1月2013

腹が空いてもひもじゅうない

生活

友人に舞台製作を生業とするものがいる。芝居の製作にのめり込む様子

や舞台裏の話を聞かせてもらうのだが、これが興味深くて面白い。

その友人と過日、食事をしながら芝居の話を聞かせてもらった。

小職の方から「役者が口によくする川原乞食の意味が、よく分かることが最近ありまして」と持ちかけると、「どういうことですか?」と聞かれ、昔の農業や漁業のことを読んでいて気づいたことがあったとお応えした。概要は以下の通りである。「川原乞食」を住まいがない例え、「橋の下」の続きと連想し考えていたのだが、「川原は地味が悪く、作物が育たず喰えない。また、漁業権が無いので魚も取れない。結局、川原乞食の役者は舞台に命をかけるしか生きられない」「武士の一所懸命と変わらない、舞台での一所懸命があったはずだ」と。



その昔は、芝居そのものがメデイアだったから、世話物や際物など今日でいうワイドショー的な作品も多くある。「近松作品」は、それにしても事件や噂を芝居に仕立てるのに時間をかけずに、よくもまあと思うほど掛詞や道行の描写などが秀逸。驚異的である。シェ-クスピア作品から箴言も多く生まれた。浄瑠璃・歌舞伎からも現代に伝えられる物云いも多く残った

わけである。



でも、何かが違う気がしていた。友人に伺った話だが、世界大戦後の欧州で最初に街の中で復興したのは、劇場だったそうである。日本では、ありえない話のように思える。劇場や舞台は娯楽の場だと大方の人は思うに違いないからだ。その点、欧州では芝居や音楽は人生の一部として、文化

として息づいているに違いない。終戦直後まで、日本人の人口のほぼ8割方は農業に関係していたはずだ。くらしの中から労働歌や民謡も随分生まれ、愛され育てられたはずである。浄瑠璃や歌舞伎の名台詞も疲れを癒す人の心に永くとどまったのであろう。人気作品は、「敵討ち」「心中物」「親子別れ」に集中するが、要するに「不条理」や「理不尽」なことがテーマだとウケる。現代舞台の作家が、「歌舞伎はずるい」といったそうである。理由は、やたらいたいけな子役を使い、これでもかと泣かせる台詞をご婦人に浴びせるからだそうだ。この言い分は、実感として「正しい」。また、心理描写としての道行(みちゆき)が、これでもかと、うら悲しく演出が刹那的に効いているのもたまらない。

過日、新日本フィルハーモニーの演奏会に誘われた。平日の午後のことであり、お昼を食べる時間などない。だが、ホール中央から天井に舞い上がり、降り注ぐ波動を浴びると実に心地よい。毛穴が開いて、波動がどんどん吸い込まれる感じがした。歌舞伎の「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)ではないが、幕の内弁当はないが、「腹が空いてもひもじゅうない」である。