1月2013

レインボーハウスのことで思い出したこと。ポーランドのこと。

生活

 去る1月17日で、神戸淡路大震災から18年たったことになる。

震災後孤児らのために建てられたレインボーハウス。建てられたきっかけは、当時11歳だった小学生が、「真っ黒に塗りつぶした虹」を描いたことから、精神的に危険な状態にある震災孤児らの保護の機運が一気に高まったからだと聞いた。その少年も元気でいてくれれば30歳目前である。幸せでいてくれるだろうか。レインボーハウスのことで思い出したことがある。唐突なようだがポーランドのことである。ポーランドは、知る人ぞ知る大変な親日国である。

その理由は、第一次世界大戦まで遡る。夥しい数のポーランド人政治犯がシベリアに連れ去られ、強制労働の末に斃れていった。その結果、夥しい数のポーランド人孤児が生まれた。欧州会議は、人道支援をすべきだと決議し、ポーランド人孤児の保護を訴えた。しかしながら、欧州の国々は手を差し伸べなかった。というより、その余裕さえないくらいに荒廃、疲弊していたのだと思う。

 

このままでは、ポーランド人孤児らも斃れてしまう。

危機感をもった担当責任者は、極東の日本に支援を求めた。日本は、速やかに快諾し、船舶を向かわせ神戸で孤児らを迎えた。孤児らは、療養や保育の機会を得て、健康を取り戻していったという。日本ポーランド国交回復50周年の

式典に臨み、神戸に招かれたという女性が、日本で覚えたという曲を歌ってくれたという。齢九十にもなろうかという女性だ。KOBEは、徳の高い国の名前とともにポーランド人の魂に刻まれている。



神戸淡路大震災後、ポーランドは孤児らを招いてくれた。

恩返しという気持ちだったかもしれない。が、かようなお返しはポーランド人も望んでいなかったことだろう。そして、招かれた孤児らは10年後に再び招かれた。孤児らは、ひとりひとり10年前に写真を撮った同じ場所で、再び写真を撮った。ポーランドの人々は、10年間の成長を心から祝ってくれて、10年前の写真と成長した写真とを比較したポートレートをつくってくれたという。10年間、忘れずに見守ってくれている人々がいるということが、どんなにか大きな支えになるか知れない。ましては、遠い異国の空の下に。実にありがたい。

東日本大震災後、各国の善意で震災孤児らが招かれて海を渡った。遊び相手によさそうな同世代の子どものいるホストファミリーに、受け入れられることが多かったようだが、親子むつまじい様子を見て、幸せな頃を思い出して辛くなり暗い表情になった孤児もいたという。叶うなら10年の単位で支援があってほしいし、孤児らの目線で、現世に思いをこのしていった親たちの目線で支援を考えてもらいたいものだ。ポーランドとの日本の徳の高い交流に思いがゆく。