1月2013

得意澹然 失意泰然

生活

この数年、日本経済は六重苦におかれていたといわれている。

それでも、円高に耐えて合理化を行い、世界をうならせる国際債権を増やし、

安定した資産を形成するなどしてきた。他方、東日本大震災の被災地は、先

の見えない除染作業で復興予算を費やすことがあっても、眼に見える形での復興は一向に見えてこないというのが実情である。

厳しくなった国際競争を勝ち抜こうにも、国の威信をかけて勝負を挑む韓国

財閥群や批判されながらも為替管理を実質続ける中国の輸出企業群の後塵を拝するようで、日本企業のうつむき加減の姿勢がなかなか直らない。日本全国オール負け組みのような雰囲気を一刻も早く払拭したいものである。

 

とはいえ、相対的に勝っている者とて、現状が永遠の成功、あるいは安穏の保証書獲得などには一向にならないものだ。私たちが躓くのは、「大きな山ではなく、小さな小石である。」目に入る大きな山は、いつも気に成るに違いないが、まず足元を見つめるべきなのだ。健やかな人生を望むなら、昇りたい山を遠くに眺めつつ、足元の小石に目をやりながら、山の頂と自分の足元との間に途中の目標になるような樹木を見つけて、たえず自分の位置を確認するような行動がのぞましい。

日常にあっては、次の目標を問われれば「明日の仕事」であり、「昨日までの自分に勝つ事」である。「一瞬一瞬を重ねて一生なり」である。言い方を変えるならば、短期目標と長期目標において異なるのは、難易度ではない。一日あたりの懸命な努力精進は同じはずだからである。違うのは、達成にかける時間の量だけということになる。

 

話を変える。モンゴル人男性の寿命は、苛酷な気象条件その他もあり、地域によっては40歳台後半というところが多い。したがって、人生を尊い有限の時間と捉えるとき、命を散らすような迫力が生まれるだろうから、大相撲でモンゴル人横綱に勝つ事は、困難を極めるだろう。はたして、横綱白鵬はしっかりとした死生観や立場がもたらす自覚からか、圧倒的な風格さえ漂ってきた。

 

年は、穏やかに明けゆき、なにより「無事」に正月を迎えられた。

命に別状はなく、生きている限り希望は、いつもこの胸にある。命があったら、何でもできるじゃないかという大局観があっていい。理不尽にも、いわれのない事で経済的な損失を蒙ったり、肉体的や精神的に深く傷つけられたり、そのような危険負担は日常的にどこにでも潜む社会になってしまった。



有事斬然 無事澄然 得意澹然 失意泰然

 

厳しい現実に直面しても、すこしも慌てることなく勇気を奮い起こして生きてゆきたい。無事で一日を終えられた時、心からの感謝と他者への理解に気遣いできるようでありたい。得意の時、凡夫はなにかと傲慢不遜になりがちである。失意の時、凡夫は全てを失ったような気持ちになり、心の中の大事な財産さえ見失ってしまうことがある。去年までと全く変わりなく、一年は365日、1日は24時間。経済人という名乗り方を私達はする。その本質は、家族を大切に思う人たちが、温かいまなざしを国内外にむけようと志向する自然発生的な世話焼き集団でもありたい。一期の尊い人生に、本来、勝ち組も負け組もあってなるまい。