらゆる経済活動の中心にあるのは人間だという素朴な信念です。>

キャノン 御手洗冨士夫社長<初代社長に就任した御手洗毅は、従業員が安心して暮らせる会社を作りたいという思いで経営しました。今日まで、この理念をずっと通してきましたが、なんの不都合もありません。>

シャープの町田勝彦社長<人をやめさせない、何としても雇用を守ってみせるという強い意思を、経営の歯止めとして明確にしておくことです。安易な人員削減に流れてしまったら、経営に甘くなってしまう>

人間を真ん中において、ひとつの大きな家族のように生きてきた日本人。

その誇らしくも、暖かい思いを決して忘れないでいたいものだ。そして、そう言って経営者の丸まった背中に熱い声援を送り続けたい。再生は道半ばである。

“不便”だけど、“不幸”ではない

生活



最近のテレビ番組は、行きすぎた脚色で視聴者に阿るようなものや出演者を愚弄するようなものもあり、不快な気分に陥ることがある。他方、思い切った映像作家の起用や異色プロデユーサーに任せることによって、これまでに無いきわめて秀逸な作品も生まれ出でてきていることも事実である。



2008年に視聴したNHKのテレビ番組のなかで、衝撃を受けたものがあった。冒頭のことばの「“不便”だけど、“不幸”ではない」は、番組中の会話である。



マラソンランナーの福原良英さんと、プロのソプラノ歌手で妻の理絵さんの間にもうけた長女・立春香ちゃんは目が見えない。次女・明葉ちゃんの視力には障害はない。夫婦の目の病気は遺伝性のもので、遺伝することを覚悟して産んだという。



目の見えない夫婦は、「絆」という手紙をもとに、ふたりの子どもに思いを伝える。ふたりには、信じている言葉がある。「見えないことは、“不便”だけど“不幸”ではない。」この言葉の意味を伝えようと手紙に託したのだった。







言うは易し、行うは難しである。目の見えないハンデイキャップが、実際のところ、どんなに大変なことかは、想像すらできにくい。実生活ばかりでなく、人生の様々な選択にも大きな壁となって立ちはだかったはずである。「“不便”だけど、“不幸”ではない」ということばは、ガツンと後頭部を殴られたような衝撃があった。この父母のすばらしい行状や境涯は、また語り難しである。





夫妻は、ハンディを克服する中で、様々に隠徳を多く積まれたことも事実



であろう。夫妻の生き様をいかに詳細に説明するにしても、困難を克服しつつ、積極的に人生を生き抜こうとする夫妻の意気込みは、かなりのものである。







さて、慶応義塾の創立者福澤諭吉翁は、明治11年「教育論」で以下のように述べている。







「子、生まれて家にあり、その日夜、見習うところのものは、父母の行状と



一家の家風より他ならず。一家は、習慣の学校なり。父母は、習慣の教師なり。而して、この習慣の学校は、教授の学校よりも更に有力にして実効をそうする」



福澤諭吉翁をして、家庭における習慣こそが、最大の教育であると説いているのである。陸の王者も家庭の次の王者ということであろう。ペンよりも良き習慣は強しということであろう。人間教育の基本こそが、家庭そのものであるということである。言い古されていることばかも知れないが、学校まかせにすることなく、価値有る仕事を父母のもとに取り戻していただきたいものである。

夢の持てる話

生活

 年が、明けてまだひと月もない。一年の計をこれから立てるのも結構なこと。また、計画の練り直しも大いに省みたいものである。しかしながら、いまどき気分が塞ぎ込みがちだと、なんとかの一里塚だとはやす人もいる。現実的には、私たちは生まれた時から死に向かい、一時も休まず歩んでいるのは事実。皮肉なことに、食事さえ死に向かって歩むために摂っているといえなくもない。

しかし、せっかく尊くも人間として生まれ出でてきたのだ。生まれてきた意味や生きる意味をしっかりと掌につかんでみたいものである。最近は、脳科学者の活躍により、ニューロン細胞が老いても増殖し続けることや努力によって活性化し続けることが知られるようになった。端的に言えば、努力し続ける限り(体力はどうしても落ちるのはやむをえないが)、人の能力自体は開発し続けることが可能だということが歴然である。

ところで、あなたは学生時代に勉学や運動、芸術分野で、努力を続けていたら、ある日突然に記録が伸びたとか、語学のヒヤリング能力が高まったとか、数学や物理が苦にならなくなったという経験はないだろうか。実は、人の潜在能力の出現は、あるとき突然にという形で現れる。多くの人は、努力してもなかなか結果がでないので、自信が持てずにあきらめたりすることが多い。

 

潜在能力出現の原理については、曽呂利新左衛門に学べる。新左衛門は、太閤秀吉殿下に可愛がられた知恵者であった。あるとき、秀吉は新左衛門に対し、

所望する褒美を遣わそうといった。新左衛門は、「それでは、一文倍増三十日いただきとうございます」といったらしい。秀吉は、三十日後の金額がたいしたものにもなるまいと笑って快諾したらしい。この話は、秀吉が笑っていられるような話で終わらない。初日一文、二日目二文、三日目四文、四日目八文、五日目十六文、六日目三十二文、七日目六十四文、八日目百二十八文、九日目二百五十六文、十日目五百十二文となる。このくらいまでは、秀吉も暗算できたかもしれない。問題は、25日目以降である。電卓で2の25乗を計算すると1億を超える。30日目だと10億7千300万を超えてしまう。グラフをつくり、

縦のメモリを1センチ1億にして、仮に縦10センチのグラフを作るとする。20日前までは、ほとんど1センチ以内で低空飛行。25日で1センチを超えたと思ったら、26日以降はほぼ垂直に伸びてゆく。それこそ、ある日突然にということである。物理で学ぶ「はずみの原理」のグラフである。自分自身に、自信が持てなくなったら、電卓を手にして、2にひたすら2を掛けて、2のN乗を計算してみると良い。ひたすら努力しても、なかなか成果が現れない。しかし、ある日突然に成果が出てくるのだ。潜在能力に、定年はない。使えば使うほどに増える能力。誰にもでも、ニューフロンテイアが脳の中に存在するのだ。

 

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