2月2013

鼻の奥がツーンと

生活

 暦の上では、すでに春である。しかしながら読者諸氏は、たぶん一年のうちで最も寒い時期をお過ごしになっていると思われる。すこしばかり、心が温まるような話でもしてみたい。

 

「郭公」(かっこう)という舞台作品がある。ほとんど台詞の無い、ふたりの老夫婦が登場人物の短い二幕の芝居である。残雪が遠くに見える、そして教会の十字架の見える、貧しそうな小さな家の中に、今にも息を引き取りそうな爺さんが横たわっている。「おばあさんや、裏山の郭公はまだ鳴かないかね」。爺さんは、今生の別れにもう一度、郭公の鳴き声を聞いてから死にたいというのが悲願。婆さんは、爺さんの問いかけに「おじいさんや、今年は春の訪れが早く、一月も早く春がやってきたのよ。もう、雪が消えたし天気もよければ、明日にも郭公が鳴きますよ」と。第一幕は、ここで終わる。

そして、第二幕が始まる。婆さんが楡の木に登り始める。手足に傷を負いながら懸命に登る。楡の中ほどまで登ると「カッコウ、カッコウ、カッコウ」と鳴き続ける。教会の鐘の音、賛美歌の中の流れる中、爺さんの耳元に郭公の鳴き声が届く。目前に迫った死を前に、臨終の時を予感した老人の切ない願いだった郭公の鳴き声が届く。「わたしは、なんて幸せなのだろう」。「でも、長い間苦楽をともにしてきたおばあさんと一緒に聞きたい」。爺さんは、最期の力を振り絞って「おばあさん、郭公の声を聞いたよ」と叫び、息を引き取る。満足そうな婆さんの姿。そして、幕。

 

さて、話をもうひとつ。1999年から某信託銀行が、『60歳からのラブレター』を募集し、昨年11月に13年目を迎えた。刊行されている編集本の中から手紙を紹介したい。難病に冒され、足が不自由になった2009年当時63歳の女性から、夫にしたためられた手紙である。

“夫である貴方の名前を私は日に何度呼ぶことでしょう。ベッドから車椅子に移る時「お父さん」、車椅子から便座に移る時「お父さん」、ベッドの上で着替えをさせてもらったまま、立ち上がれない私に「お前が逝ったら、俺もなるべく早く逝って着替えさせないといけないな」。私は、鼻の奥がツーンとしました。”この手紙は、平易な言葉だけで綴られている。しかし、宝石のような輝き

がある。情感を高貴に、あるいは繊細に飾る言葉は使われていない。虚飾は、一切排除され、信頼が永きに渡り醸成されたふたりの暮らしが垣間見られる。

夫婦ふたりの道行が、青年期以降の人生の歩みの大方であるならば、背負う

苦労もお互いを頼り、頼られ、健やかに、できるだけ遠くまで仲良く歩んでもらいたいと願うばかりである。すべての人生に、幸多からんことを祈りつつ。

ノーブレス オブ リージュ

生活

 先ごろ、リーダーにはしっかりとビジョンを語ってほしいと書いた。

リーダーは、全人格をもって語りかける必要があり、単に経験知識を振りかざし力説しても、人の心は動きそうにはない。

「北辰斜めにさすところ」という映画がある。主人公は、旧制第七高等学校造士館野球部で活躍した伝説の投手で、現在は医師という設定である。主人公は、旧七校時代にかなり活躍していたにも関わらず、同窓会の誘いを固辞する。その原因が、戦争で図らずも移動命令を受け、治療が出来ずに見殺しにしてしまった先輩のことや、南方で散っていった弟への贖罪があることが次第に明かされる。普通映画は、原作を元につくられる。しかし、この映画は、映画封切後に小説が発売されたが異色である。

 

さて、旧制高等学校は、国家が血眼になって、次世代のリーダーを育成しようという方針のもと設置された学校制度である。その校風は、「北辰斜めにさすところ」の映画でも触れているが、「小利口者になるより、大馬鹿者になれ!」である。「北辰斜め~」の北辰とは、北極星。他の星が動こうと、いつもそこにある、いわばぶれない存在であれと暗示している。旧制高等学校がつくられたころ、当時の政府は、実に国家予算の半分を教育につぎ込んでいる。もちろん、旧帝国大学などの超エリート育成だけでなく、初等教育などの基礎教育にも力を注いでいる。おかげで、日本国の有識字率は世界に誇れるレベルになった。

