1月2013

「なにが大切なのか?」価値の創造を学ばねば危うい時代。

生活

少しは、世相も落ち着いてはきたが、失われた二十年の後も東日本大震災の罹災、政治のねじれ現象や経済の六重区といった問題が、いまのところは改善されずに、わずかに期待で先物買いする動きが眼につくのが明るい兆しのようにも見える。

この数年、立場のある人たちの言葉が軽すぎると苦々しく思っていた。

思えば、遡ること二十数年前のバブル経済崩壊前、立場のある人の発する「不徳のいたすところ」の物言いは、今の為政者と異なり、はるかに重みがあったように思う。法律を犯さずとも、ちいさな世論やひとにぎりの有識者の発言にも襟をただし、「不徳のいたすところ」を理由に、高い地位を辞していった先人の数はしれない。騒ぎをおさめるのに、万事、辞めれば済むという問題ではないが、「不徳」の文字に、この国の品性に対する思いが滲み、あるいは伺い知れたものだ。

なるほど、今の為政者や時代の寵児とされる経営者らは、なるほど国家が誇る最高学府に学んだり、国家が認める能力資質をもった人間である。しかし、あえてこの漢字の読みに注目してほしい。才能の「才」の字、天才秀才の「才」

の字の訓読みは、「わずか」である。東大に合格しても、難関国家資格に合格しても、この場合の「才」は何ゆえ「わずか」と読むべきだろうか?。そのひとつの答えが、「徳」に対しての「才」(わずか)になろう。人が、うらやむ才能があろうと、それは人生を幸福に生きる糧としては、「わずか」ということである。

 

徳の人と才のひととあり

徳の人は、大将の器たるべし

才の人は、補佐役たるべし

人として、才と徳を備える人あり

容易ならざる大人なり君子なり  ~ 村上素道 ~

 

「資本」は、英語でCAPITAL。ドイツ語ではKAPITAL。いずれも

羊の頭を意味する。その昔、羊の頭は、中東から中国にかけて貨幣の代わりに用いられてきた。羊飼いは、雄と雌を健康的に穏やかに飼えば、やがて子を産み殖やすことを学んだ。「殖やす」ものが「資本」である。今、デイトレーダーが旺盛に活躍する時代、期間損益(収益力)や一株あたりの払込資本利益率(ROE)にお注目が集まる。「利益」計算は、本来、増えた「羊の数」が現れていなければ成らない。そのため、「利益」は、「純財産の増加分」と考えるのが適当である。

バブルプロモーターの株価高め手法の考え方は、「収益還元増加法」に基づく。仮に今、収益がマイナスでも、3年後、配当が5%できる見込みと考え、実現した暁から今を遡って、株価を資金調達側に有利につけられないか?である。これは、「違法」でもないし、新興企業成長の「魔法の杖」になる。しかし、目標達成がならなかった場合、「才」だけの人間が使えば、人を傷つける凶器にしかならない。「いるはずの羊」も「殖えたはずの羊」ももともといないのだから。