1月2013

雪が、天からの手紙であるとすれば

生活

「雪は、天からの手紙である」といった気象学者がいた。

雪の結晶を見れば、天の様子や気象変動もつぶさにわかるというのだろうか。

しかし、憤然やるせない思いで生きる人にとっては、不浄なものを覆い隠し てくれる雪は、天からの癒しの手紙とも感じられるかもしれない。

普段は、桜梅桃李が詠う自然の摂理にさえ、関心が及ぶ事などは無い。

雪が降れば、雪は人の思いなど知ってか、地上の人々の名残を惜しむかのように地表を覆い、一向に去り難いようでもある。



ヘルマン・ヘッセに「困難な時期にある友へ」という詩がある。

一節に、「陽の輝きと暴風雨とは違った空の表情に過ぎない」とある。

地上に嵐が吹きすさび、高見から水が狂いながら下ろうとも、見上げる雲の上には、いつも不変の陽の輝きがある。この感慨には、大きな救いがある。

雲海を西へ西へと進む。西は十二支の酉(とり)の方向。陰陽五行説では、

金である。その一向に沈まぬ春の夕陽を追いかけ、陽光のなかで記憶を辿る。

水際から昇った陽は、必ず陽垂れるもの。行雲流水、自然の摂理は確かで、時は破壊者。人の気持ちに無遠慮に踏み込んでくる。



いつか、人にはその時は来る。

だが、いつかに備えた構えを容づくることは難しい。



何より、知識、技術は一度身につければ、生涯の糧にもなろう。

が、心には、どんな人でも、毎日、毎日雑草が生えてくる。

一念三千。人、それ自身が煩悩の塊ようなものである。

毎日、毎日、心に生える雑草を丁寧にむしり、僅かにいただく時間の功徳に

感謝のまことを捧げられるような人生は幸いであろう。



発心は、なにより自己啓発的な心の財である。

多分、その他者へのいたわりの本質は、仏の性で行う「施し」である。誰にでも出来る「笑顔」や「励まし」から始まる「施し」である。「その施し」の幾分かを国内外で行う事ができればこの上ない。国際交流や国際貢献のごく一端を担うことも叶えば幸いである。一旦、機上の人となれば、沈まぬ陽光をどこまでも追い掛けることが出来る。それを何時までも続けることが叶うかのように錯覚してしまう。



現世に別れを告げるときは、幸いな人生だったと誇りを持って語りたい。



梅が匂い、桃が芽吹く。そして、絢爛豪華な桜の便りも早く届きそうである。

真に豊かな人生。名残り多き人生。花はまこと、愛惜に散るのだ。