 

最近、看過できない情けない事態が起きている。小学校における教育現場荒廃や学力低下である。ある意味、小学校教員の質の低下があるかもしれない。加えて、しつけが出来ない保護者の存在やかれらの常軌を逸脱した言動が学級崩壊を全国レベルで誘発させている。紛れも無く教育は、未来の国家を映す鏡である。この国の未来は、このままでは暗雲の立ち込める嵐の空である。

 

戦後まもなくまでは、優秀な人材から先に教育現場に送り込まれてきた。教員になるものは、父母や祖父母が教員という家庭が多く、教職課程以外に進学前や採用後も家庭という機関で育成されていた雰囲気があった。だが、80年代以降、安定した子供相手の仕事のように考えて教員になった学生らが大幅増。教育現場の人間になるのだから教員は、学力はもちろん、適正試験も経て配属されている。しかし、本当に求めている教員を採用できているのだろうか。機会平等には賛成である。教員の再教育に大学院などでのカリキュラム履修が果たしてどれだけ効果的なのだろうか。知的生産の技術は大切だが、相手にするのは製品や商品ではなく人間である。よくよく考えてもらいたい。

教員を聖職者扱いしなくなって相当な時間が達つ。

退職金の満額自給のために、卒業前の生徒を置いて自己都合で早期かけこみ退職のものたちも多くいることが報道されている。権利の行使に口を挟めないが、将来、同窓会などがあったときになんと教え子らに説明するのだろうか。労働者としての権利をしたかでというのであろうか。



さらに不作為によって、いじめを苦にして自ら命を絶った子らや今般の高校生を死に追い込んだ教職員の体罰は、いかに理解したらよいのだろうか?見方を帰ると顧客や顧客の師弟に暴力を繰り返していたわけで、かばい立てできまい。

校長も四十九日もあけないうちに、高校生の遺族に在校生らの新人大会出場の許しを請うためにお願いにあがったという。遺族感情を慮れないとしたら、壊れているとしたいえない。教育委員会だけでなく大阪市大阪府、国の教育行政の敗北である。

 

教員だけではなく、一般公務員にも同じことが言えよう。官吏といわれた時代。国家は、全力で人材を育成し、役人らもよくこれに応え努力した。昨今の不祥事や不作為を見るにつけ、役人らは、地に落ちたかの思いで気分が滅入る。ノーブレス オブ リージュという言葉がある。ノーブレスは、高貴などを意味する“Noble”が源。国家が、力を入れて育成した人材は、あえて困難な時に身を置き逃げない。戦争で言えば、将校こそ先頭に立って斬り結ぶ範を見せる。役人は、言わば禄を食む士のことである。徳が、高くあってしかるべきである。

宿命の隣人韓国の実像を正しく見ているのか、日本人は

生活

 日本の世界市場での劣勢は伝えられて久しいが、技術力や品質に優れていても、当分市場占有率が向上するとは思えない。たとえば、中国市場で日本のメーカーが市場占有率の上位にあるのは、化粧品や日用雑貨であり、それも圧倒的な占有率ではない。

それに反して、家電や携帯電話、自動車などの分野で韓国の勢いが凄い。

徹底した市場調査、広告費投入、設備投資など、日本では本社決済が必要で、なおかつ時がかかるような経営判断が即断即攻が行われている。欧米企業も中国やそれ以外の国や地域で即断即攻を常識に市場に挑んでおり、アベノミクス効果で経済に、やや熱がおきて、沸きつつある兆しも見える日本だが、新興国市場での戦いに正念場が続くことだろう。

 

昨年、ユーチューブの「江南スタイル」に沸いた韓国だが、ソウル市の江南に住まうセレブレテイーらの存在は、韓国国民の垂涎の的であるが、それにもまして国民の格差に対する不満が大きくなり、新政権も発足後直ちに緊急の掲載対策で乗り切らねばならないほどの低所得者の反感の対象のようだ。韓国の輸出経済の成功の秘訣は、徹底したマーケットイン戦略である。日本の企業も長く同じことを唱えているが、「品質が伴えば経済成長につれ、新興国の市場が受け入れてくれる」と考える傾向が強い。日本では、相も変わらず日本の本社が日本からの視点で現場に指示を与え続けているプロダクトアウト志向が強い。

