2月2013

梅一輪  一輪ほどの あたたかさ (嵐雪)

生活

梅は、一輪を活けていても存在感のある匂いを放つ。

お座敷でも、「梅は匂いよ 人は心 」と御姐さん方が三味にあわせて唄う。

また、梅は、人格にたとえられる花でもある。

大衆文学の巨人吉川英治が、新平家物語の中で源頼朝の少年期にからくも命を助けられた少年の未来を暗示するように、「紅梅は芯まで紅い」と記している。



話は変わる。

4年前の1月、鹿児島にある南州神社に大宰府の梅が移植された。

南州神社には、西郷南洲翁と最期をともにした、若くして命を散らした青年たちが多く眠る。中には、庄内藩や中津藩の若者がいる。西郷南洲翁の人格に魅了され、国許に帰ることを命ぜられても、もはや生死をともにするしかないといったものたちだった。



さて、何ゆえ梅が大宰府から移植されたのか。西郷南洲翁は、菅原道真公を心から敬愛し、不遇な時の道真公の思いに自らの境遇も照らし合わせたのかも知れないが、心からの供養をされていたという。1886年、五卿守護のために大宰府にいた南洲翁は、2月25日の命日に手灯明、つまり手のひらに灯明を載せて、一晩中道真公の供養をしたという。熱いとか、熱くないとかの問題では無い。そのようにせざるを得ない敬愛の気持ちは、いかほどのものであったろうか。とてもはかりきれるものではあるまい。西郷南洲翁のその思いに応えたいとして、大宰府から道真公ゆかりの梅の木が移植されたということである。

さて、干支は十干十二支だから、順列組み合わせにより六十年で一巡りする。

陰陽五行説に基づく暦は、九星が正のめぐりと逆のめぐりを行い、百八十年かけて一巡する。4年前に南洲翁の生誕180年の祝いが盛大に行われた。暦の計算が、天文を基礎にしているからこのようになるのだろうが、人の暮らしの中の標を計算の基礎においていたら、このような発想は出て来まい。不遇の時にあるひとこそ天文学的な発想も必要ではないかと思う。



南州翁でなくとも、いかに多くの年月が逝っても、道真公の非業の死を悼み、陥れられ大宰府におくられたことに心から同情する人々は多かろうが、それにもまして、境遇はいかにあろうとも立派に生きぬかれた姿に、敬愛の念を保っている人々が多いのではないかと思えて成らない。



東風ふかば  にほいおこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