1月2013

うすらい

生活

 日本では、旧暦の元日を節分で便宜上考えることが多いが、本来の意味から

すれば、中国でいうところの春節である。中国では、寒さとすさぶ風で乾ききった大地に、国花である梅が咲く頃、そして本格的な春を呼ぶ雨、梅雨(日本でいう梅雨は、中国のそれとは大いに違っている)が乾ききった大地を湿らせてゆく。中国の梅雨は、慈恵の雨のようである。温かさが天から落ちてくるような感慨がある。

 

さて、お約束のような云いであるが、暦の上では春でもほんに浅い春である。

第一、日本では正月が明けてから先のひと月ばかり後が寒い。上野不忍池では、午前中の早い時間に水面を眺めていると、うすらい(薄氷)がはっているのを見られる。体を使って「うすらい」を破りながら泳ぐ水鳥らは、まこと健気に見える。

 

「立てば芍薬(シャクヤク)、坐れば牡丹」という云いがある。

牡丹のように艶やかな女性を思い浮かべることは出来るが、芍薬に見立てるような女性を思い浮かべることは難しい。どうも、「立てば」のところで、品のよさが匂いたつような女性を連想するのだが、実在する人が思い浮かばない。いずれにせよ、うすらいの季節は、まぎれもなく華やぐ牡丹の見ごろである。白い季節に存在感の増す、寒牡丹、雪見牡丹。寒紅は、静かに移り行く時節にひときわ色香を漂わせる。

 

徳の高い、あるいは内面的な魅力の滲み出る人は、匂い立つ梅の香りを思い起こさせる。春浅い寒い夜に、足元の悪く暗い道、月を頼りに歩いていると梅の香りに誘われ導かれる様子が、好まれて軸に描かれたりする。上野の国立博物館で観た岸句の軸が忘れられない。老木になって苔むすとも高貴な匂いを漂わせる様子は、枯れても品の良い男女を連想させるようで好まれるのであろうか。

 

その点、花(華)の女王は、陽の高い頃を描く軸の中心にまず位置して間違いない。妙齢の女性が、パーテイー会場で壁の花になることが許されないような情景を思い浮かべてみると合点が行くだろうか。無彩色に閉じ込められたような気分の時節に、牡丹の鮮やかな紅はひときわ評価が高い。

寒い時節に牡丹の紅が冴えるというのは、鑑賞眼の確かさをも賞賛しているのだろう。縁台に緋毛氈をかけて、火鉢で手をあぶりながら、甘酒で体を温めつつ、心静かに咲き定まった緋牡丹を眺めるのも良い。