韓国企業は、徹底して有能な社員や技術者を現場に送り続け、情報収集に人材と資金を投下し続けて、さらにターゲットを確実に射落としてきている。欧米企業とて同じような展開を見せるが、日本だけが周回遅れのようである。

 

必死の思いで韓国のビジネスマンが稼いだ外貨は、実はほとんどが財閥によるものである。財閥に勤める人材もIMF危機以降の早期退職制度の定着により、その多くが40歳で定年を迎えている。他方、20歳での非経済移動人口比率が40%弱という。財閥は潤うが、家計に占める借り入れ金が増大、格差がいよいよ拡大している。可処分所得のジニ係数が悪化しており、新政権も前政権の財閥優遇批判をかわすためにも「経済民主化」と「社会福祉の充実」を必死に打ち出している。韓国の強さは、「財閥主導」、「輸出主導」、「自由貿易協定(FTA)」に徹底して適応した経済体制である。そのため反面、世界的な経済情勢によって影響を大きく受けやすいという負の性質が明らかである。ウォン安で世界経済を凌駕してきたが、アベノミクス効果で円安基調が長期に続きそうだという予想に市場が傾くと韓国の輸出力や国家財政に大きな翳りが現れそうである。宿命の隣人の真の姿を正視し続けることが日本再生の一歩である。

かせだうち

生活

 鹿児島県の南薩摩地方というより、「知覧」あたりといった方が、耳に馴染みがあるだろう。この「知覧」あたりに小正月の行事として「かせだうち」という行事がある。「かせだうち」は、普請をした家々を正体不明となるような化粧を施して、八百万の神々に扮して回るのである。

布袋様や弁天様に扮した神様は、祝儀袋に八兆八千八百八十八億八千八百八十八万円などと書いて差し出したり、目録にロールスロイス10台、航空機10機、豪華客船10隻など、しゃあしゃあと書き込んでみせる。迎える家の方も負けていない。焼酎の変わりに、「みりん」や「酢」「醤油」を勧めたり、「おたまじゃくしの吸い物」や「鶏の頭の吸い物」などを勧めたりする。御互い、ふざけながら好き勝手なことを言い合う抱腹絶倒の行事である。いかにも、鹿児島のおおらかな行事にも思えるのだが、「かせだうち」の語源は、どうやら「嫁いだうち」ということらしい。

「嫁いだ娘」の様子を「嫁いだうち」に見にゆきたいが、どうしても気兼ねをしてゆけない。だから、小正月あたりに、嫁いだ娘の父親や親戚が正体不明の化粧をして会いに行ったということらしい。ユーモラスだがいじらしい父親の心に思いを馳せてしまう。



「男は三年に片頬緩む」程度がちょうど良いといわれて時代、嫁いだ娘を心配する父親は、どんな思いで娘の暮らしぶりをうかがっていたことだろうか。

相当な覚悟を持って嫁いだ女性たちの時代が過去のものとなり、比較的自由に実家との往来をする女性たち。家事労働も家電発達で様変わりし、女性の社会進出で随分と様変わりもした。今では所得格差が、学歴格差などと揶揄されてもいる。自他ともに認める世界で最も公平な社会の変質は、なんとも歯がゆく残念でならない。真にゆたかな社会を標榜して先人達は礎を築いてくれた。また、惜しむ事のない勤労で、戦後の復興を見事にやり遂げてくれた。だが、豊かさの意味を解さずに月日を空しく費やしたこの国は、既に社会の精神的な支柱も崩壊の危機感が漂う。その処方箋は、やはり「つながり」であろう。

現代版のチルチルミチルの「青い鳥」を探しにゆくとどうなるのだろうか?

