1月2013

せつなくて、やりきれない思い

生活

 毎年、神戸淡路震災記念日の1月17日が祈りで包まれるが、追って、兵庫県監察医務室の報告がメデイア発表される。毎年、その報告内容を耳にして、せつなくて、やりきれない気持ちになるのだ。ここ数年の報告によると、神戸市内の北、西区を除く7区で、過去5年間に「凍死」した109人のうち自宅など屋内で亡くなった人が81%を占めていたということが,兵庫県監察医務室の調査でわかっている。

死後、長く発見されなかった高齢者の「独居死」のケースがほとんどで、ここ数年で急増しているという。近年、独り暮らしの高齢世帯は、増加の一途。

経済状況の悪化などにより暖房費を節約していることも要因ではないかと見られている。震災を乗り越えて生きてこられた方々の最期が、室内での凍死などというのは、いかんともしがたい気持ちになる。

 

先の医務室に残る記録によれば、ここ8年に限って遡って発生した自殺を除き、凍死(偶発性低体温による死亡)した合計109人を分析。その結果、88人が屋内で凍死、うち74人が独居、さらに、このうちの60人が65歳以上だったという。屋内での凍死は、年別では02年、03年はそれぞれ5人だったが、08年以降20人を超えて急増しているという。

高齢者は、体温調節機能が低下するので、屋内だからと油断、あるいは無理に暖房費を節約して、室内や身体の保温がうまく行かなければ、命の危険を伴うことになる。

大都会神戸となると地方の集落のように、日々の住民同士の声かけや住民の気軽な相互訪問などが、うまくゆかないのかもしれない。また、適度なプライバシーを望み、他人の干渉を受け入れないような頑な雰囲気があるのかも知れない。けれども、何にも優先して考えるべき大切な命の問題である。行政に任せるばかりでなく、地域やNPO活動で子供を見守るような仕組みで、事故を防げないものだろうか。子供を地域で見守るのは、ほとんどシルバー層を主力にしているようだ。元気なシルバーであっても、やがて身の回りのことが自由にならない境遇になってもおかしくない。地域内における、相互扶助の仕組みを構築しなおせないだろうか。高度経済成長時代に、多くの若者を飲み込んだ東京。実は、世界一の超高齢化都市である。国際貢献として、先進国や中進国に先駆けて超高齢化都市のあり方に範を示してもらいたいと思っている。

わが世の春と謳歌している中国。一人っ子政策や経済格差の歪なのか、反映の陰で、年老いた親を看とれずに逝かせる例が後を絶たない。両親にひとりの子どもという家庭がほとんどの中国。子どもが、親に孝を尽くしたくともかなわない事情も多くある。命の尊厳について再考したいものだ。