2月2013

「おたがいさま」ということば。

生活

 梅が咲いた。桃の蕾が大きい。桜が待ち遠しい時節になってきた。

ある著述を生業とする方が、私と同じ郷里である鹿児島に帰省したときの話を

自身の著作に書いていらっしゃったのだが、眼がとまったので披露したい。

氏の郷里は、南さつま市。古くは、鑑真和上が流れ着いたところであり、

小泉純一郎元首相の父君の出身地である。氏は、家族を連れての帰省だった。近年の大河ドラマ「篤姫」人気のこともあり、実家に戻る前に小旅行を思いつき薩摩今和泉に降り立ち、篤姫由来の史跡をめぐったという。

陽も傾いてきたので、薩摩今和泉駅を発ち指宿駅で降りて、家族と砂蒸し温泉に入りろうとタクシー乗り場に向かった。そのときの話である。



氏が、タクシー乗り場で家族と順番を待ち、自分たちの順番になった。

はやる気持ちでタクシーに乗り込んで行き先を告げたら、タクシーの運転手さんに「降りてたもいやんせ(降りてくださいますようにおたのみします)」といわれた。解せない氏は怪訝に思い、「ない(何)ごてですか(どうしてですか)」と聞いた。運転手さんは、「この車は、大型車。あなた方親子三人連れなら小型車で十分。」といって、後ろに控える小型車に追い立てるように乗車させたのだという。

運転手さんの思いがけない親切に感謝しつつも、気を取り直して小型車に乗り行き先を告げた。ところが、このタクシーでも運転手さんに「降りてたもいやんせ」といわれた。解せないと、氏が再び「ないごてですか」と聞くと、宿泊する旅館の送迎バスの時刻表を見ながら、「送迎バスが、まもなく到着しますから、それを利用されたらいかがですか」といわれたということだった。

氏は、タクシーを降りて二人の運転手さんに謝意を示しながら、「お客様を乗せて運ばれることを生業にされているのに、よそにお客さんを譲ってもかまわないのですか?」と聞いたのだという。

すると、二人の運転手さんは、顔を見あわせ「不思議なことをいう人だな」という表情で、「だって、おたがいさまでしょう」とニコニコしながらいったそうである。「おたがいさま」。私たちの使う「おたがいさま」は、「おあいにくさま」や「おあいこでしょう」くらいのニュアンスになっていないだろうか。お互いの立場を慮る「おたがいさま」になっているだろうか。氏とご家族にとって、「だって、おたがいさまでしょう」という言葉が、望郷の思いと重なって忘れがたいものとなった。そして、思い起こすたびに心を暖めてくれるかけがえの無いものとなった。釈尊は、誰にでもできる七つの施しを説いた。人と出会うたびに、あるいは、人と顔を合わせるたびに先様の立場を慮れる言葉を差し上げられる境涯になりたいものである。善の機根は、尽きないと信じたい。