街にある巨大なマルチビジョンやサインシステム。あるいは、自動車や携帯電話のナビゲーションシステムはどこに導いてくれるのだろうか?相もかわらず、

「青い鳥」は家の中にいてくれるだろうか。携帯電話やメールで、誰しもが気軽に連絡を取れるようにもなった。電話を発明したベルの電話での第一声は「話があるから来てくれ」だったという。電話は、連絡をする道具、声を聞く道具であって、話は顔を見て向かい合いするものということだろうか。

「かせだうち」同様に、「今いるうち」も「育ったうち」も大事にしたい。

おはぎ と ぼたもち

生活




寒さもゆるめば、彼岸もやってくる。例年より、厳しく感じる春。寒さを凌ぐのも楽ではなかったこの浅い春の陽気である。

実は、春先は一年でももっとも厳しい季節であって、三寒四温なる言葉のとおり、目では確かな春の息吹を感じながらも、寒の戻りでしばれることも多い。

さて、この先の彼岸といえば「おはぎ」である。

お彼岸に「おはぎ」を供える家々が多いとおもうが、「おはぎ」でなくて「ぼたもち」ではなのかという人も多かろう。「おはぎ」は大皿に並べた様子が「萩」のようだということが通説で、大方の人にまず異論がない。「ぼたもち」も大皿に並べた様子が「牡丹」のようだという通説で、これも大方の人に異論がない。

では、ややこしいのは、どういうことかといえば、「うるち米」で作ったものを「ぼたもち」というところと「おはぎ」というところがあり、他方、「もち米」で作ったものを「ぼたもち」というところと「おはぎ」というところがあるからだ。おいしければよいではないかという議論も民俗学徒のまえでは吹き飛んでしまう。

しかし、「おはぎ」でも「ぼたもち」でも共通して、おいしいのは「はんごろし」だと筋金入りの甘党たちは言う。「はんごろし」とはたいそう物騒ないいだが、ようするに良い加減に米粒を半殺しにして、餡とよくからむようにするということだ。事情をしらぬ客人をもてなそうと、「はんごろし」の相談を女房と亭主が、小声でしているのを客人が小耳にはさんだら大変だ。

大変なことといえば、「おはぎ」が好きで「自叙伝」にもこれをタイトルとしたプロサッカー選手のカズこと三浦知義。Jリーグ開幕前に四十六を迎かえた。激しいぶつかり合いや全力疾走を幾度と試合中に繰り返すプロサッカーの世界に不惑の現役選手がいること自体驚きである。肉体の衰えを補ってもなお、あくなき向上心と精進がなければ、現役選手として開幕を迎えられまい。ただただ驚きである。誰しも、一年に一歳づつ歳を取ることは間違いない。しかし、中高年になって同窓会に出てみると驚きである。40歳も半ば過ぎから50歳ぐらいの同窓会では、同級生より余計に歳を取ってきたものと歳を遅れ気味に取ってきたものとでは、肉体的にも精神的にも最大で20歳近くも違って見えるような気がする。歳の上手な取り方、重ね方は学校では教えてくれない。

ところで、彼岸とは向こう岸のこと。機根が座らぬ民衆に成仏を説くのに使った方便である。向こう岸に行くのに、四十九日かかるというのは、おくるものの気持ちの整理などを考えてのことだろうと思う。気構えと実践のひとは、即身成仏するので、何の気負いもなく生き生きとしている。これから、どんどん日が長くなる。早起きして朝日を浴びながら、毎日生まれ変わろうという思いと、この日を最期の日として生きようという思いで走りぬけてみたい。

不条理な国家の横暴を見て、この国を省る

生活

 ここのところ、北東アジアの安全保障問題がなにかと騒がしい。

北朝鮮の瀬戸際外交といわれる手法も国際社会から看過されることもあるま

い。六カ国会議の議長国の面子も丸つぶれだろうし、韓国に最高水準の巡航

ミサイルの配備を北朝鮮全土を照準として配備させてしまったこと自体、指

導力に疑問を持たせてしまった現われであろう。

他方、中国とて自衛艦へのレーダー照射問題で日本側の捏造と盛んに宣伝

しているが、米国のさらなる対アジアのプレゼンスを展開させることとなり、

危機感を意識して煽っているとすれば、計算間違いではなかろうかと多く

の関係国市民が危惧するところだろう。

本稿は、軍事関係の情報提供や意見をするものではないので、踏み込むこ

とをしないが、人の振り見て我が振りなおせではないが、省みる必要がある

と思われる。



欧米列強らや大日本帝国(第二次世界大戦終戦前の日本ということの意味)

に良いように進出され、散々に辛酸をなめさせられた中国大陸や朝鮮半島だ

と承知している。その時の不条理な思いは、大陸や朝鮮半島の人々の中に今

も強く残り、また子孫に言い伝えられてきていることだろう。欧米列強や大

日本帝国に良いようにあしらわれてきた記憶に、今も多くの人々が苛まれて

いるのではなかろうか。

そのような心理が多くの人民に働けば、資源確保のために領土を拡大しよ

うと不条理な言いがかりをつけて、実力行使を志向する国家首脳の後押しを

あたかもしかねないことだろう。

 

だが、そうなると資源を持たない国の宿命を領土拡大のための進出や侵略

につなげて暴走していった大日本帝国の軍部と変わらないのではなかろうか。

先祖を苦しめた軍国主義的行動となんら変わらないのではなかろうか。

大きな矛盾を感じないものだろうか。それとも、大日本帝国の軍部が資源確

保を命題に行動をすべて肯定していったような専横を許すのだろうか。

省みて我が日本国民も大陸や半島の不条理な行動こそは、過去、この国が

犯していたもものであって、一方的な被害者意識をもって大陸や半島に向か

い合っても、問題解決には至らないことを戒めるべきであろう。

 

不条理理不尽とされる行動の原理にも、起こす側には彼等なりの正当とさ

れる理屈があるのであって、今は非難するばかりでなく、それらを注視すべ

き状態にあると自覚したほうが良いだろう。

盲人重役

生活

 かつて、話題になった映画に「まぼろしの邪馬台国」があった。考古学ファンは、宮崎康平氏の唱えた邪馬台国九州説に、ずいぶんと興奮させられたらしい。小職は、昔から歴史が好きな方ではあったが、考古学にのめりこむほどではなかった。にもかかわらず、宮崎康平の名前には昔からの知己のような親しみを覚えた。なぜだろうかと不思議に思っていたが、ようやく理由がわかった。



わが国の経済小説の開拓者にして、直木賞作家の城山三郎氏の著作にヒントがあった。「盲人重役」のモデル、その人であった。そして、城山三郎氏の著作

で何度も読んだ「打たれ強く生きる」に宮崎康平氏のことが書かれていたのだ。

「打たれ強く生きる」~以下は、城山三郎氏の著書から抜粋。

“打たれた男が、友人たちの言葉によって慰められた劇的な一例がある。

そのとき男は三十二歳。地方の私鉄をとりしきる常務であったが、過労につぐ過労がたたって、失明してしまった。会社は倒産寸前の危機に在った。

文字どおり、杖となるべき妻は、乳飲み子を残して家出してしまった。

打ちしがれたこの男を慰めようと、一夜、仲間があつまってくれた。会が終わって、飲み歩き、さてバスに乗って帰ろうとすると、まだ車の普及していない時期だったため、多数の乗客が待っていて、バスが来ると、いっせいに殺到し、大混乱になった。にわかに盲目となったこの男は突き飛ばされ、転倒するところだったが、仲間の中でも兄貴分というか親分格の友人に助けられた。

その友人は、「おれたちは歩こう」といい、腕をとって歩き出した。続いて、次のようなことをいいながら。

「いま日本中の者が乗り遅れまいと先を争ってバスに乗っとる。無理して乗るほどのことでもあるまい。おれたちは歩こう。君もだんだん目が悪くなっているようだが、万が一のことがあっても、決して乗り遅れまいと焦ってはならんぞ。」“この情のこもったいい言葉をいったのは、芥川賞作家の火野葦平氏だった。宮崎氏は、盲目の身で会社を再建の軌道に乗せたあと、すばらしい伴侶を得て文筆の道に入り、ベストセラー「まぼろしの邪馬台国」が生まれた。バスに乗らず「おれたちは歩こう」と歩き続けた成果と城山三郎氏は示唆している。



宮崎康平氏は、視力を失い苦労をされた。歯磨きのときは、ブラシに練り歯磨きをつけようとして難儀した。あるとき「『目明きのまね』をしていてはだめだ。」と練り歯磨きを舌の上に置き、水を侵した歯ブラシを口に入れる方法に切り替えたという。人には人それぞれの生き方がある。傷ついた人にはその人なりの、年齢体力の程度や置かれた境涯にふさわしい生き方や生きてゆく工夫がある。年の初めのことでもある。ここはひとつ、最良の生き方を考えてみたい。

桜梅桃李と確かに花は咲き季節は巡るけれど

生活

 厳しい寒さの中でも、確かな生命の胎動があり、季節が巡り花は移り、また

春に。その後、被災された東北の人々の喪失感を少しでも癒すものはあっただろうか?。為政者は、涙も枯れた人々の願いや祈りに応えただろうか?。さらに、指導者の口をついて出る言葉は、打ち拉がれた人々の思いを慰めることがあっただろうか?。この一年、東北の被災者の方々は、十二分に頑張った。困窮する暮らしにも耐えて辛抱してくれた。頑張りも辛抱も足らないのは、東北の被災者以外の人々である。

 

昨年の2月25日に、被災した宮城、岩手両県の小中学生6人が、復興庁を訪れ、3項目からなる復興への意見書を時の平野復興相に手渡しをした。これは、

公益社団法人「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が組織した「子どもまちづくりクラブ」のメンバー。手渡された意見書については、高校生も交えてまとめたもの。報道テレビ番組で観たのだが、中学生のひとりは平野復興相に対し、「がれき処理が進んでいない。国は本当に復興するつもりがあるのですか」と迫ったと。平野復興相は、「胸にぐさっと来た」と述べ、提言の検討を約束したという。その時から一年がたち、政権も変わったが子どもらの願いに応えられているのだろうか?

諸般の事情があることや財政上の問題があることは、誰もが承知しているが、

勇気有る中学生の発言を待つまでもなく、この一年は、復興どころか復旧に遠く及ばない段階であり、このお寒い状況をなんと形容してよいのか言葉も浮かばない。勇気有る中学生の発言は、問題の本質をよく捕らえていると思う。移転も含めて、被災地の再生事業を行うのなら、あらゆるインフラ整備に先駆けて「がれき処理」優先されるべきである。がれき処理が進まねば、被災地が必要とする資材を搬送する道路整備も進まず、居住期限を区切って用意された仮設住宅からの安住の場所へ移ることも方策も展望が開かれないことだろう。

政治的な混乱や明確に示されることのないビジョンは、被災者の精神衛生にどれだけ負荷をかけ続けているか知れない。大きく復興の未来図を描いて見せるのは、為政者や官界の仕事になりざるを得ないが、被災者に寄り添うということであれば、民にも大きな役割があるはずである。

さすがに口に入れる食料は足りている。足りないのは、心に必要な糧である。無理強いではなく、生活再建をしようという気持ちがあるときに、就業や起業に必要な支援をしなければ、萎えてしまいかねない。手厚い社会福祉も必要だが、最も必要なものは、自助自立を援ける仕組みである。自ら手にする達成感こそが、必要である。心のセーフテイーネットは、民の善意で編みこみたい。

すし職人 小野二郎さんのこと

生活

 今や高級寿司ネタは、香港の寿司王にことごとく買い占められるようになった。国際化を果たした寿司だが、ミシュランの東京版ガイドブックに掲載されるということの評価。その賛否は、いろいろあって当然。あくまでも、ミシェラン流の評価であって食通や評論家が口角泡を飛ばしてまでもムキになることでもあるまい。三つ星の店の中で、「すきやばし次郎」は、選ばれて当然というか、こちらも素直に納得がいった。80歳を越える三つ星シェフは小野さんただひとりらしい。健やかな職人人生後半を願ってやまない。

「すきやばし次郎」のお店のことは、その昔、若く有望な寿司職人に教わった。その職人は、順当にゆけば世田谷に店を構える老舗の四代目になる男である。その職人は、未だ三十半ばを過ぎたばかりで、よその店で修行に明け暮れる毎日だが、恐ろしくできる男である。いまどきの寿司屋では、出来合いの出汁巻き卵をつかうところが多く、うまくつくれない職人も多い。この男は、できばえもよいが、すばやく綺麗につくり焼き印を誇らしくつけてゆく。

ひかりものの中では、江戸前ネタ「こはだ」の仕込みが面倒。加えて、出汁の効いた酢につけ込む加減に経験がものをいう仕事である。さらに、巻物などで使うでんぶ。家庭でつくる巻き寿司でよく使うが、本来は職人が店でつくらねばならない。今の職人さんは、昔の職人さんから言わせればセミプロか、見習い程度ということになろう。

ある宴席で、この職人が招かれ、うるさ型の著名人らの前で握ることになった。寿司にも一家言もつ御仁らは、若い職人に一瞥くれ、つまらなそうに。が、職人が包丁でネタを裁いたり、握ったりするたびに、魅き寄せられ行列になった。腕のある人は、きっと誰が見てもわかるのだろう。

さて、この職人に夢を聞いた。「すきやばし次郎」で寿司を食っても位負けしない人間になることと、「すきやばし次郎」のような店をつくることだと。すきやばし次郎を覗いたが、店に入るのに躊躇した。そこで、銀座の書店で小野二郎さんの寿司の図鑑や職人としての哲学が書いてある著作を買って帰った。

著作で印象に残ったのは、イクラの軍艦巻きの発祥はこの店であり、北海道土産のイクラをどうして寿司ネタにするかということで、生まれたということ。

そして、寿司屋は徹底した掃除をしていれば、酢の匂いがしないということ。

酢の匂いがするということは、お湯をつかい、隅々まで掃除をしていないということ。立派な職人に大切なことは、衛生観念と清掃作業ということだった。

立派な職人になるためには、いつも布巾や雑巾を手にして動かしていなければならないようである。掃除は、すべて始末につながるということだろうか。

現在、渋谷の映画館ユーロスペースで小野さんのドキュメンタリー映画が、絶賛上映中である。ドキュメンタリー部門でアカデミー賞有力作品と聞く。

本社採用ではなくて、日本国内現地採用社員の発想

生活

 3年ほど前から、人事担当幹部などから新卒採用にかかわる相談をよく受けている。以下の話に心あたりのある企業の幹部は多いと想われるが、実に深刻な話で日本人が劣化しているように想われて仕方がない。

なるほど、名門企業に就職できる学生らは、エントリーシートの提出以降、そつなく対応し、希望の企業に入社するのになんら問題なく過ごすらしい。

問題は、採用後の研修などから大いに露見し、人事担当者を大いに悩ませることになる。世界各地に事業所を設けている企業に入社を希望する学生であれば、当然、語学習得や現地赴任も厭わないと小職は思うのだが、近年は大いに違ってきているらしい。人事部長は、新入社員の配属を前にして、集合研修などを通して、社の意向を伝え、新入社員の同意を得て、配属先に意気揚々と送り出すことを頭に描いている。だが、なかなかこれが適うことは無いらしい。

 

例えば、有望なアジア市場に新入社員を配属し、語学研修や現地での実務をつませて将来の中堅、幹部を育てたいと、人事部門責任者は当然考える。

だから、「早い時期に新興国など有望市場に赴任すること」を勧めるのだが、

眼をつけた採用社員のほとんどから拒否にあうらしい。それも「出世しなくても良いので実家から通えるところにおいてほしい」などと。

少子化社会でもあり、親のことが気になるのだろうと気を使い、ならば「有望市場の開発のために、国内に居ようとも語学習得は必須だと」水を差し向けても、「出世しなくても良いので、語学習得は願い下げます」とか。

かような社員に出くわすと、人事担当者は本当にだまされたような気分に陥るようだ。次から次にかような新入社員ばかりだと欝に陥りそうな気がしてくる。

 

それでも、気を取り直して人事担当者は、能力開発や現場を体験するプログラムを実施する。新興国市場をじかに見せれば、刺激にもなるだろうと人事部長が多用な時間をやりくりして引率し、研修旅行に。親の心、子知らずではないが、せっかくの機会なのに、新入社員同士でゲームやメールのやりとりばかりで過ごす風景を見せつけられて、人事責任者は、失意の果てに帰国。名だたる大学を卒業したのだから、知性を感じさせるような行動があってもよいのだが、日本の教育制度や入学試験制度は、創造性のない人材を輩出するばかりか。

「将来の幹部を育てるのに どうしたものでしょうか?」と聞かれて。小職は、たまたま本社が日本にあるというだけと考え、いっそ、現地社員の採用をしたように考え、グローバルな人材に育ったものや育つものだけを幹部として育成されたらどうですかと申し上げたのだが、言っている本人も寒い思いがしたものだ。この先の日本、大丈夫なのだろうか、生きる術に欠ける人材輩出。

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